第91話


 薄れゆく意識の中で、珍しく驚いているアドラの顔が、どうにも彼のなかで鮮明に残っていった……。


「……ぁ…………」


 ぼんやりとした視界。

 上下に揺れる身体の感覚に、運ばれているのだろうかとぼんやり考える。自分はいったい何をしているのだろうかとまで考えて、


「起きたか」


「ふぎゃ!?」


 急に地面が近くなった。


「一応さ、このお兄さん怪我人だと思うんだけど……」


「だから?」


「……なんでもないです」


 果敢に助けようと試みる優しい声と、それを圧殺する冷たい女性の声に、良かった……、とクリスティアンは安堵した。いや、別にそういう趣味だというわけではない。


「ぶ、じだったんだね……」


「今のお前に言われたくはねえ、なに寝てんだ。はやく立て」


おに……」


「あ?」


「なんでもないです」


 二人の会話に苦笑しながら、彼は痛む身体に鞭を打ち起き上がる。まだ腕は痛むし、どれだけ寝ていたかは分からないが体力だって戻っていない。そしてなによりさきほどの一撃を受けた顔面が死ぬほど痛い。

 周囲を確認すれば街の近くのどこか。まだ安心出来る場所ではないことと、はやく子ども達の元に戻らないといけない事実が、よろよろと彼の足を進ませる。


「レオ達置いてなにここまで来てんだっていうのは、あとでボコるとして」


「ボコるんだ」


「すいません……」


「後ろ。追いつかれるぞ」


「え? うわッ」


 彼女の言葉に振り向けば、少し遠くではあるものの彼らを追いかけてくる兵士達の姿があった。

 痛い疲れたなんて言っている場合では本当にない、と前を向いたときにはすでに二人は先へ行っている。

 少し。少しだけ泣きたくなりつつ、クリスティアンも急いで二人のあとを追いかけた。


「アドラは、大丈夫なの、かぃ?」


「あ?」


「ち、チコくんが君を助けてって」


「そうだよ! あれだけ疲れ切ってたのにどうして普通にピンピンしているのさ!」


「ああ……」


 そんなことか……。と、彼女はどのように説明するか悩む素振りを少しだけ見せ、


「演技だしなァ」


「演技ィ!?」


 なんとも簡単に言い放ってくれた。


「元気だと装っている奴は狙いやすいんだよ。だから囮をするときの常套手段だ。自分は本当にしんどいけれどそうじゃないんだと相手に嘘をついている。と、嘘をつく」


「じゃ、じゃあ街の中で戦っているとき……」


「全部じゃねえけど、基本は嘘だな」


「普通においら背負って突破すれば良かったじゃん!?」


「嫌だよ、面倒くせえ」


「なァ!!」


 あまりにもな彼女の回答に憤慨したチコが先を走って行く。アドラの顔も見たくない、と彼の背中が語っていた。

 そんな彼を興味なさそうにみていたアドラへ、


「それで、大丈夫なのかぃ?」


 クリスティアンが優しく心配の声をかける。


「は? お前、人の話を」


「かなりきついんだろう?」


 アドラの台詞を途中で遮って。まっすぐに見つめてくる視線が外れない。

 遮られた苛立ちを込めて彼の目を睨み返しても、クリスティアンがいつものように視線をそらすことはない。


「……チッ」


「少ししか一緒に居ないけど、本当に素直じゃないね……、あッ! 待って、剣は死ぬッッ!」


 握ろうとした剣の柄から手をはなし、アドラはばつが悪そうに吐き捨てる。


「関所を一人で突破する程度にゃ無事なんだよ」


「チコくんを背負って突破出来ないくらいにはきついんだね」


「…………」


「頼りにならない私が言っても仕方ないんだが……、もう少し周りに頼ってくれても」


「周りに頼りになる奴がいないもんでね」


「それは、そうなんだが……」


 話は終わりだ。

 と、彼女は走る速さをあげていく。そのためチコと横に並ぶことになるのだが、そのことにムキになった彼は更に速さをあげていき、途中でバテてしまうのはまた別の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る