第77話
如何にアドラが馬鹿力であろうとも、たった一発壁を殴っただけでどうにかなるほど建物の造りは甘くはない。
だが、床から天井へと伸びる鉄柵を何度も無理やり引きちぎり、それを投げるたびに不必要なまでに床を踏み込み、あまつさえ大量の水が部屋に流れ込む。それらが組み合わされば……。
「喰らいやがれ」
――ドゴォォ!!
「うわぁ!?」
「た、退却ッ! たいきゃがぁ!!」
天井が、それも、彼女が鉄柵を引きちぎっていた側。つまり、敵側の天井を中心として崩れていく。
この場は地下であり、天井が崩れれば支えを失った土砂が流れ込んでいく。それは肉の壁など玩具のように思えるほど強固な壁を彼女と兵士の間に作り上げていった。
「さてと」
念のためにと数本の鉄柵を引きちぎり、彼女は先に行った子ども達を追いかけるために反対側の通路へと駆けて行った。
※※※
「本当に着いたよ……」
「これで信じてくれるかい?」
次々に子ども達はへたれ込んでいく。アドラが見れば、気を抜くなと怒るだろうかと思いながら、クリスティアンは茫然としていたチコへと話しかける。
「信じるというか……、逆に信じられないというか。この街でずっと案内していたおいらだって地下の道はほとんど分からないんだよ? お兄さんの頭、本当にどうなっているのさ」
「こういう単純な暗記は昔から得意でね」
「まぁ良いや……、それで? これからどうするのさ」
「可能なら、このまま街の外を出たいけど。一気に行くにせよ、それが無理で街のどこかに出るにせよ。まずはアドラと合流が必要かな」
彼の視線は、疲れきっている子ども達へと注がれている。
「私だけでこの先子ども達を確実に守れる自信は、ないからね」
「そういうのさ。もうちょっと嘘でも任せて、とか言うもんじゃないの?」
「嘘をついて無駄に希望を持たせるなんて残酷なものだよ」
「ふぅん……」
「パパ、パパ」
「うん? どうかしたのかい、モニカ」
近づき、彼の裾をくいくいと引っ張る彼女はとても不安げであった。すぐ横に居るレオもまた彼女と同様の表情をしている。
「みんな、おなかすいたっていってる。のどもかわいたって」
「……うぅん…………」
「おじさんの魔法でお水だけでも出すことって出来ないの?」
「水……かい? 出すことだけなら出来るけど」
「ほんと!」
「ああ、でも。魔法で出す水は飲み水に適していないんだ。下手をすればおなかを壊しかねない」
「そうなんだ……」
「おー……」
「飲み水を出す魔法もあるにはあるんだけど、申し訳ないが私には使えなくてね」
魔力を媒体とするためか、それとも別の要因があるためか。魔法で出現させた水は生き物の身体に適していない。よほど魔力の高い者であれば飲めると言われてはいるが、少なくともこの場に居る子ども達にそれほどの魔力保持者が居るようには見受けられない。
かといって、すぐ近くを流れる汚水などはもってのほかである。チコを筆頭に、路上で暮らしていた子供たちばかりであろうが、それでもあんなものを飲んでしまえば病気になってしまうのは目に見えて明らかだ。
「飯は放っておいて良いよ。二日三日食えないなんておいら達にとっては日常だし」
「ぜつぼう」
チコの言葉に膝を崩すモニカ。そんな娘の様子はひとまず放置して、どうするべきかクリスティアンは考え込んでいく。
リスクを背負えば水を出すことだけならば可能だが、彼の予想ではあと二時間もせずに街の外に出れるはずであった。それまで我慢しようという提案を子ども達が飲んでくれるかどうか。それと、彼らの体力がそこまで持つかどうか。
「敵地だってのに、ンな大声で会話すんな。ド阿呆」
「ご、ごめッ! ……え?」
「ママ!!」
暗がりから姿を見せたのは、数本の鉄の棒を握りしめたアドラ。その姿に、そして少し前の言動にへたれ込んでいて子ども達が悲鳴を上げてクリスティアンの背後へとどんどん回り込んでいく。
逆に、レオとモニカは満面の笑みで彼女へと飛び込んでいく。そんな二人を、というか主にレオを、彼女は鉄の棒を放り捨て抱きしめる。
「レオぉぉぉぉ」
「うやぁぁぁぁぁ」
「おー、モニカは?」
「元気そうだな」
「おー」
「て、敵は……?」
「撒いてきた。しばらくは追ってこれねえよ」
「ぁ、あの」
「あ?」
おずおずと、チコが声を出す。そんな彼を、彼女は特に感情の宿っていない瞳で興味もなさそうに見下ろす。
「……」
「ァんだよ」
「えと……、……なんでもない」
「ああ。そうかい」
ならば邪魔するな。言外にそう言って、彼女は視線をクリスティアンへと戻す。
「水がどうのって言ってな」
「あ、ああ。私の魔法で出した水は」
「飲めないんだろう? 知ってる」
ずっと抱きしめていたレオを、優しく床へ降ろした彼女は、おもむろに下水道を壁へと裏拳を叩き込んだ。
「ちょッ!」
「手加減しているよ。ていうか、一撃で崩れるわけねぇだろうが、ボケ」
とはいえ、彼女の拳が突き刺さった箇所には大きなヒビが生まれている。そしてぱらぱらと零れ落ちた壁の破片のいくつかを彼女は拾い上げ、クリスティアンの背後でいまだに怯えている子ども達にふわりと投げ渡した。
「それ、舐めてろ」
「え? あ、あの……でも、あの」
「あ?」
「舐めますッッ!」
キャッチした破片とアドラを何度も交互に見ていた子供たちだが、アドラの目元がぴくっ、と動いたのを見逃さず、もはや飲み込まんばかりの勢いで破片を口へと放り込んで行った。
「ええと……、この辺の破片は水でも含んでいる……とか?」
「ンなわけねえだろ。石だとかその辺口に入れてりゃ唾液が出るんだよ」
「ああ……! なるほど、唾液か」
「おー、アドラははくしき」
「ママ、すごいや!」
賞賛してくれる二人の子ども達の頭を撫でながら、そして彼らに見えないように呆れた表情でクリスティアンを見るアドラ。そんな彼女の視線と表情に、どことなく安心感を覚えているしまっていることに彼は若干の恐怖を覚えていた。
「ンで?」
「あ、ああ! 君が戻ってきてくれたから、先導はこのまま私が。アドラには後ろに居てもらって、このまま街の外まで一気に下水道を突破しようと思う」
「道は」
「大丈夫。いける」
「んじゃ、それだな。おい、ガキども」
「「「はぃ!」」」
「死ぬ気で歩け」
「「「わかりました!」」」
さきほどまでの疲れた様子はどこへやら。我先にと立ち上がり、殺されまいと敬礼を行う子ども達に、ま、まあ良いか……。と見て見ぬふりをすることにしたクリスティアンであった。
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