第76話


「おじさんッ!」


「く、ッ! ぉ、アァア!」


 死角ともいえる天井から飛び降りてきた巨大な鼠の一撃をクリスティアンは杖でかろうじて受け、回避する。弾き飛ばした鼠が態勢を整える前に、その額へと吸い込まれるように小石が飛んでいく。投げたのはレオだ。

 大したダメージではない。だが、苛立ちを感じてしまうほどには鼠は知性があり、すぐさまどちらの敵に攻撃するべきか判断できないほどには知性が足りなかった。


「ヂュッ!?」


 その隙を、クリスティアンが利用する。

 一瞬で。というにはまだまだ遅いけれど、今できる最速で距離を詰めた彼は鼠の頭へと杖を振り下ろした。


「おー」


「大丈夫!? おじさん!」


「な、んとか。レオくん、フォローありがとうね」


 愛すべき愛娘からの最近では珍しくなってしまった素直な拍手を受けても、クリスティアンは笑顔を返すことが出来ない。

 暗く臭い下水道へと子ども達を連れて突入したは良いものの、巨大な鼠やゴキブリといった化け物たちが彼らの行く手を阻み続けていた。研究施設と距離が近いためか、はたまたただの偶然か、群れで出現せずに単体ばかりなのは幸運ではあったものの、いつそれが覆るかも分からない。また、子供たちの数が多いためどうしても隊列は長くなる。後方を襲われてしまえば、助けに向かう前に犠牲が出てしまうかもしれない。


「おー、アドラは?」


「まだ……、みたいだね。彼女には分かるだろう程度には目印を置いてきたから追いついてはくれると思うけど」


「アドラはひとりでだいじょうぶ?」


「それは大丈夫だよ! ママはとっても強いもん!」


「なるほど」


「それよりさ」


「うん?」


 手頃なサイズの木材を両手でしっかり握りしめたチコが話しかけてくる。下水に流れていた木材であり、良く見れば子ども達のなかでも身体の大きな子たちは彼の様になにかしら武器を装備しはじめている。


「本当に道は合っているんだよね? 偉そうに言える立場じゃないってのは分かっているけど」


「ああ、それは問題ないよ。そうだね……、このまま進めば十字路に出る。そこを左に曲がればT字路に突き当たるからそこを右。三股に分かれているところまで出ればそこをまっすぐ行けば少し開けた場所に出るはずだ。今言ったように道がなっていれば信じてくれるかい?」


「まあ……、そこまで言うなら」


 文句言えるわけでもないんだけどね。と小声でつぶやきながら隊列の真ん中あたりへと彼は戻っていく。街中で話していた雰囲気と多少異なるのは、牢屋内で取り乱した姿を今ここに居ないとはいえアドラに見せてしまったのが恥ずかしいからなのか。

 それでも、子ども達が武装を始めたのはチコが木材を拾い出してからなのは確かであり、まだ幼く不安を隠し切れない子を見かければ背中を叩いてくれる彼の存在はクリスティアンにとって非常にありがたかった。それまではレオがちらちらと後ろを気がかりにしていたが、チコがその役目を担ってくれてからは彼はクリスティアンの補佐に全神経を集中させている。


「さあ、みんな行くよ! もう少しすれば休憩できるからね!」


 クリスティアンの言葉で、子供たちの顔に喜びが宿る。重くなった足に檄を飛ばして彼らはまた一歩。暗い下水道の奥へと進んで行った。



 ※※※



 少しだけ時間が遡る。

 クリスティアンが子供たちを追いかけるために牢屋を飛び出していったそのすぐあと。


 無理やり引きちぎった牢屋の檻だった鉄柵は、即席の槍へと変化する。兵士が通路から飛び出してくる前にアドラが投げた槍は、彼らの頭部を貫き絶命させていく。

 血しぶきをあげ倒れていく肉体が、通路に横たわれば続く兵士の侵攻を阻む肉の壁の出来上がり。それらを除去する暇など与えるはずもなく次々にアドラは何度も床をこれでもかと踏み込みながら、即席の槍を通路へと投げ込んでいた。


 だが、


「待、待ってくれ! まだ俺はぎゃぁああ!?」

「死にたくなぁああ!!」


「チッ!」


 通路の奥から聞こえた微かな音と、兵士が放つ悲鳴に彼女は舌打ち一つ。右方へと飛び跳ねる。


 通路から飛び出してきたのは灼熱の炎。それは溜まり始めていた肉の壁を、まだ生きている兵士ごと全て炭へと変貌させていく。


「ぁあ……、やだやだ」


 必死に生を求めてこちら側へ逃げ出そうと手を伸ばした形のまま炭へと化したヒトだったものが崩れていく。

 仲間の屍を何とも思わず突き進んでくるのは、さきほどまで戦っていた兵士より薄手の鎧を身に着け、その上にローブを身に纏った者たち。彼らは一往にその手に杖を所持していた。


「魔法を使えりゃ優秀だってか? どいつもこいつも、いつになってもその考え方は変わらねえわな? なあ、おい」


「チャノ」


 悪態の返事は呪文。

 後ろへ飛び、一本。そして更に一本。アドラは鉄柵を槍へと馬鹿力で作り変える。


「イェ」


「げッ!?」


 続く言葉に、彼女は血相を変えて手にした槍を天井へと投げ刺した。


「ピフルァ」


 完成した呪文が効果を生み出す。複数の兵士が持つ杖の先から生み出されたのは大量の水。

 一人ひとりが生み出す量はそれなりだが、数が揃えばそれは激流となって牢屋のなかのものを飲み込んでいく。


 押し寄せる水がアドラを飲み込むその前に、彼女はさきほど天井に突き刺した槍に向かって飛び、それを掴んで上空へと避難する。と、同時に持っていたもう一本を離れて場所へと突き刺し、反動を利用してそちらへと猿の様に器用に移動する。


「チャノ ミコ ピフルァ」


 移動があと少しでも遅れていれば、水の呪文を唱えず待機していた者が生み出した火に飲み込まれていたかもしれない。


教科書通りありきたりな手ぇ使いやがってからに!」


 槍から手を離し、アドラはべしょべしょに濡れ切った床へと降り立つ。

 水を生み出し続ける呪文ではない。勢いがあったのも最初だけで、すでに反対側の通路へと水は流れていっている。


「チャノ」


 彼女の言葉に呪文以外で返すことを彼らはしようとしない。まさに教科書通りな対応に、どうせ矢避けの呪文飛び道具無効は唱え終わっていると予想した彼女は、呪文が完成しきる前に、


「うらァァアアア!!」


 壁を力いっぱいに殴り込んだ。

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