第65話
「ここで静かに待っていてね」
「うん」
「おー」
下り坂になっている廊下を歩き続けていけば、ようやく彼らの目の前に一つの古びた扉が顔を出した。
離れた場所に子ども達を待機させたクリスティアンは、静かに音を立てないようにして扉に近づく。杖の明かりで扉全体を照らしながらおかしなところがないか確認する。とは云ったものの、その動きは素人のそれでありアドラと比べるとどうしても見劣りするようなものであった。
「大丈夫、……かな」
手際の悪さを本人が一番良く分かっているようで、漏れる声にも不安が残る。少なくとも魔法的な異変はないと判断した彼は、一度子ども達に更に一歩下がるように指示したあと、ゆっくりと扉を開けていく。
見た目の古さとは裏腹に、扉の開閉はスムーズであり、普段から頻繁に使用されているようであった。
「う、ッ」
そして同時に漂ってくる悪臭に、クリスティアンは顔をしかめてしまう。
鼻が曲がってしまいそうになる悪臭は、まるでゴミ山のなかにダイブしたかのようなひどい臭いであった。
窓のない空間にも係わらず、扉を開けるまでこの悪臭がしなかったということは、どこかに換気の仕組みがあるのだろうか。そんなことを考えでもしておかなければ、あまりの臭さに心が折れてしまいそうである。
扉の隙間から聞こえてくるのは流れる水の音。やはり下水道に繋がっていたのか、と彼は意を決して扉をもう少し開けて向こう側をのぞき込んだ。
杖の明かりで周囲を照らせば彼が思った通り、扉の向こう側は下水道へと繋がっていた。
レンガ作りの下水道には近づくのも嫌になるほどの汚水が流れており、吐き出してしまいたくなるほどの悪臭をこれでもかと放っていた。
「落ちたのがあの辺だから……」
落ちた場所、そして歩いた距離を計算に入れてだいたいの位置を脳内の地図のなかで検索していく。
自信が確実にあるわけではないが、それなりの目星をつけた上でひとまずは臭いとここに住み着いている生き物に注意さえすれば地上に戻れるだろうと安堵した。
一度扉を閉めて子供たちのほうへと振り向けば、娘であるモニカは漂ってきた悪臭に顔を顰めているだけだったのだが、レオの方はと言えば、臭いのことなど気にせずに来た道のほうをしきりに何度も振り返っていた。
「レオくん、何かあったのかい?」
「くさい」
子ども達のもとへと戻れば鼻を抑えて抱き着いてくる娘に、優しく彼女の髪を撫でてあげる。
「…………」
「レオくん?」
「声」
「え?」
「誰か。誰かが助けてって……、助けてって向こうで言ってる!」
「助けて? え? 私には何も聞こえない、けど」
「モニカもきこえない」
耳を澄ませてみても、彼の言う助けを求める声どころは自分たち以外の声などなにも聞こえない。
耳の良いアドラならばともかく、しばらく一緒に行動をしているなかで彼が自分よりはるかに聴力が良いというわけではないことも理解しているために、クリスティアンはどうして彼がそんなことを言っているのかが分からなかった。勿論、嘘をつくような子ではないことも分かっているのだが。
「間違いないよ! 向こうから助けてって! それも一人じゃないよ! 色んな人の声がする!」
「うぅん……? いや、でも仮にそうだとしてもまずは私たちがここを出れるか」
――ドォン
どうか分からない。
続くはずだった言葉は、響く巨大な爆発音と続いて起こる振動によってかき消されてしまった。
「な、なんだ!?」
「おー、じしん?」
「……行かなきゃ」
「え? ちょッ! レオくん!?」
クリスティアンが止める間もなく、彼は元来た道を走っていくのであった。
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