第59話


 色鮮やかな花々が彩る中庭を超えて、教会の端にある便所へと向かったアドラは、すぐそばにある井戸から桶に水を汲んでから個室のなかへ。

 下水設備が整っていた街の中とは異なり、地面に大きな瓶を埋めているだけの田舎同様の便所のなかは相応の匂いが充満していた。


 だからこそ、好んで留まる人物も居ないため深呼吸出来ないことを我慢すれば少しだけ一息つくことが出来た。


 用を足したあとの尻を洗うための桶の水を適当に掻き回しながら、彼女はこれからを考えていく。

 仮に何かあるとすれば石像の奥の扉の先であることは間違いないのだが、それにしても簡単に通してもらえるはずもなく、観光客も教会の者も一番多いあの広間のなかで誰にもバレないように扉を開けて先へ進むのは不可能だ。


 風通し用に壁の上のほうに開けられた窓の枠に手をかけて、腕の力だけで全身を持ち上げていく。外からバレないよう意識して、周囲を窺ってみればメインの建物から離れたところにぽつんと建つ小さな倉庫があり、その扉の前に兵士と思わしき人物が立っていた。


「教会のなかの倉庫に……、武装した見張り……ねえ……」


 ゆっくり静かに床に降り立った彼女は、桶の水を瓶に流し捨てていく。

 流れ落ちる水をただ眺めていた彼女の顔つきが、水が全て流れきると同時に変わる。


「行ってみるか」



 ※※※



「あのぉ……」


「!? な、なんだ君はッ! ここは立ち入り禁止だぞ!」


 教会から続く道ではなく、そこから外れた茂みから女性が出てきて驚かないほうがどうかしている。

 たとえそれがおどおどと泣きそうにしている女性だったとしてもだ。


 倉庫の前にて見張りを行っていた兵士の彼は、突如として現れた不審な女性に手にしていた銅の槍を構えながら警告する。


「ご、ごめんなさい! あの、お、お手洗いがこちら方だと聞いてたんですけど、どこにも見当たらず……!」


 向けられた槍先に、彼女は更に泣きそうになりながら必死で弁解を開始する。おどおどしていると思えた彼女の様子は、そう言われてみればもじもじと……、尿意を我慢している人特有の動きにも思われた。


「なんだ……、そういうことか。はぁ……、便所なら、ほら、真後ろを見てみなさい、その青い屋根の建物だ」


「青い……?」


 彼の言葉を受けて、彼女は真後ろを振り向いてきょろきょろと目的の建物を探そうとするのだが、美しい緑の木々が邪魔で彼女の場所からはちょうど便所の屋根が見えないようであった。

 後ろ向きに一歩、二歩と近づいてくる彼女に警戒を怠りなどはしないけれど、やはりどこかで彼の心に油断は生じていた。


 だから、


「あッ! 見えました、あれでキャァ!?」


 ようやく屋根を見ることが出来て振り向いた彼女が、彼の後ろを指さして悲鳴をあげたときに考えるより先に身体が後ろを向いてしまっていた。


「なにガッ!?」


 構造上正面と比べると大分弱く造られているとはいえ、鉄の鎧に防御された彼の脇腹に突き刺さっていたのは女性の拳。

 鎧を通して肉体の内部に浸透する衝撃が、彼の内臓を揺さぶり、その意識をいとも簡単に刈り取ってしまう。


「はい、お疲れさん」


 意識を失い地に倒れ込んでいく彼を、女性、アドラが支える。

 周囲に他に兵士が居ないのは確認済ではあるが、今の音で誰か近づいてこないか調べたあと、彼女は気絶した兵士を倉庫の扉にもたれ掛け、遠目には立っているかのように偽装する。


 彼が持っていた槍を奪うか少し悩むものの、造りの甘さが目立つそれを持っていくぐらいなら気絶した兵士に持たせてあたかも異変無しの小道具にしようと考えなおし、無理やり握っているように持たせておく。


 幸い、扉には南京錠がかかっていたものの、魔法のものでもなんでもないそれを彼女は腕力で破壊して、ゆっくりと扉の先へと入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る