第58話


「二人ともー! あんまり遠くへ行っちゃ駄目よー!」


「分かってるよ、ママーッ!」


 眠らずの丘。

 過去、女神様が降臨されたという伝説の残る土地であり、それ以来この地には夜が訪れることがなくなった。

 とはいえ、昼間に来てしまえばただの広大な丘であり、斜面も緩やかでピクニックや散歩に適した場所でしかない。


 多少国の兵士が見回りをしてはいるが、それを除いてしまえば国が管理しているとは思えないほど平和な場所であった。


 声が届く範囲で走り回る子供たちへ、注意を呼び掛けるアドラの姿もまた、この場の空気と合わさって子育てに苦労する良い母親のようであった。


「それじゃあ、あたしは教会に……、どうしたの」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で茫然としているクリスティアンへ、若干の心配も兼ねて声を掛けるが、


「なんというか……、レオくん以外、というより私にまでその口調なのが、その、落ち着かなくて」


「場所が場所で良かったわね」


 返ってきた彼の言葉に、笑顔のままよく見れば額がピクピクしていた。


「じょ、冗談だよ!」


「そういうことにしておくわ」


 事が済んだらこいつをボコボコにしようと固く心に誓い、慌てふためく彼を残して彼女は丘の中央にそびえる教会へと一人足を進めていった。



 ※※※



「貴女、御一人ですか?」


 自由に出入りできる丘のなかで唯一この教会だけは入る際に検査を受けることになっている。

 鎧に身を包んだ兵士の青年が、見るからに街の人間ではないにも関わらず女性一人のアドラにほんの少しではあるが不信の目を向ける。


「ええ。実は……」


 しかし、一人なことを不審がられることなど承知の上だったため、彼女はまったく慌てることなく苦笑気味に後ろを振り返る。


「家族で参ったのですが、子供たちが丘で遊ぶのに夢中になってしまって……」


 彼女の視線を追えば、確かに走り回る二人の子どもとそれを追いかける男性の様子が小さいけれど見て取れた。すぐに兵士の警戒は霧散して、


「はは、なるほど。それは、お父さんも大変ですねぇ」


「あまり家を空けるわけにもいきませんので、仕方なく私だけでも教会で女神様へ御祈りをしようと思いまして」


「そういうことでしたか。それは失礼を致しました」


「いえいえ、兵士さんも御勤めご苦労様です」


「ご協力感謝致します!」


 預けていたバックを返されて、彼女は入室を許可される。

 いつもの大剣は宿へ置いてきており、バックのなかには切れ味の悪い護身用というのも大げさなナイフだけ。旅してきたものが何も持っていないことのほうが怪しまれるために偽装用として適当に購入したものだ。

 それでも、そんなナイフでも持ってはいることは出来ず、帰る時にお返ししますと説明を受けた。


「(あいつが大剣背負えたらなぁ……)」


 仕方がないことを思うのは、なにもこれが初めてではない。女性であるアドラは昔からなにかと単独での侵入行為を任されることは多かったが、そのたびに愛剣をどこかに置いておくしかなかった。

 仲間たちに持っておくように頼んでも、重すぎて動けないと泣かれたのだ。

 騎獣札のように、貼ることで武器が小さく軽くなる魔法具がないかと何度も真剣に探したこともあるほどだ。


 そんなことを考えながら教会を足を踏み入れたアドラは、


「………………」


 目に飛び込む光景に一瞬言葉を失った。


 悪趣味な貴族たちの屋敷のような豪華絢爛さはそこにはない。椅子もテーブルも、ロウソク立ても、教会内部の全てが質素なものであり、質素なものであるからこそ、その物が持つ優しい魅力が際立っていた。


 二百人は優に入ることが出来そうなほどの広さを持つ教会の一番奥には、女神さまの石像があり、その背後の壁はこの場で唯一といって良いほど豪華さを含んだステンドグラスの窓があった。

 外からの明かりがステンドグラスを通ることで様々な色へと変化して、石像の女神様を彩っていく。

 その光景は、まさに今この場で女神様が降臨されたと言われても、納得してしまいそうなほど美しいものであった。


 だからこそ、


「(うすら寒ぃ)」


 感動してしまったことに、情けなさを感じつつ彼女は止まっていた足を再び動かしていく。

 怪しまれない程度に、それでいて御登りさんとみられるように周囲を観察していく。彼女同様に観光で来ているらしい人たちに混ざりながら、調度品や木製の柵を触って頑丈さを確認していく。もしもの時に、壊しながら逃げれるか。敵に投げたり出来るかどうか。


 女神様の石像のすぐそばに、さらに奥へと続く扉があるのだがさすがにあそこを気付かれずに通ることは不可能だろう。

 この丘唯一のお手洗いがこの教会の中庭の先にあるというので、彼女は人の流れに沿って中庭へと向かうことにした。

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