第7話


 この世界では、すべての命に女神によって役割が与えられる。だが、その役割を最初に知るのは本人ではなく、その母親だ。

 子を産み落としたその瞬間、母親は自分の子に与えられた役割を知る。

 そして、その子が10歳の誕生日を迎えたとき初めて、自身の役割を啓示によって理解することになる。


 とはいえ、生まれてきた子が10歳になるまでその役割を教えない者は普通は居ないため、事実上は物心がついたときには自身の役割を知っていることが通常である。


 だが、言葉として知っていることと、10歳になったときに啓示され理解することには一つの違いがあった。

 自身の役割を理解した時、生き物はその役割を果たすことを優先させるようになる。

 仮に、身体を動かすことが苦手で本を読むことが好きな子が居たとして、彼の役割が兵士であれば10歳の誕生日以降その子は、部屋で本を読むことよりも外で戦いの訓練を行うようになっていく。

 だからこそ、役割は絶対なのだ。生まれがどうあろうと関係なく、親はその子の役割に合うように育てていく。たとえその役割に性格が合っていなくても10歳になれば問題はなくなるのだから。



 クリスティアンは自分の娘モニカの役割が魔王だと言った。同時に、彼女はまだ8歳だとも言った。

 つまり、本当に彼女が魔王であったとしても、いまはまだ彼女に伝承で残っているような危険性が孕んでいない可能性があるということだ。

 だが、


「それがどうした」


「ッ」


「あと2年経てばこの子は魔王になるのだろう? その事実は変わりはしないじゃないかい」


「……それは、」


「そもそもとして、それと女神から助けたいという言葉に繋がりが見えない。あんたは何がしたいんだ」


「その子に、聞かせたくないんだ……、音封じの魔法を使っても、構わないだろうか」


「構うに決まってんだろう、馬鹿か」


「……頼む」


「…………チッ」


 彼女は、持ち上げ遊ばせていた息子を自身の背に隠したあと、モニカをクリスティアンの前へと持っていく。勿論、息子を置いて空いた手で、いつでも彼女を殺せるようにした上で。


「ありがとう。本当に」


「はやくしろ」


「チャノ トゥイェ テトゥワコ ルーユー」


 半透明の紫色の靄が少女を包む。嫌がるかと思えば、むしろ楽しんでいる素振りすら見せる彼女は案外肝が据わっているのか、それとも何も分かってないのか。

 そしてさきほどまで五月蠅いくらい響いていた彼女の楽しげな声がまったく聞こえなくなる。確かに、嘘ではなく音封じの魔法であった。

 不安そうに彼女の背越しに少女を見つめる息子の髪を優しく撫で、すぐに地面の小石を男に蹴り飛ばせるように入れていた足への力を解いていく。


「で?」


「君は、魔王の役割がどういうものかを知っているか」


「知るわけないだろう、魔族のことなんか。まあでも……、どうせ魔族を率いてヒト族を滅ぼすとかそういう内容なんだろ」


「違う」


「え? ああ、じゃあ、魔族に繁栄をもたらすとかだろ」


「……それも違うんだ」


「じゃあ、なんだよ」


「死ぬことなんだ」


「うん?」


「勇者の手で殺される。それが、魔王が果たすべき役割の内容なんだ……!」


「おぃおぃ……、いやいやいくらなんでもそんな嘘を、」


「嘘じゃない!!」


「ッ」


 地面へ振り下ろされる拳。腐葉土のたっぷり敷き詰められたふかふかの地面にぼすりと拳が突き刺さる。


「昔の魔王が記した本を偶然見つけた。そこに女神によって与えられた役割の内容が書かれていた! それが今教えたことだ! 分かるかぃ? 魔王は、死ぬためだけに生まれた存在なんだ!」


 立ち上がる。まだ血が足りず、ふらふらの身体で、彼は立ち上がる。


「犯罪者になれと言われる役割はあっても、それは犯罪者として生きろということだ。死ねとは言われていない! 魔王だけは、世界から死ぬことを望まれている!」


「お、落ち着け、おぃ、来るな……ッ」


 一歩、また一歩とふらつく身体で彼は足を踏み出す。


「この意味が分かるか? 私はこの子の父親だ。この子はボクの娘だ! この子に魔王の役割を果たせということはこの子に死ねと言うのと同じなんだ! どうして娘に死ねと言わなければいけないんだ!? ボクは、ボクはッ! 子どもに死ねと言う親になどなるものかッ!」


 アドラの肩を掴む。どこにそんな力があったのかと思うほどにギリギリと肩が悲鳴をあげる。だが、それ以上に彼の瞳が彼女を逃がさない。


「そう思ったとき、この世界の矛盾に気が付いた! ボクたちが信じる女神と君たちが信じる女神は同じ存在だ。おかしいじゃないか! どうして同じ神を信じていながらに殺し合いをする! 仮に、ボクたちが女神の手を離れているのならば分かる、だが、まだボクたちは役割という名で女神の管理下にある! それも、抗うことの難しい強力な管理下だ! にもかかわらず殺し合いをするということは、それは女神が魔族とヒト族の殺し合いを楽しんでいる以外に何がある!!」


「はな、せッ!!」


「それに、魔王もおかしな役割だが、他の犯罪者の役割だってそうだ。どうして生まれながらにして犯罪者になることが決められている!? この世界では自ら進んで犯罪者になる、それもすべての犯罪者がだ!! 考えてみればおかしいことだとは思わないかッ!」


「それは、女神がッ! あれだ、試練をッ!」


「種として進化するために女神が試練を与えてくださるという説か? ではどうして救いがない! 山賊の役割を持つ者は死ぬまで山賊だ! そこに救いなどは存在しない。仮に長い目で見た時に種として進化するためであったとして、だからといって」


「落ち着……けッ!!」


「がはッ!?」


 彼女の拳がクリスティアンの顔面に突き刺さる。拳の勢いは彼の身体を浮かせ、2mほど先まで吹き飛ばす。


「はぁ……はぁ……ッ! あんたが、あんたの頭が湧いていることはよぉく分かった」


 大の字で横たわる彼へ、少女を優しく放り投げる。

 慌てて彼は飛んできた娘をキャッチする。


「あんたみたいなのと一緒に居ると、こっちまで頭がおかしくなる。傷は塞がったんだ、すぐにここから出て行け」


「ボクは……!」


「良いかッ! あんたが何を見てどう思ってどうしようかはどうでも良いが! この世界はそういう風に出来ているんだ! それが自然、それが常識、それは当然なんだよ!」


「じゃあ君は! もしも君の息子が死ぬ役割を持って生まれたとして、そのまま死ねと伝えるのか!!」


「ッ!」


「親が子供に死ねと言う! この世界がおかしいとは思わないのかッ!?」


「うるせぇ!! 無事にここを出れればそれで満足なんだろうがッ! これ以上喚くならこの場でぶっ殺すぞ!!」


「~~~~……ッ!」


 薬箱を拾い上げた彼女は、アドラとクリスティアンの顔を交互に見ていたレオの手を掴み、歩き出す。


「あんたのことは黙っててやる。だが、次にあたしの視界に入ったら殺してやる。いいな」


 彼女は返事を聞かず、その場をあとにした。

 地面にへたり込む彼の頬を、少女が優しく撫でる。彼は、娘を抱きしめるしか出来なかった。

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