第6話


「重ね重ね、ありがとう」


「で?」


 脇腹を抑えながら上半身を起こした彼の前で、アドラは猫のように摘まみ上げた少女を上下させる。

 本人はきゃっきゃと無邪気に喜んでいるが、何か変なことをすれば、ないしはこちらの要求に応えなければどうなるかという脅しであった。


「ねえ、ママ」


「うん? なぁに?」


「僕も……」


 もじもじとする息子の視線を追いかければ、上下される少女。ああ、と苦笑しながら彼女は自分の息子も片手で持ち上げ上下させる。大人二人の間の空気など気にも留めずに、幼い二人はきゃっきゃと楽しんでいた。


「まず、あんたは誰で、この子は何なんだい。どうしたって魔族の子なんかと一緒に居て、しかも娘なんて嘘をつく」


「……私はクリスティアン、彼女はモニカ。正真正銘、私たちは親子だ」


 彼の言葉に、彼女は大きくため息をついた。


「もう少しマシな嘘をつきな。あんたのどこが魔族だって言うんだい。いい加減なことを言うなら容赦しな……」


 いよ。

 続くはずの言葉は、目の前の光景によって消し飛ばされる。

 男が、クリスティアンが自分の髪をかきわける。そこには、角が生えていた痕があった。


「あんた、それ……」


「角は自分で折った」


「はァ!?」


 角は魔族である証拠。

 ヒトにとって忌深き象徴であるそれは、同時に魔族にとって何物にも代えがたい誇りでもあった。

 身体の成長に合わせて伸びる角は、本人の力が強ければ強いほど固く、大きく、そしてなにより美しく成長する。実力主義の考え方が強く残っている魔族にとって、角は命の次に大事なものだ。そのため、たとえ家族であろうとも簡単には角に触らせることがない。

 その角を自分で折る。そんなことは、絶対にあり得るわけがない事象なことをアドラも当然知っていた。


「モニカの角はまだ小さく帽子をかぶせれば隠すことが出来る。であれば、私の角さえ隠すことが出来ればヒトが支配する地域にも入ることが出来ると、判断した」


「判断したって、あんた……だからって、だって、角は」


「それで娘を助けれるというのなら安いものだよ」


「……………………それで? そうまでして、何からこの娘を助けたいんだい」


「女神」


「は?」


「彼女の役割は、魔王だ」


「…………。……。………………え?」


 人間本当に驚いた時には、大きな声も出ないんだな。なんて彼女は呑気なことを考えていた。





 魔王。

 数百年に一度、魔族の中から生まれてくると言われている。普段は実力主義な彼らだが、魔王にだけは絶対的な服従を示す。勿論、歴代の魔王のほとんどは強大な力を有しており、実力主義という点で間違いはないのだが、稀にそこそこの力しか有しない魔王が生まれることがあっても、その命令は絶対だった。らしい。

 魔王は、すべての魔族を結集し、ヒト族への大規模な侵略行為を行う。そのため、魔王の誕生は、多くの命が失われることと同義であった。


 また、魔王と対を成して誕生するのが、勇者である。

 勇者の役目は、魔王を滅ぼすこと。そのため、魔王を殺すことが出来るのは勇者のみとされている。

 そして、アドラの息子レオは勇者の役割を与えられて生まれてきた。彼の存在が、二百年ぶりとなる魔王誕生のなによりの証拠であるとされてはいたが、その魔王が、今彼女が掴んでいる幼い少女であるとクリスティアンは言う。


「…………」


 レオは今、9歳。あと一年もすれば、魔王討伐のために旅に出ることになっている。だが、いまここで目の前の少女を殺せば旅に出る必要はなくなる。自分の息子が危険な目に会うことなく幸せに暮らすことが出来る。

 知らず知らずに、彼女の手に力がこもる。


「待っ、てくれ! 聞いてくれ! その子はまだ8歳なんだ! この意味が分かるだろう!?」


 少女は笑う。掴まれた手に込められた力の意味など分かりもせずに。


2!!」

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