断片十四 孕み

「出かけてくる」

と門生に一声かけてオヤジは管鰻屋の外へと出た。

 向かう先は孕み屋である。

 水辺にある自分の店とくらべると街中は暑かった。いくらも歩かないうちに額に汗が浮かび始める。川が恋しくなる。

 伝言であれば門生に任せれば済むことで、いつもならばそうするオヤジだが、今回だけはそういうわけにはいかなかった。


 こんなことならば、捨て卵を止めるんじゃなかった。とオヤジは思う。

 オヤジの師匠のときまで、万が一産卵をしてしまったときのために、必要な言卵を入れた後、意味を持たない灰色の言卵を十粒ほど入れることをしていた。産卵してしまったとしても十粒程度ならば無意味な卵であり元の言卵は無事である。それを捨て卵といっていた。

 しかし、オヤジは自分がこの仕事に就いてから管鰻が途中で産卵してしまうことなどないことに気がついた。オヤジの師匠も体験したことがなかった。捨て卵を使えばその分だけ伝える言葉が減ってしまう。管鰻使いが持っていく言卵の数も増えてしまう。言卵を入れる時間も取り出す時間も増えてしまう。さらには、産卵してしまったとしたら十粒だけで済むかはわからない。駄目なときは駄目で、ようは管鰻が戻ってきたときにすぐに捉えることができればいいのである。そう考えたオヤジは捨て卵を使うことを止めた。

――まさか自分に跳ね返ってくるとはね。


「こんな時間にめずらしいねえ、オヤジさん」

と知り合いが声をかけてくる。

「ああ、ちょいとね」

と適当に返事を返す。

「巻髪の件がちょいと大変なことになっているらしいじゃねえか」

 いつもならばそのまま別れるのだが、今日はオヤジに食いついてくる。

「ああ、朝から言卵がひっきりなしで大変だったよ」

 当たり障りのない返事で返す。

「商売繁盛だねえ」

――いったいどうしたんだ、こいつは。

「一時的なものだよ」

と軽くいなす。

「大変といえば、よき川とすだる川を結ぶ運河を作るって話があるじゃないか、オヤジさんはどのくらいこの話にからんでるんだい」

「そっちはそっちでやっかいな話になって困ってるよ」

「そうかい、でもおいらもあやかりたいもんだ、ま、がんばってくれな」

と去っていった。

 それから何度かそんな問答を、出会った者に対して繰り返しながら、歩みは止めずに進み続けて孕み屋の戸を開けた。

「頼むよ」

と奥の間に声を掛ける。

「どうぞこちらへお上がりください」

 奥から声が聞こえた。

 オヤジは上がり框から奥の座敷へと入っていき、座敷に座っている元締めと対面をした。

「孕み屋を頼む、すぐにだ」

とオヤジは元締めに言う。

「依頼主はどなたでしょうか」

「タツゾウだ」

「タツゾウさんはたしか護だったはず。拵えはおわかりでしょうか」

「オリツだ」

「孕みはいかがいたしましょうか、生みましょうか、それとも流しましょうか」

オヤジは孕み屋に幾度となく契約の交渉をしてきたのだが、何度聞いても慣れることのない言葉を元締めは言う。

「それはタツゾウに聞いてくれ」

逃げるわけではないが、ややこをどうするかはオヤジが決めることではない。

「了解しました。急ぎとなりますと飛駆を使うことになりますが、タツゾウさんは大丈夫でしょうか」

 元締めは支払いのことを心配している。

「ああ、大丈夫だ、私がすべて保証する」

 孕み屋が必要な事までは読み取ることができたオヤジだが、タツゾウたちと孕み屋がどこで合流すればいいのかまでは読み取ることができなかった。

 しかし、タツゾウたちが街を出た時間と管鰻が届いた時間からタツゾウたちが今現在どこにいるのかは推測することはできる。

 管鰻を放ったあとでタツゾウたちがさらに先を進んだということは考えにくい。そうなるとオヤジが推測した場所まで飛駆で走り抜け、そこからはタツゾウたちの姿を探しながら進んでいくしかない。

 だから今回の依頼の請求でタツゾウが支払えなかった分はオヤジが支払う。

 オヤジは元締めにそこまで話し、元締めは頷いた。

「承知しました、それではオヤジ様のお言葉をもちましてお命頂戴いたしますことと、もうしあげます」

 契約は締結した。


 オヤジが孕み屋の外に出たとき、飛駆の駆ける足音が聞こえた。その足音を体で感じながら、

「シゲ、申し訳ないが私にできることはここまでだよ」


 オヤジはいつまでも苦い顔をしていた。

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