断片十二 巻髪

 数日前のことである。


 ミシリ。


 音がした。

 まだ夜は明けない未明の時刻。

 定時の見回りをしていたサンジはこの音を聞いた瞬間、自分の過ちを犯したことを知った。

――落花が始まる。


 落花に巻き込まれて助かったものはほとんどいない。しかし、なんらかの偶然、あるいは飛駆に乗ることができてその場から逃げ出すことができた者はわずかながらいた。

 サンジもその幸運に恵まれた者だった。

 そのときも落花が始まる前にこんな音を聞いた。


――わしとしたことがどこかで落花の日にちを間違えていたんだ。

 と思うよりも早くすぐさま管鰻の水筒を置いてある川辺の四阿めざして走り出した。


 ゼイ、ゼイ、ゼイ

 息が切れ始める。


 サンジは万が一の事態に備えて管鰻に言卵を入れた状態で冬眠させていた。四阿の棚に並べられたい何本もの水筒の中から、落花を意味する赤色の水筒をつかみ、休む間もなくすぐさま水辺まで駆けよる。

 水筒の蓋を開け、その中で眠っている管鰻の姿を確認する。夕食後に確認したときと同じく四匹そろっている。毎日中の水を変え、管鰻の状態を確かめ、いつでも放つことができるようにしてある。夕食後の水筒の点検は毎日のサンジの日課の一つだった。

 金には強欲だが、意外なことに勤勉でもあった。

 管鰻を温める余裕はない。水筒を傾けて中の水と一緒に管鰻を川に放り込んだ。まだ冬眠から目覚めないままの管鰻は川の水に流され下流へと消えていく。しかし、しばらくすれば冬眠から目覚めるはずで、目覚めればくだを見つけて産卵場のある川上の街、市丸へと向かっていくだろう。四匹いれば一匹くらいは無事にたどり着くはずである。そうサンジは思っている。

 管鰻と一緒にわしも川に飛び込めば、ひょっとしたら助かるかもしれないな、とサンジは思ったのだが、泳ぎの得意ではないサンジはこの川の流れに溺れて死ぬことになるだろう。仮に溺れ死にしなかったとしても、次は惨魚の餌食になる。惨魚に食われれば数年かけてゆっくりと消化されていく羽目になる。そうなったら絶対助からない。

 まわりの者は、次の生涯は惨魚として生きるだけだからいいじゃないか、というだろけれども、わしはごめんだ。惨魚の生涯じゃ、楽しくもなんともないだろう。


――胎樹の樹洞に入らんといかん。

 サンジは近くにあった胎樹の樹洞を覗き込み、中に何も入っていないことを確かめると頭から飛び込んだ。


 ゼイ、ゼイ、ゼイ

 ハア、ハア、ハア


 息は苦しいが、なんとか間に合ったようだ。

 樹液が固まりだして入り口の穴がふさがりはじめていく。

 時計が狂っていたんだろうか。とサンジは考える。

 その可能性は少ないが、今となっては確かめるすべもない。

 わしとしたことが、とサンジは悔やむ。

 欲にまかせて胎樹の落花の時期を間違えてしまったとしか考えようがなかった。

 数百本の胎樹の落花の期間はすべて把握しているはずだったが、間違えて計算してしまっていたものがあったようだった。

 わしも耄碌してしまったか、とサンジは思う。

 こうなったら宿主をやめて商売替えをするとするか、それともわしの後継者を育てて隠居するか。

――いや。まだやれる。

 そうだ。

 落花に対して講を作ったらどうだ。落花が起こったときの救済のためという名目で毎月一定の金額を集めるんだ。各地にはたくさんの宿がある。その宿主を集めて話を持ちかけてみようじゃないか。

 落花がどのくらいの間隔で起こっているか調べてみんといかんが、落花の後始末にかかる費用と年間で落花の発生する回数がわかれば年間の保証総額が計算できる。そうすれば毎月の掛け金をどのくらいにすればいいか決められる。

 もちろん集めた金は溜め込んでおくわけじゃない。それを金貸しに回して利息を得る。金は回せば増える。

 ふむ、なかなかうまくいきそうじゃないか。


 そこまで考えたところでサンジの思考は途絶えた。

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