第33話 魔王

 ――初めから、自信はあった。それは勇者と――過去の俺と闘った後から。奴が究極剣技を放つ前まで、俺の方が優勢だった。それにその究極剣技でさえ、相手の言葉に動揺していなければ、まず発動させることは無かった。あの技は強力過ぎるがゆえに、隙が大きい。初見の相手ならいざ知らず、俺ならその予備動作を簡単に察知できる。

 そう、あれは。少なくとも、予想よりは苦戦しなかった。相手が自分だから、その動きの全てがわかっていた。それが一番の理由だと思っていた。


 ――だが、違った。


 初撃――それは、上からの斬り下ろし。両手でしっかりと剣を振るう。

 

 しかし、魔王は二本指で容易くそれを止めた。指を交差させて、刃を挟む。その顔には余裕そうな笑みが浮かんでいた。

 奴は空いている方の手に魔力を込める。数秒の空白――相手が何をしてくるかは読めていた。


 俺はすっぱりと剣を諦める。自由になった両手で、爆発魔法を放つ。至近距離からの一撃、威力はそうだが、避けることは間に合わず。

 巻き起こる爆風に身を任せて、大きく距離を取った。だが、煙が晴れないうちから、中から黒い光弾が五発飛んでくる。


 喰らえばそれは骨身にこたえる威力を持っているのは知っている。一年前の感覚が蘇って、少し身体が強張った。

 身動きの取れない空中で、取り得る回避行動はただ一つ。両手を左右に伸ばして、その先に魔法を反射する薄い膜を作り出す。反射膜で、迫りくる光弾に触れる。あらぬ方向に飛んでいき、壁の一部に穴が開く。


 反射膜を消すと、今度は右手で大火球を作る。続けざまに、数発撃っていく。狙いは爆炎の中心部。

 そして地面に着地すると、右手側の壁に向かって斜めに駆け出した。そして今度は右の指先から氷柱を打ち込む。左手には魔力をずっと溜めこんだまま。

 ちらりと見ると、俺が先ほど着地したところは真っ黒いエネルギー波の塊が、床彼天上に伸びあがっていた。


 ようやく、玉座を中心に広がっていた煙が晴れた。そこに魔王の姿はなく――


「――っ!」

「ふん!」


 振り向きざまに、もう一本の剣を振り抜く。あの街で兵士の亡骸から回収したもの。

 真後ろに魔王の姿があった。瞬間移動、これもまた見覚えがある。おそらく、奴の方が一足早くこちらの姿を視認できたのだろう。だが、その戦法がわかっていれば対処は至極容易い。


 鋭い鉤爪と化した右腕を振り下ろしてくる魔王。耳をつんざく甲高い金属音がする。剣と腕がぶつかり合い、拮抗状態が訪れる。

 しかし――


「呆気ないな」


 魔王が片膝をついたところに、その首元に期先を突きつける。あいつが動き出すより先に、その息の根を止めることは可能。


 二の矢は聖光魔法。左の五本の指全てを使って、細い光に圧縮した聖属性のレーザーを放った。両肩両足に一本ずつ、残る一本は人体でいえば鎖骨のくぼみあたりを狙った。そこに魔王の心臓がある。これは、奴自身が教えてくれたこと。それが致命的な一撃になった。


 人間の時と比べて、膂力は確かに落ちていた。だが、代わりに魔力の質が桁違いによくなっている。総合的に見れば、差し引きプラス。振り返ってみると、勇者の雷魔法を跳ね返した時、その威力が思いの外強力だった。

 そのことを悟ったのは、城門前で放った爆発魔法だ。ミレイの手前、俺は門番像を倒すことはまるで考えていなかった。当然魔法の威力も絞る。しかし、やはり予想以上の威力が出てしまった。


 魔族……この身体特有の上質な魔力。なおかつ、相手は一度倒したことがある。その経験値も合わさると、一年前に比べて全く苦戦しなかったのは、ある意味理に適っている。


「ふざけるなっ! 我が……この俺がこんな得体の知れないダークエルフ如きに負けただと! ありえん、こんなこと断じてあっていいはずがない!」


 魔王は息も絶え絶えな口調で叫ぶ。その姿はただひたすらに、無様で滑稽。ついさきほどまでの威勢はただのこけおどしにしか過ぎなかった。それは知っていた。こいつは偉大な魔族の王ではない。神に匹敵するなど、何たる烏滸おこがましさか。


 こいつはただの――


「すっかり化けの皮が剥がれてるな。所詮、お前は王の器ではなかっただけの話だ。民を無視し、自分の私欲を追求する。その原理は、ただ神への反抗――くだらない、お前はどこまでも自分勝手な、ちっぽけな魔族。人間にとって、救うに値しない悪なる存在」


 ――清々しさなどまるでない。ただひたすらに空虚。そこに達成感はなく、世界を救ったという実感はない。ただ俺は神の手先となって悪を討っただけ。傾いた天秤を是正したに過ぎない。これは無意味な争いだった。

 そう感じたのは、。魔界に降り注いだ雨を厭わず、茫然と漆黒の空を見上げた。感情を取り戻したのは――


 つかつかと、ひっそりとした玉座の間に靴音が鳴る。視界の端に、魔王の娘が歩み寄ってくるのが見えた。決して不意にではなく、決して彼女の顔に涙は浮かんでいない。


「……お父様。もういいでしょう。あなたは力を以て、この魔界を治めた。であれば、ここはもう退かれるのが道理では?」

「違う! 俺はこの地に産み落とされた瞬間から魔族の王! 神に抗いし、原初の《魔神》の血を引きし者! それがこんなところで――」


 ――スパン。


 膂力を魔法で最大限まで上げた状態で剣を振り下ろす。すると、魔王の右腕が重力に従って床に落ちる。


 耳を覆いたくなるほど醜い断末魔。吹き出す血飛沫は不愉快。やがて真っ黒なタイルに赤い池ができ始める。


「カインっ!」

「……こいつはもはや魔界に取っても害を成すだけ。生かしておく意味はない。――でもミレイに任せるよ」


 もはや俺は魔王への興味を失った。俺が魔王を倒した。それを吹聴して回り、次々と魔族を配下に迎える。それを信じない者は当然は向かってくるだろう。だが、返り討ちにすればいい。覇道を示せば、おのずと国は一つにまとまる。

 そうでなくとも、ミレイがいる。彼女は魔王の娘。最後の魔王の言葉によれば、彼女もまた魔族の王たる資格はある。その威を借りれば、どちらにせよ魔界を統べることは可能だ。


 俺はゆらゆらと玉座に近づいていく。今回の闘い、手に入れたものはあった。魔族のトップとしての立場。これを以て俺は、魔族を救う。

 それが俺の選択、それが俺の生き方、それがきっと――女神アイリスの企てたこと。

 ここから始める。俺の第二の人生を。勇者などという欺瞞の力に満ちた存在ではなく、魔王という確かな力を持った存在として、魔を。もう後悔はないこれこそが、俺の望んだ――


 玉座に腰を下ろす。不思議なことに、暗い玉座に一筋の明るい光が灯った気がした。その光の中に、アイリスの姿を見出して、俺は手を伸ばす――


「カイン。お父様は北の祠に封印しようと思います。それでもう好き勝手出来ないはず。――今回は助かった。ありがとう」

「お礼はいいよ。これは俺のためにやったことだから」

「どういう意味? ――どういうつもり!?」


 俺は血の滴る刃を彼女に向かって突きつけた。ぽたぽたと、雫となって魔王の血が彼女の脚元近くに落ちる。


「わからないか? 俺が――俺こそが、魔王だ。お前じゃない」

「ふざけないでっ! あたしの話聞いてなかったの! あたしが魔王になって、勇者と話し合いを――」

「お前には無理だ。返り討ちになるだけだ。――勇者も魔王と同じ。自分の目の前にある道が絶対的に正しいと信じてる。魔王すら同行できなかったお前に、どうして勇者と話し合うことができる?」

「――そ、それは……。でもあなたも――」

「大丈夫さ、ミレイ。全てが終わったら、あとは《きみ》に委ねる。今は、勇者が来るまでは俺に任せてくれ」


 強い表情で、彼女の顔を見つめる。どこか納得のいってない様子だったが、それでもミレイは最後には首を縦に振った。


 これでお膳立てはすべて整った。後は勇者を待つだけだ――目を瞑ると、身体にエネルギーが滾る心地よい気分がした。

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