第34話 転生(たたかい)の結末

 果たしてどれくらい経っただろうか。ただじっと、俺は奴が来るのを待っていた。玉座に座り、前方にある重たい鉄扉が開くその時を。

 城内に、一人たりとも魔族はいない。元々、魔王――が最小限しか配していなかった。番兵含め、その数少ない魔族を俺が全て追い出した。それが、王となってから初めての命令。そしての、でもある。

 ミレイもまた、その例外ではない。彼女はきっと、二体の意志の巨像と共に、前魔王を封じた祠なる場所にいるはず。確認はしていない。その必要はないから。


 玉座にはなにか仕掛けでもあるのか。座っているだけで、活力が満ちてくる。何をしないでも、勇者を迎え撃つ体制は万全だった。


 胸に去来するのは、あの日街を出てから今日までの日々における数々の出来事。街を一望できるあの丘で無力さに打ちひしがれていた時、女神の手が差し伸べられた。迷わず俺は、その手を握った。間違いなくで。世界を救うために立ち上がった。


 歯車が狂いだしたのは、魔界に攻め込んだ時だ。どんどん人間性が剥がれ落ちていった気がする。アイリスに何かを唆されたわけではない。それでも俺は心のどこかで、神の加護があることを盲信し、唯一のよりどころとしていた。自分の意志、というものはなかった。


 全てが終わった後、あの魔族の娘の――ミレイの慟哭する姿が魂を揺さぶった。押し込めていた想いが一気に逆流した。それ以上あの場に居続けることが辛くて、逃げるようにして地上に戻った。

 

 その後一年もの間世界を彷徨っていたのは、ただ確かめたかった。自分のしでかした行いの正当性を。無辜な魔族を大勢殺してしまってもなお、人間の方が優先されるべき善なる存在だと――


 だが、結果はどうだ。魔族の脅威が去った世界には、また別の脅威が訪れようとしていた。人間同士の争い。全人類が手を取り合わせて生きていくことはない。様々な思惑が織り合わさって、見るに堪えない現実が紡がれていく。人は一元的ではなく、多元的。当たり前のことなのに、俺はそれをずっと見落としてきた。

 

 あの村での暮らしは、ある意味俺の理想的なものだった。共に暮らす魔族にはっきりと邪悪と呼べるものはいなかった。魔族もまた色々な存在がいる。村民たちのように慎ましく穏やかだったり、魔王のように救いようのない邪悪な存在だったり。


 だから、魔族全てを救おうだなんて思っていない。彼らが、人間界を侵略しようとしたのは事実だ。力には力を以て立ち上がる。だが、過ぎたる力は毒になる。勇者は――俺はあまりにも魔界で必要のない犠牲を積み上げすぎた。


 俺はただ、個人として納得のできる道を選びたいだけなんだ。この世界においては、俺はカインという普通のダークエルフだった。しかし地上では違う。カインはいない。いるのは勇者だけ。だから人々が願うままに振舞ってきた。ここでの失敗が、俺に後戻りを許さなかった。


 そして今回は魔王というあり方をで選んだ。後悔はない。世界を救うと決めたあの時と、気分は同じ。


 闇の中で、自分の想いを研ぎ澄ませていく。全ての決着をつけるため。


 ――やがて、鉄扉はゆっくりと開く。





        *





 恐る恐るといった足取りで、侵入者は近づいてくる。剣は抜いたまま。闇の中で、鈍い光を放っている。

 俺は至極落ち着き払っていた。ただあいつが間合いに入るのを優雅に待つ。警戒すべきことは何一つない。

 

 勇者は玉座とかなり距離を取ったところで立ち止まった。


「これは……なんの冗談だ?」

「ようこそ。我が城へ。地上界からやってきた勇者よ」

「我が城……やはりお前が魔王……? だが、お前は未来の俺だと――やはりあれはでまかせだったのか。なるほど、魔界の主ならば俺やアイリスの素性を知っていてもおかしくない。だが、なぜそんな意味のない嘘を」

「最後に訊きたい。刃を退く気はないか? 未来永劫魔界に近づかないことを約束するならば、全てを不問にしよう。こちらもまた、完全に人間界から手を引く」

「くだらない。考えるまでもなく、答えはノーだ。お前らは散々人間界で好き勝手やってきただろう」

「だからそれと同じことをする、ということだな」

「同じ? 違う。人間は善で、魔族は悪。ただそれだけのことだ」


 その言葉を聞いて俺はゆっくりと腰を上げた。剣を抜く。


 やはり勇者もまた救いようがない。もう何を言っても聞く耳は持たないのだろう。彼の道の先には何もない。憐れなものだ。失望を通り越して、怒りを覚える。その愚かな自分の姿に。


 ――両手で剣を握り、刃を立てたまま右に構える。そして、身体を同じ方向に捩じった。一振りですべてを終わらせる。向こうも狙いは同じらしい。

 

 俺と勇者は鏡合わせような形で向かい合っていた。しかし、決してその像は同じではないが。


 奴の剣に集まるのは聖なる光。思わず見入ってしまうほどの神々しさ。あまりの明るさに目がくらみそうになる。全てを優しく包み込み、救いをもたらす至高の輝き

 一方で、俺の剣に集まるのは魔なる光。直視するに堪えない、禍々しさ。吸い込まれそうな闇は底知れぬ不安を抱かせる。全てを飲み込み、無に帰す堕落のくすんだ煌めき。


「……どうしてお前がそれを!? これは俺が女神に授かった――」

「お前が俺、だからだよ――さよなら、だ」

「ふざけるなっ! 俺は魔王になった自分のことなんて認めない――!」


 俺と奴が剣を振るうのは、ほぼ同時のことだった―― 



 周囲には瓦礫の山が広がっていた。辺りは真っ暗闇に包まれている。日頃目にしていた太陽とは違う天球は空に輝いていない。

 力なく空を見上げていると、顔に何かが当たるのを感じた。指先で触れればそれは液体。やがて、ポツポツと空から雫が降り注いでくる。


 ――雨だ。ずいぶんと久しぶりな気がする。それは無遠慮に、俺の身体を流れていく。あっという間に、全身がずぶぬれになった。


 ぼんやりと周りに目をやる。――見つけた。瓦礫の中に、人間の姿がある。まだ息はあるようだった。神から授かった一撃を食らっておいてなお死ねないとは……。自分のことながらその頑丈さが気の毒になる。


 俺は剣を握り直して、奴の方に近づいていった。トドメなんて刺さなくても、そのうちに死んでいく。だがこれ以上、過去の自分を見ていられなかった。誰も俺を救ってくれないのなら、俺が救ってやればいい。単純な話だ。

 足元が不確かな中を、ゆっくりと歩みを進めていく。雨の音に交って、瓦礫を踏みしめる音が虚しく響く。


 結局、あの日と同じ。俺は立場を変えただけ。俺はどうあがいても同じ選択しか取れないらしい。その皮肉さに、俺は思わず歪んだ笑みを浮かべる。


「……残念だよ」


 呼びかけてみるが声は返ってこない。だが、ぴくりと彼の身体は動いた気がした。


 俺は剣を振り上げる。魔力による筋力の底上げをしてない今、この細腕にその重さは重くのしかかる。


「待って――!」


 女の悲鳴――だが、俺は剣を容赦なく振り下ろして――


「やめて!」


 小柄な少女が俺と奴の間に割って入ってきた。彼女は、亡骸になりつつある男の身体を守るように両手を広げる。


 たまらず、俺は空中で刃を止めた。残り少ない魔力を回して。彼女の美しい顔のすぐ前まで迫っていた。あと少し遅かったら、この娘も巻き込んでいた。


「この人は、この人は――」


 私のお父さんなの、と言ったのは一度目の時。その光景が脳裏に蘇ってしまう。不思議と刃が揺れ出した。心臓が一気に鼓動し始める。


「あなたでしょう、カイン。自分で自分を殺すなんておかしいよ!」


 そしてミレイは刃を躊躇いなく鷲掴みにする。刀身から彼女の力が伝わってくる。彼女の手の中からは血が流れていた。雨がそれを押し流していく。


「……知っていたのか」

「ええ。実は聞いてた。二人の話を。――あなたはあたしに催眠魔法をかけられたと思ったらしいけど、それは違うわ。そんなもの、魔王の娘であるあたしには効かない」


 彼女が相当な演技派だということを、俺は思い出した。なにせ長年の間、自分の村の領民に自らの素性を隠し続けてきたくらいだ。


 自分の詰めの悪さが笑えてきた。自虐的に頬を緩める。彼女の顔に、ただぼんやりと目を落としていた。


「ねえ、どうして? どうして、勇者を――この人を殺そうとするの? だってこの人、あなたなんだよ!」

「これしか方法はない。過去の俺だから、自分のことはよくわかってる。俺は止まらない。最後の瞬間まで決して。魔界を救うにはこれしかない。こいつは危険だ」

「――それは違うでしょ。こんなことをしても、何の解決にはならない。失った命は返ってこないわ」


 そうだ。そんなことはわかっている。だが、せめてもの手向けになる。それに、これ以上勇者が間違わなくてすむ。解決にはならなくても、意味は持つ。

 ミレイの瞳はどこまでも悲しそうだった。まるで俺を哀れんでいるかのような――心の底が見透かされているようだ。


「あなたは昔の自分が許せないだけよ。何があったかはあたしは知らない。でも、これがよくないことだっていうのはわかる。こんなの、ただ過去を否定するだけじゃない! でもそれは無理だよ。あなたは今ここにいる。だったら、あなたの感じた想いの全てを無かったことにはできない。それらはすべて真実だったはず! ……本当はカインにもわかってるんじゃないの!」


 ミレイは感情のままに叫んでいた。その目からこぼれた一筋の並みが、自然に頬を伝っていく。


「……どうして、だ。どうして、お前は俺の邪魔をする? 俺と勇者の話を聞いていたんなら、こんなことをするのはおかしいじゃないか。むしろ、俺たちの命を奪おうとしたって、おかしくない。お前にはその権利がある」


 そう。それは、あの時俺の両親の墓の前で、俺を刺殺した時のように。むしろ、そっちの方がしっくりくる。彼女がこうして悲痛な表情で俺を止め、勇者を守ろうとするのは理解できなかった。


「だってあなたは魔族のことを大切に想ってくれてる。村での過ごし方を見てればわかるわ。勇者だったあなたがそんな姿になって、それでも平気な様子であたしたちと過ごすなんて、きっと色々な葛藤があったんだと思う」


 俺はただ黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。その言葉は抵抗なく俺の心に染みていた。


「だからこそ、あなたに間違ったことをして欲しくない。これからも力を貸して欲しい。あなたと、あたし。そして、勇者。三人の力を合わせれば、きっとよりよい未来を切り開けるはず。人間にとっても、魔族にとっても!」


 ミレイは力づよい表情で俺の顔を見つめてくる。それは彼女の心からの言葉に思えた。考えてみれば、彼女は他の魔族とありようが違った。この運命を受け入れていた。人と魔族、両方のことを考えていた。


 その時ふと、魔王の亡骸に駆け寄って泣き崩れていた魔王の娘の姿を思い出す。俺はそこに何を見出したのか。――人も魔族も変わらない、とはっきり思った。

 俺にも彼女と手を取り合わせる未来はあったのだ。だが、それを放棄したのは自分だ。今目の前にいる勇者じゃない。


「――ミレイ、彼を治療してもらえるか? 俺にはもう魔力なんて残って無くて」

「カイン……! ええ、わかった。任せて! 絶対救って見せる!」


 意気揚々と後ろを振り返るミレイ。その手に、淡い治癒の光が宿るのが見えた。それを見て、俺は心の憑き物が落ちたようにすっきりしていた。


 これでいい。これこそが、俺の選ぶ道だった。やっとわかったよ、アイリス。天を見上げると、雨はすっかりやんでいた。


 俺は剣をそっと腕の高さまで持ち上げる。その切先を自分に向けた。ミレイは治癒魔法に集中していて、こちらに気付いたところはない。


 躊躇なく、俺は自分の胸に刃を突き立てる。もうこの世界に自分は――魔王とまで成り果てたカインは不必要だ。魔王は倒されたのだから。


 身体から力が抜けていく。俺はそのまま地面に崩れ落ちていった。ゆっくりと、瞼が自然に落ちていく。


 その時、身体がふわっとした温かい何かに包まれるのを感じた。


「ワタシはね、別に一度だってカイン――キミのことを道具だと思ったことはないんだよ?」


 薄れゆく意識の中に、いつもずっとそばにいたものの声が聞いた。ああ、そうか。俺は独りよがりだった。勇者という像に勝手な想いを抱いていたのは、他でもない俺だったじゃないか――

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