第32話 逆転
勇者と遭遇してから数日後。俺たちはついに魔王城へとたどり着いた。ミレイが近道を知っていたため、あいつの先を越せたらしい。
俺はこの城のことをよく覚えていた。激しい闘いの影響で、粉々に崩れ去ったはずなのに、確かに目の前に存在する。もうこの時点では、ここが過去の世界だとは微塵にも疑っていなかったが、最後のピースが埋まった気分だ。
門の前に立ち止まり、その外観を仰ぎ見る。黒いレンガが積み上げて作られたそれ。城門の造りは強固、はみ出て見える城上部は豪華。周りの暗さも相まって、かなり不気味な雰囲気を醸し出している。
この奥に魔王がいる。そう思うと、身体中の血潮がふつふつと燃え上がっていく気がした。昂る神経を抑え込むように、ぐっと深く息を吐く。
入口には、巨人像が二体建っていた。ぱっと見た感じでは、ただの作り物に見える。だが俺は知っていた。この二つが、魔王城を守護する番人であることを。しかし、俺たちがここにいるのは気づいているはずなのに、その目は少しもこちらを向いていない。
ゆっくりと、ミレイが城門に歩み寄っていく。俺は黙ってその後ろに続いた。剣の柄に手を掛けながら。いつでもそれを抜き、石像を粉々に打ち砕く準備はできている。
「あなたたち、あたしのことはわかるわね?」
ミレイが呼びかけると、両者の顔が彼女の方を向いた。
「ええ、見紛うはずがございません。ミレイ様、偉大なる魔王ザッシュルーグ様のご息女様」
「なら話は早い。ここを通してもらえるわね。あの人に会いに来た」
今度は答えはなく、代わりに地面が激しく揺れた。ドシン、ドシンと轟音が鳴り響く。二体の石像が動き出した。そして城門を塞ぐような立ち位置を取る。二体が持つ三叉の槍が、通せんぼをするように交差した。
「どういうつもり?」
「何者たりともここを通すなと、魔王様に申しつけられておりますので」
「あたしはこの世界の王女よ。それに記録上の一人娘なんだけど」
「存じ上げております。しかし、それが承った命令を覆す理由にはなりません」
「魔界の危機なのよ? こんなくだらないことをしている暇はない」
「それを決めるのはあなたではありません。――魔王様だ!」
「――危ない!」
俺は咄嗟にミレイの身体を引き寄せた。そして、そのまま後ろに向かって思いっきり跳ぶ。
先ほどまで彼女がいた場所に、巨大な拳が振り下ろされた。強い振動に、思わず身体がよろめきそうになる。
「ちょっと本気なの?」
「みたいだな。――下がってろ」
彼女を下ろすと、俺は右手をすっと前に突き出す。石像系のモンスターの弱点は強い衝撃。であれば、魔法攻撃の方が戦略を立てやすい。
魔力を練り上げて、胸の内に呪文を浮かべる。魔力の奔流を右手に感じながら、一気に拳を握った――
「――っ!」
最上位爆発魔法。二体の石像を結んだ中間点で、爆音とともに巨大な烈しい閃光が起こる。その衝撃波は大気を震わせて、ぱらぱらと外壁や土を吹き飛ばす。思わず目を瞑ってしまうほどの強風が起こった。
「すごい……」
視界がクリアになると、巨像は二体ともその身体が大きく削られていた。大打撃を与えることには成功したらしい。
「まだやるか? 力の差は明らかだと思うけど」
「痴れたこと。我らは、ここの守りを司りし者。命に代えても、不埒な侵入者を通すわけにはいかん」
「俺たちは同じ魔族だろう。しかも、俺の後ろにいるのはこの城の主の娘。お前たちのいう不埒な侵入者には該当しないと思うが」
「そうよ。あなたたちだって知ってるでしょ。今この世界に何が起きているか。とうとう上の世界から神の御使いである勇者がやってきた。このままだと、あたしたちに待ち受けるのは破滅」
「だからこそ、だ。魔王様に対して、よからぬことを企んでいる者がいてもおかしくはない」
「この期に及んで、そんなに自分の地位が大事なの、あの人は! くだらない。心の底から軽蔑するわ」
ミレイが嫌悪感を隠さず、吐き捨てるように言い放つ。そのまま沈黙の時間がやってくる。俺はただひたすらに向こうの出方を待っていた。できることならば、あまり不必要な犠牲は払いたくない。
「……ミレイ様は今更なぜ戻ってきたのですか?」
石像が口を開く。その表情に変化はないが、口調にはなにか悲痛な感じが含まれている。
「この世界を救うために、よ。これ以上、父の好き勝手にはさせない」
「世界を救う、か。――どうするおつもりですか?」
「おい、お前。何を言ってる! 我らが王に逆らうつもりか?」
そこに食って掛かったのはもう一体の石像。
「おかしいと思わないか? 勇者の接近という危機を前にして、なぜ我らは同じ魔界に住む者同士で争う必要がある?」
「……それはそうだが。命令に逆らうわけには――」
「我らが本当に守るべきものは、なにかという話だ。兄者よ」
その言葉に、非難の声を上げた石像は押し黙る。彼の中で、必死にその意味を咀嚼しているのかもしれない。俺は少しだけ警戒を緩めて、答えが出るのを待った。
「とりあえず、ミレイ様。お話をお聞かせ願いますか?」
「ええ。――あたしは、魔王になるためここに来た」
それはここまでの道中で彼女が示した強い決意だった――
*
「それ、どういうことだよ?」
勇者――過去の俺との闘いから一夜明けて、ようやく立ち直りかけていた。自己満足かもしれないが、このまま見過ごすわけにもいかない。そう思うことができたことに、明るく気高く振舞うミレイの影響があったことは否定できない。
すると、やはり彼女の狙いが気になった。魔王城を目指す――それは奴も一緒だ。初めは彼女は奴を追うつもりなのかと思っていた。だが、俺の知っている道を外れた辺りから、どうも気色が違うことに気が付いた。
それで、その目的を尋ねてみた。
「魔王は――父は地上を手に入れることに固執している。この不毛な大地とは比べ物にならないほど、豊沃な大地を心の底から欲しがった。そういう邪な心が、神があたしたち魔族を人間と切り離した原因なのにね」
……彼女の言葉を信じれば、俺たち人間と魔族はかつて一緒だったということか。それが異なる存在として共存していたのか。それとも、人と魔族が同じ存在だったのか。その正しいことまでは、彼女の言葉のニュアンスからはわからない。
だが、俺にとって初めて耳にする事実だった。女神は――アイリスはそんなこと何一つとして教えてくれなかった。俺もまた、魔族の存在を疑問に感じていなかった。人と魔族は決して相容れないものだと思っていた。
「そんな存在が魔界を治めているようじゃこの先の未来はない。あたしたちは与えられた世界で、分相応に生きるべき。それがあたしの意見」
「それを魔王に――父親にはぶつけなかったのか?」
「もちろん、言ってみた。でもすぐに撥ね退けられた。なぜ自分たちを見捨てた神々に付き従う必要があるのだ、ってね。そして、あの村に左遷されたわけよ」
ミレイはそれを何でもないように語る。
「だから、あたしはあそこで自分の信念を実現しようと思った。この村の魔族たちだけは何があっても守り切る。決してこの土地から放しはしない。……それは今から考えれば、あたしのエゴにしかすぎないけど」
皮肉げに語る彼女に、俺はなんと言葉をかけたらいいかわからなかった。俺にわかるのは一つだけ。彼女は自分の間違いに気づくことができた。そして、それを正そうとしているのだ、と。
「――っと、そんな意味のない無駄話をする時間はないわね。とにかく、あたしは魔王になって、もう二度と魔族が地上に出ないように管理する。この世界だけで、満足して暮らしていけるようにする。そうすれば、もう争う理由はない。お父様も話せばわかるはず。勇者もきっと理解してくれるはずよ。痛み分け、ということで和解してもらうしかない。……相当身勝手なことを言っている自覚はあるけど」
理屈はわかる。だが、それは夢物語じゃないのか? 実現可能性があまりにも低すぎることに、俺には思えた。まず魔王になることすら難しいだろう。彼女は説得してみせると息巻いていたが、それは無理だ。相対した時にわかった。あれは神に似た傲慢さを持っている。
それになにより、ここまで来たらもう手遅れだ。彼女が――魔族が地上から撤退する意思を見せたとしても、勇者は決して引くことはない。それを信用することはないからだ。……俺とは違って。
だが、今の魔王を玉座から引きずり下ろす。それだけは間違っていないと思えた。今の魔王が改心することはおそらくないだろうから。起こしてしまった出来事は、決して覆ることはない。
だから、ひとまずは表面的に彼女に同調した。そして、魔王城までやってきた。全ては、魔界を統べる王を新たなものにするために――
俺とミレイはほぼ一本道に玉座の間までやってきた。城内はひっそりと静まり返っていた。その理由はわからない。勇者の進撃を警戒するのであれば、びっしりと魔族たちがいてもおかしくはなさそうだが。
あの時もそうだった。城門にて、あの門番像を葬った後、容易く城に潜入できた。そして今と同じように、魔族の妨害を受けることなく魔王と向かい合えた。……道中はかなり入り組んでいたが。
「ミレイか。そして、見慣れぬ顔だ」
今、目の前にいるのが全ての元凶――魔王。身長二メートルくらいの人型。だが、決してその身体的特徴は人と全く同じとは言えない。
「彼はカイン。あたしの協力者。――お父様。いえ、魔王ザッシュルーグ。その王位を譲り受けに参りました」
「はっはっは。暫く見ぬうちに、ずいぶんと面白い冗談が言えるようになったな。お前の生真面目さは我が悩みの種であったが、これはいくばくか溜飲が下がる」
魔王は決して、娘の言葉を真に受けていないようだった。玉座にふんぞり返ったまま、傲慢な笑みは崩さない。
「……本気で言ってるんだけど。あなたに、この世界は救えない」
「くだらん。我以外に、この世界を治められるものはいない。一度だけ言う。今すぐ立ち去れ。であれば、全てを不問にしよう」
「気づいているはず。このままいけば、あたしたちは勇者に――神の力によって滅ぼされる。それだけは避けなければ――」
「笑止! 勇者などという、
ゆっくりと、魔王が玉座から立ち上がる。その顔からはすっかり笑みが消えている。
――闘いが始まる。俺は一つつばを大きく呑み込んだ。そして、ミレイに優しく話しかける。
「ミレイ。説得は無駄だ。ここから先は俺に任せてくれ」
「そんなことはない! お父様だってちゃんと話せばちゃんとわかってくれるはず! ――お父様、こんなことは無意味よ! このまま本当に魔族を滅ぼすつもりなの?」
「貴様に何がわかろうか! 我ら魔族は悠久の時を、この暗黒の大地に押し込められて過ごしてきた。それはただの屈辱だ。決して受け入れることなどできん。――ミレイ、貴様にはがっかりだ。我の血を本当に引いているのか、怪しくなるくらいに矮小。同じ娘ならば、やはりあの村に捨ててきたものを――なんだ、いったい?」
俺は大きく前に進み出る。そして、魔王とミレイの間に割って入った。剣を抜いて。
初めから決めていたことだ。ミレイに全てを任せるつもりはなかった。魔王になるのは彼女ではない。
「――俺がお前を倒して、その玉座に座らせてもらおう!」
「カインっ!」
「ふははっ! 面白い、面白いではないか。ただのしがないダークエルフの分際で、その大口。――ミレイよ、よほどこの者の方が豪胆さがあるぞ?」
「――よく喋るな」
俺はすかさず魔王に斬りかかった。それを奴は避けようとしない。刃がその身体に触れた瞬間、奴はすかさず距離を取った。
「貴様っ――!」
「これくらいでビビってもらったら困る。本気で来いよ。また、ぶっ潰してやる」
「また、だと? 我は誰にも負けん。貴様にも勇者にも、あの神々にさえも! 必ずあの光り輝く大地を我が手中に収めてみせる――」
ミレイの悲鳴が玉座の間を駆け巡った。しかし、それは戦いの火蓋を切る合図にしかならなかった――
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