第31話 対話と刃

 剣を何度か交え合う。まるで鏡の中の自分を相手にしているような感覚だった。闘い辛くて仕方がない。

 だが、それは相手も同じようで――


「お前、いったい何者だ? さっきからどうも動きが俺と似すぎている」

「ただのしがないダークエルフ、さっ!」


 ひときわ強い力を込めて、相手の剣を弾いた。その身体が大きく後ろに退いた。俺は距離をとったまま、構えを取り直す。


「お前は何のために闘ってるんだ?」

 静かに相手に問いかける。


 その答えは俺が一番よく知っているというのに。それでも訊かずにはいられなかった。相手の刃から、迷いがひしひしと伝わってきた。

 まだ勇者の覚悟が決まってないのなら――俺は一つの可能性を思いついていた。あの時の俺にはとうとう取りえなかった選択肢。だが、今ならば。


「お前たち魔族が俺たち人間にした仕打ちを忘れたとは言わさないぞっ!」


 向こうから突っ込んでくる。やはり落ち着いて対話するということはやはり不可能に近い。

 再び、戦闘が始まる。まだ様子見のつもりなのか、魔法は交えてこない。俺もそれに合わせて、ただ剣を振るうだけ。


「お前も気づいているはずだ。全ての魔族は悪じゃない。元凶は魔王だ。奴を倒せば全てが終わる」

「ふざけるなっ! どの口がそれを言うんだ!」


 今度は剣同士がぶつかり合うことは少ない。互いに、相手の身体を狙っていた。勇者は致命傷を、俺は自由を奪う一撃を、その目的は違う。それを躱し、攻撃の後の隙をつく。その応酬の最中、俺は対話を試みる。


「確かに魔族は多くの人間の命を奪った。地上を荒らした。でもそれはお前も一緒だ。お前が殺した魔族の中にも、無辜に暮らしているものがあった。それを目の当たりにしたことは――」

「黙れっ! 今さら同情を誘うつもりか? 魔族であるお前に言われても、それはなんの説得力もないっ!」


 俺の斬り下ろしを勇者は剣を横にして受けた。微かな反動が俺の身体を襲う。力は拮抗して、刃はぴたりと止まったまま。

 そして、奴は左手を速やかに引いた――


雷鳴よ、走れビハ・トール!」


 一気にその手に魔力が集中していく。その魔法は、最上位の雷魔法。魔力を雷に変換し、太い柱状のエネルギー波として発射する。

 この距離では避けるのは間に合わない。だが――


「――っ!」


 人間体と魔族体の一番の違いは、魔法発動時の手順にある。呪文を口で唱える必要があるか否か。

 

 だから、奴にとってそれは不意の一撃だった。まっすぐに向かってきた雷撃魔法が空中のある一点で跳ね返る。それは瞬く間に相手を飲み込んでいった。


 魔法を反射する魔法。上位の魔族と闘う時、一番気を付けなければいけないのがそれだ。確かに攻撃魔法は、簡単に大ダメージを与えることができる。しかし、強い力にはリスクがある。常に跳ね返しや無効化には注意すべき。

 それは奴もわかっているはずだ。しかし、不用意に大技で決めに行ったのは、心が乱されたからだろう。この期に及んで、奴はまだ非情になり切れていない。そこがつけ込むことのできる隙――


「くそっ、反射魔法まで使えるのか……」


 光が晴れると、大きく態勢を崩した勇者の姿がそこにはあった。我ながら、無様な姿だと思う。どうやら反撃されることは全く頭になかったらしい。


「今までの道中苦労しなかったからって、舐めてもらっちゃ困る。俺は普通の魔族とは違う」

「みたいだな。正直、今まで闘ってきた中で一番厄介だと思ってる」 

 言いながら、奴は治癒魔法を唱え始めた。見る見るうちに傷口は塞がっていく。


「そういう意味じゃない。俺は……お前だ」

「――何を言ってる? 意味のわからないことを」

「正確に言うならば、今から一年後のお前だ。アイリスの悪巧みによって、この姿に変えられた」

「……どうなってる、アイリス?」


 勇者は俺から視線を外して、何もない空間を見つめている。……どうやら会話をしている様子だ。だが、相手の姿は俺には見えなかった。


「お前には女神の姿が見えないようだな。もし本当に未来の俺だというならば、どうしてそんなことがある? お前はただの頭のおかしい魔族だ。どこでこの女神の名前を知ったかはしらないが、でたらめなことを言うなっ!」

「信じられないかもしれないが、本当だ。俺はお前――カイン・ラグード。故郷は港町ベルクラー。十二歳の時に、魔族の大群が攻めてきてアイリスと出会った。そして、今日まで魔王を倒すための旅を――」

「黙れ。お前が一年後の俺かどうかは、はっきり言ってどうでもいい。今のお前のその姿は紛れもない魔族。そしてこうして闘いを挑んでくるということは、魔族側につくということだ。……むしろ同じ自分として、吐き気がするっ!」


 その目に強い光が宿った。傷はすっかり回復している。そして、見る見るうちに相手の身体の魔力が高まっていく。


「俺たちが闘う理由はないはずだ! 俺にはお前の気持ちがわかる。今までの道のりで、数々の後悔をしてきたはずだ。疑問が積みあがったはずだ。このまま魔界を突き進んでいくことに、目についた魔族全てを打ち倒すことに」

「くだらない。それしか道はない。それは単に、俺の心が弱いからだ。魔族の全てを滅ぼすことしか、人間界に平和は訪れない。逆に聞くが、ここで闘いを止めたとして、お前はどうやって平和の保証をするつもりだ? そんな力はないだろう。俺とお前が和解したところで、何にもならない。それは単なる、自己満足だ――!」


 究極剣技――魔界に来る前にアイリスに教わった最後の技。自分の全ての魔法を剣に込めて、ただ振り放つだけ。しかしその威力は全てを滅ぼす。俺が魔王との闘いの際に、最後に使った技。


 俺は、何もできずにただ立ち尽くしていた。目の前には、巨大なエネルギーの塊が迫ってきている。淡々と地面を飲み込んで、その大きさは増していく――


 自己満足――その言葉が、ひどく頭に引っかかっていた。確かにそうだ。俺があいつを止めたとして、何がある? もう闘いは終盤。すでに多くの魔族の命が失われている。ついさっき、一つの命の終わりを見送ったばかり。

 それなのに、俺は救えると勘違いしていた。そのためにアイリスがここに送り込んだのだと。

 だがそれは違う。俺の心の凝りを解消するための茶番だ、これは。過去の俺に後悔させない道を取らせて、この胸の中の複雑な気持ちを飲み込みさせる。そのための行為――儀式のようなもの。女神のやりそうなことだ。神々が何かをするには、人々の祈りが必要。これはその逆を追っているにすぎない――


 その無意味さを痛感したから――


「あぶないっ――!」


 途端、誰かに身体を強く引っ張られた。そのまま転倒して、二人地面を転がっていく。やがて、さっき立っていた場所から少し離れたところで止まった。

 俺はそっとその人物の顔を確認する。


「ミレ――」

「静かに」

 今度は口を塞がれる。


「くだらない。魔族は悪、それが全て。そうだろ、アイリス」


 顔を上げて先の方を見ると、あいつが力なく立ち尽くしていた。なぜだかこちらの様子には気が付いていない。

 そのまま立ち上がろうとしたら、意外なほどに力強く魔王の娘に身体を押さえつけられた。不思議なことに、全くそれに抵抗ができない。


 勇者はそのまま歩き去ってしまった。魔王城の方向に向けて。その足取りは力づよい。そして背中からは悲壮な程に強い覚悟が伝わってくる。


「行ったみたいね」


 しばらく時間が経ってから、彼女は立ち上がった。ポンポンと衣服についた土ぼこりを払っている。

 俺も呆気にとられながら身体を起こす。


「どういうことだ?」

「あたし、防衛魔法が得意なの。気配を周りから、完全に遮断してた。村近くのあの森あるでしょ。あれ、迷宮化させたのはあたし。着任当初にね。村民たちとの認識の齟齬は、暗示をかけた」

「……さらっととんでもないことを明かしたな」

「仕方なかったのよ、みんなを守るため。不要に街まで出て行かれたら困る」

 彼女は悪びれもせずに答えた。


「どうして俺を助けた?」

「だって、あなたの力が必要だから」

「……話、聞いてなかったのか?」

「……話って? あたしはついさっきここに来た。そしたら、なんかすごい魔法に襲われているあなたがいた。それだけ」


 そのまま彼女の顔を見つめるが、その真偽は全くわからない。だが、すぐにそれはどちらでもいいことに気が付いた。俺にはもう闘う理由はない。


「勝手にしてくれ。俺はもう疲れた」

「疲れた……って、困るわ。勝手に初めて、勝手にやめないで。魔界を救うつもりだったんでしょ?」

「そのはずだったけど、あいつは止まらない。止めたとしても、その後はない。俺は何も救えなかった」

「――あたしの村を助けてくれたのはあなたよ? もしいなかったら、もっとひどいことになってたと思う。ウンディーネが死ぬと、泉は枯れる。森の魔物を倒さないと、薬は尽きる。あなたの仲介が無かったら、あたしはたぶん村を出ていた。――まだ必要?」

 挑むような笑顔を浮かべて、彼女は俺を見上げてきた。

 

 本当にそうだろうか。だが、彼女に何かがあったのは事実だ。なぜあの瞬間――終わりの時に、この娘は魔王城に姿を見せたのか。それは謎だ。それを知るのは、今目の前にいるミレイではない。


 俺がいるせいで何かが変わっている。それは確かなのだろう。であれば――


「……どうするつもりだ?」

「魔王城に行く。とりあえず、あの人の所へ。――ついてきてくれるわよね」


 俺は黙ったまま頷いた。くるりと踵を返すミレイの後に従う。


 何かできることはあるかもしれない。彼女が――魔王の娘がまだあきらめていないようだから。

 それだけが、今の俺の頼りだった。魔族として、魔王の娘に、魔王に頼る。――その皮肉な運命に、俺は苦々しい思いが胸の中に広がっていくのを感じた。

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