第30話 神の悪戯
目の前には、ひたすらに乾いた大地が広がっていた。――ああ、ここは確かに見覚えがある。俺の知っている魔界とはこんな世界だった。
振り返ると、鬱蒼とした森。この中を抜けるのに、そんなに苦労はしなかった。ミレイについていくと、本当にあっという間の出来事だった。
「ミレイ、街はどっちだ?」
「あっちよ……やっぱりついてきて正解じゃない」
彼女はすっと腕を伸ばした。その人差し指はピンと伸びている。だが、俺には何も見えなかった。殺風景な荒野がずっと続いているだけ。
「まあ距離はあるわよ」
「みたいだな。――お前は移動魔法が使えたりしないのか?」
「残念ね。ヴぃヴぃも連れて来ればよかったわ」
うんざりした様子で肩を竦めたミレイは、そのまますたすたと歩き始めた。魔王の娘ならと少しは期待したが……まあ使えるなら、初めから地道に森を抜けたりなんかしないか。
だが、のんびりと歩いている暇は俺にはない。早いところ、まずは勇者に会わなければ。短く呪文を唱えると、脚部に熱がこもっていくのを感じる。
そのまま駆け出す。そして、引っ掛けるようにしてミレイの腰に右手を回した。抱き寄せて、一気にスピードを上げていく。
「ちょっと何するのよ!」
「舌噛んでも知らないぞ。――急がないと全てが手遅れになる」
「……わかったわよ、もうっ! バカ」
軽く殴られた。だが、それ以上気にもしていられないので、何もなかったことに。そのまま力強く地面を蹴っていく。
走りながら、記憶を探っていく。街……かどうかは不明だが、一際大きな魔族たちが集まる場所を差し掛かった覚えはあった。今にして思えば、確かにその見た目は町と呼んで差し支えなかった。
地上にいる魔王軍を粗方倒しつくした俺は、女神の導きに従い、魔界にやってきた。そして、魔王の居城目掛けて前進を続けた。その道中、多くの魔族を――数々の集落を滅ぼしてきた。あの頃の俺にとっては、全ての魔族が悪だった。
今思い出した街らしき場所もその一つだ。ぐるりと、円形に壁で囲まれていた。立ち並ぶ家屋はレンガ製だった。低いものが多かった。そして、たくさんの魔族がいた。
俺は連中を薙ぎ払い続けた。磨き上げた剣技を、精度を高めた魔法を、ただ機械的に振るい続けた。長い旅路の果てに、俺は神が用意した世界の秩序を守るための装置になり果てていた。
ようやく、視界の先に見覚えのある壁が見えてきた。しかし、少し崩壊している。その内部からは煙が立ち上っていた。
俺は立ち止まって、ミレイを下ろす。彼女は俺を一睨みした後、その身体を正面に向けた。
「あの囲まれているのが――」
「そうセントラル。魔王城に向かう前、最後の都市部。でも、手遅れだったのかも……」
悔しそうにミレイは唇を噛んだ。
とにかく、近づいてみるしかない。だが、ミレイを連れていくつもりはなかった。もし勇者があいつならば、彼女がその場にいるのは不都合なことしかない。
だから――
「ミレイ、ちょっとこっち向いてくれるか?」
「なによ――って、あれ……」
催眠魔法。魔王の娘ということで耐性があってもおかしくは無かったが、効いてよかった。その身体から力が抜けて、そのまま地面に崩れ落ちそうになる。
俺はそれを抱き留めると、少し逡巡したが地面の上にゆっくりと横たえた。目が覚めたら、きっと激怒するだろうな。軽く苦笑いしながらその場を離れる。
街に近づくにつれて、空気がひりついていく。その内側から、激しい爆発音や、悲鳴が聞こえてくる。――間違いない、今、勇者は中にいる。
壊れた門を通って、中に侵入する。いきなり目に入ってきたのは、倒壊した建物。辺りには欠けたレンガが散乱している。
魔族の亡骸が転がり、その血が地面を染めている。鼻につくのはむせるような死臭。腐敗臭や焦げ臭さ。惨劇の痕跡が、目の前に広がっている。
――戦闘音が聞こえてくる。俺は足音を殺して、慎重にその方に歩いていく。途中悪いとは思ったが、魔族の死骸から未使用の剣を回収した。それを腰に携える。手はずっとその柄に添えたまま。
やがて音が止んだ。怪訝に思いながらも、そのまま急ぎ足で進んでいく。
広場があった。ここが一番先頭の被害が激しかった。壊れた建物の数も、魔族の死体の数も、夥しい。だが、それを成し遂げた人物の姿はない。生きて動いているのは、俺一人だけ。
そうして、周囲の様子に目を配っていると――
「大丈夫か!」
倒れている魔族の姿の中に、微かに動いているものを見つけた。俺は瓦礫の山を退けながら、急いでそこを目指す。
それはリザードマンだった。かなり破損しているが、防具を身に着けているところを見ると、兵士なのかもしれない。
俺は屈みこんで、その首筋に手を当てた。脈は弱いが確かにある。耳をすませば今にも消え入りそうな呼吸音がする。しかし、その身体には激しい傷が目立つ。
その背中に手をかざす。心の中で、そっと治癒魔法を唱えた。俺の両手から、淡い緑の光が発生する。それは癒しの光だった。
徐々に、目立つ傷が塞がっていく。だが、そのスピードは恐ろしく遅い。治癒魔法は本人の生命力に依存する。これはつまり――
「しっかりしろ! 大丈夫だ、助けに来た」
「う、うぅ……」
何度か呼びかけると、ようやく言葉が返ってきた。俺は縋る思いで、手に込める魔力を強めていく。
「気分はどうだ?」
「おれは、もうだめだ……じぶんでもわかる……」
「そんなこと言うなっ! 気をしっかり持て!」
「あいつを、とめてくれ……あいつはいま、まちをでて――」
兵士が腕をのろのろと上げて、ある一点を指し示す。だが、それは一瞬のことだった。すぐにその手は力なく落下した。
どんなに治癒魔法の効力を高めたところで、もう傷が塞がることは無かった。気が付けば呼吸音は止み、その身体は微動だにしない。それでもなお必死に、俺は腕をかざし続ける。
助けたかった、目の前で、魔族の命が奪われるのをこれ以上黙ってみているつもりはなかった。だからこそ、あの村を出てここまで来た。だが、俺は間に合わなかった。
ゆっくりと立ち上がる。記憶にある光景と、何ら変わりはない。あの壊れかけの噴水は見覚えがある。ここが最後の分岐点だった。あれを見て、俺にも感じるところはあった。だが、無視をした。
俺は兵士が指し示してくれた方向に向かって走り出した。もし彼の助けがなかったとしても、俺はこの方向を目指していただろう。
――予感はずっとあった。たぶんそうだろうとは思っていたが、確信に変わらなかっただけだ。それは決して信じたくなかったわけではない。むしろどこか、期待していた。そうだったらいいのに、と。
だが、それをすぐに認めることはできなかった。ありえない、それはあまりにも都合がよすぎる。いくら女神でもそんなことはできない――否定しようとするのは、冷静であり続けたかったからだ。
街を出て、再び荒野に出た。ずっと走っていくと、やがてごつごつとした岩場に行きついた。ここははっきりと覚えている。この先一層道が険しくなり、その先に魔王城があるのだ。その姿はここからえは見えないが。
そこに、人型のシルエットを見つけた。マントをはためかせて、一心不乱に進んでいる。距離が縮まるにつれて、細身ながらがっしりとした体型は男に見える。彼は、ボロボロの道具袋を担いでいるのが目に入った。
その時だった――
「――っ!」
「生き残りがいたのか」
突然、向こうが身を翻してきた。勢いそのままに、切り込んでくる。刃が斜め下から迫ってくる。
それを、俺は咄嗟に受け止めた。剣を抜く準備はいつでも駅ていた。ギリギリとお互いの刃がぶつかり合う。
男の顔がはっきり見えた。それは、俺が最もよく見知った顔だった。
「お前が勇者だな」
「こんな場所でその名を訊くとはな」
皮肉下に相手の顔が歪む。そして剣を弾き合う。距離が大きく開いて、俺はぐっと構えを取り直した。
カイン――一年前の俺が、そこにはいた。
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