第29話 決意と別れ

 突然現れたその魔族の言葉に、広場の喧騒は一気に収まった。全員の視線が、その部外者に注がれている。


「それは本当なの?」

「はい、間違いありません。近隣で目撃証言が確認され、慌ててこちらに参りました」

「ミレイ、どういうことだ?」

「そうね、簡単にだけ説明しておくわ」


 彼は近くの街に駐屯する兵士らしい。ミレイとは城にいた頃の付き合い。それで街に異変があった際に、真っ先に知らせるように頼んでいた。

 そして今日そのがやってきた。勇者がすぐ近くまで攻めてきた。


「みんな、ウォルの言う通り。戦争はまだ終わっていない。それどころか、地上から逆に攻められている。たった一人の人間らしいんだけど、もういくつもの村を滅ぼしているわ」


 事実が確かなものになって、村民たちはざわつき始めた。その危機に誰もが怯えている。ウォルの顔も、少し強張ったのがはっきりわかった。


「もしかすると、この村にもやってくるかもしれません」

「でもあの迷いの森があるんなら大丈夫じゃないのか?」

「あれも完璧じゃない。破る手段はいくつかある。例えば、燃やす、とかね」


 燃やす……記憶を探ってみたが、それなら大丈夫なように思えた。だが、油断はできない。ここに魔族としての俺がいる時点で、歴史が替わっているのは確かだ。

 いや、そもそも。ここが一年前だという確証はない。色々な要素を考慮すると、その可能性が高いだけ。

 くそ、アイリスはいったい何をしているんだ。なぜ一向に姿を見せない。あいつに話を聞ければ、全て解決するというのに。


「ミレイ様、私たちこれからどうすれば……」

「すぐにでもここから逃げましょう」

「逃げるって、この村はどうするんだい! 畑も家も、全部放り出せって言うのかい!」

「そうよ。残念だけど。みんなにはつらい選択になるだろうけど、全ては命あってのこと。そうでしょ?」


 その言葉に、反論した魔族は黙り込んだ。他にミレイに意見する者はいない。彼女は険しい顔のまま話を続ける。


「念のための準備は館の地下にできている。確認次第、出発しましょう」

「でもどこへ逃げるんですか? 街の方に行くとしても、そのユーシャとかいうのと遭遇したら……」

「ええ。だから、南の山脈を越えるわ。ちょうど勇者が来た方向に進めば、鉢合わせすることはないはず。彼の狙いは、魔王の命だろうから」


 それは理に適っているように思えた。村民たちの中にも、頷いている者がいる。


「しかし、向こうの山道は険しく強い魔物も出るんじゃないのか?」

「ええ。でも、このまま村に籠っているのは得策とはいえない。それしか方法はないわ」

 するとミレイは身体を気まずそうにしているウォルに向けた。


「あなたには、みんなの護衛を頼みたいのだけれど。こんなことを言う資格はないのはわかっている。でも――」

「ふざけんなっ! ……と言いたいところだが、これを断ったらあんたと一緒になっちまう。それに、この村には世話になったしな」


 ぶっきらぼうに答えてウォルは顔を背けた。彼が目を向けた方には、グルーとアレンの母親がいた。

 こんな手段に出た彼だが、きっとその性根は心優しいのだ。思えば、ミレイに詰め寄ったのだって、自分の村のことがあったから。そんな彼の対応を見て、俺は少しほっこりした気持ちになっていた。


 そして今度ミレイは俺の方を見た。それは予想できることではあった。当然、これから紡がれるであろう言葉も。


「カイン、あなたも当然ついてきてくれるわよね?」

「……悪いが、俺は行かない。やらなくちゃいけないことを思い出した」

「もしかして、何かを思い出したの?」


 俺はそれには答えなかった。ゆっくりと踵を返す。全てを確かめる方法はただ一つ。そしてもし俺の考えが正しいのだとすれば――


「そもそも俺はこの村の人間じゃない。みんなと逃げるわけにはいかないさ」

「待て、その点で言えば、俺だって同じだ。――なあこの常用でやらなきゃいけないことってのはなんだ? お前、もしかして――」

「行かないと。全てが手遅れになる前に」


 俺は村の出口に向かって、駆け出した。これ以上、言葉を交わす意味はない。どこまでいっても、俺は部外者、余所者、仲間外れ――だって、魔族ではないのだから。


「カインさん、待って!」


 セティアの声が聞こえた。こんな別れ方になるとは考えてもみなかった。彼女には悪いことをしたと思う。ちゃんと礼を言うべきだ。――彼女のお陰で、俺は自分の過ちに気が付くことができたのだから。


 アレンもそうだ。他の子どもたちも。いや、村人も。あの村で経験した全てが、俺の想いを改めさせた。人も魔族も変わらない。住んでいる世界が違い、種族が違うだけ。あんな形で交わらなければ、他の可能性も……。

 それは考えても仕方のないことだった。だが、もしここが一年前の世界だというのなら。勇者が、俺の想定している人物ならば。


 アイリスの言葉を思い出す。決断の時――あんなにも皮肉めいた言葉はないだろう。全部あいつの企みだというのなら……思わず、あの女神の名前を叫び出しそうになった。すぐにでも、あいつに会いたい。だが、それは敵わないのだろう。


 森の入口が見えてきて、俺は走る速度を緩めた。そこに二人の魔族がいたからだ。その片方は、すぐに姿を消した。……本当に便利だな。


「ミレイ、どうしてここに?」

「それはこっちのセリフ。あなた、どこへ行くつもり?」


 そのまま黙ったまま向き合う。最初から、こいつのことは苦手だった。なるべく接触しないように、と思っていたが、段々とそれは気にならなくなっていた。今この時点では、この姿では、俺と彼女には何の因縁もない。むしろ、自分の村を大切に想う彼女が立派だと思った。力になりたかったのは、素直な気持ちからだった。


「勇者を、倒しに行くの?」

「……そうだと言ったら?」

「止めるわ。いくらあなたが強くても敵うはずがない。向こうには神の加護がある」


 魔界にも神の存在が知れ渡っているのか。気にはなったが、それは今尋ねるべきことではない。

 それに神の加護ならば、俺にもある。


「この世界は救えない。できるとしたら、父の――魔王の命を以てしてだけ。それは誰にも帰ることができない」

「そうだろうな。全ての発端は奴からだった。だが、勇者のやり方もまた間違っている。いったいどれだけ同胞の命が奪われてきた?」

「それは……仕方のないことよ。こちらも同じことをしてきたのだから」


 そう割り切れているのなら、なぜお前は俺を殺しに来た? 恨み言を言うつもりはない。当然の行為だとすらも思っている。だからといって、その矛盾は見過ごせない。

 あの後、何があったのかは、しか知らないことだ。だが、少なくとも今目の前のを見ていれば、何かがあったのはわかる。心変わりするような出来事が。

 それを変えることは俺にはできないだろう。だが、代わりを務めることはできる。彼女が手を汚す必要は何もない。それを防ぐことが目的ではないが、彼女のことをないがしろにするつもりもない。


「通してくれ。俺は全てに決着をつける。俺にはそれをする義務がある」

「ねえ、あなたいったい何者なの? 失った記憶は――いえ、そもそも記憶喪失なのは本当なの?」

「悪いが、それについて話すことはできない。ただ一つ言えるのは、俺は誰とも相容れないってことさ」


 強い力を込めて、彼女の瞳を見つめる。こんな風にするのは初めてのことかもしれない。彼女の瞳に映る、今の自分の姿が揺らいで見える。それは人間の頃の姿に変わっていた。


「決意は固いのね」

 俺はこくりと頷いた。

「わかったわ。――あたしもついていく」

「……は?」

「だってそうでしょ。あなた一人じゃこの森は抜けられないわ。――燃やしていくなんてのは、許さない」

 ミレイは悪戯っぽく笑った。だが、冗談を言っている様子は無かった。


「村民たちのことはどうする? 彼らには、ちゃんとした領主が必要だ」

「セティアに任せてきたわ。そっちの方が都合がいいだろうし」

「……村を守るんじゃなかったのか?」

「もう守るのに、あたしの力はいらない。あたしは魔王の娘。だからこそ、ちゃんと世界に目を向けなくちゃ」


 ミレイの心境にどんな変化があったかは、俺にはわからない。だが、責務を果たそうとしているように見えた。あの広場での出来事が、彼女に対して効果的に影響したらしい。


 そのまましばらく向かい合う。拒絶する理由は無かった。俺は、長く息を吐きだした。


「わかった。改めて頼む。道案内、よろしく」

「そうこなくっちゃ」


 俺とミレイは固く握手を交わした。全てを終わらせる強い決意を胸に秘めたままに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る