第28話 激論、村を巡る

「おっと、あんたたちか。予想よりも早かったな。もう少してこずるかと思ったが」


 すぐにウォルもこちらに気が付いたらしい。ゆっくりとその顔がこちらを向いた。その手には剣が握られている。切先は、ミレイの方を向いていた。


「何をしてるんだ!」

「ずいぶんと間の抜けた質問だな。これがお遊びに見えるか?」

 彼は眉をちょっと顰めた。


 ただならぬ雰囲気はずっと感じていた。集まっている村民たちの表情は険しい。ただじっと、自分たちの領主の顔を見つめている。嵐の前の静けさ――不気味な平穏は些細なきっかけで崩壊する様な危うさがある。


 対するミレイの様子はといえば、彼女は至極落ち着いて見えた。そこに表情と呼べるものはない。目前に立つ人狼と静かに対峙しているだけ。俺たちの方は一瞥すらしない。その横顔は果たして何を思っているのか。


「武器を下ろしなさい。ミレイ様に何をするつもり?」

「俺はただ答えを聞きたいだけさ。――もう一度訊く。あんたは魔王の娘、そうだな?」


 核心をついたその質問に、やはりミレイは黙ったまま。僅かにもその顔は動かない。


「証拠もある。――これだ」


 ウォルは一枚のくしゃくしゃの紙を突きつけた。それは昨日の朝、俺が持っていた屑籠から彼が回収したものらしかった。

 ミレイはそれをちらりと見た。そしてそっと目を閉じると、大きく息を吸い込んだ。彼女の胸が大きく隆起する。


「この紋章、パシュバル王家の家紋だ。魔王の城で見たことがあるから間違いない。なんなら、近場の街から証人を連れてこようか? 各町村には、中央から来た兵士が駐在している。この村にはいないようだがな」

「待って! それが確かに王家の紋章の入った紙だとして、ミレイ様がそのまま魔王の娘だということにはならないはず。ただの支給品に過ぎないんじゃない?」


 すかさずセティアが反論した。俺に対しては、ミレイの正体を認めた彼女だったが、それをこの場で肯定するつもりはないらしい。どうしてもそれをひた隠しにするということは、ミレイが魔王の娘だとなにかまずいことがある。……だが、それはいったい何だろうか。皆目見当もつかない。


「村でそんなものを見たことはないぞ。それに支給品に入れるのであれば、家紋である必要は全くなし。魔王軍の旗印で十分だ。そっちなら、いくらでも見たことがあるぜ」

「それは……」

「だいたいあんたと議論するつもりはない。俺はこの女に訊いているんだ。――さあそろそろ答えてもらおうか? 村の連中もいつ痺れを切らしてもおかしくないぜ」

 くるりと、ウォルは身体を村民たちの集団に向ける。


「ミレイ様、彼が言っているのは本当なんですか? あなたが、あの極悪非道な魔王の娘だなんて」

「嘘、ですよね? 先代領主の悪政に怒り、ミレイ様は中央に苦情を入れてくれた。結局子どもたちは帰ってこなかったけれど、色々と尽力はしてくださいました」

「こういう話も聞いた。――まだ未だに、人間界に魔王は侵攻中だと。そのせいで、一人の人間の報復に遭っているとね。あんたは、闘いは終わった。俺たちは昔のように静かに暮らしていいんだって、言ったじゃないか!」


 初めは戸惑いながら、控えめだった彼らの口調が怒りを帯びていく。いや、それだけではない。悲しみや疑念、失望、様々な感情がごちゃ混ぜになっている。少なくとも、俺にはそう感じられた。


 しかし――


「この期に及んで、あんたはまだ何も言わないのか。そうだよなぁ、ずっと自分の領民のことを裏切ってきたんだ。合わせる顔なんてないよな」

「あなた、黙っていれば好き勝手言っちゃって! ミレイ様は、みんなのことを騙す気なんてなかった。いついかなる時もこの村のことを考えていた。あんたに何がわかるっていうの!」


 代わりに声を上げるのは、やはりセティア。彼女はそのまま、ウォルに食って掛かった。

 ヴィヴィアンが味方をするのはまだわかる。先ほどちらりと、昔からの従者だと言っていた。じゃあセティアもそうなのか? しかし、祖父と一緒に暮らしていたと彼女自身が教えてくれた。村民たちも、彼女とは昔馴染みのようだった。


「だがなぁ、セティア。お前さんだってわかるだろ。魔王が、いったいどれほどの苦難をわれらに押し付けてきたのか」

 村の北西部に住む老魔族が静かにそれに反論した、

「付け加えれば、それは他の村ではまだ続いている。ずっと前から戦争状態だからな。それは一度も終わっていない。若い奴は徴兵され、食料や闘いの道具は中央に運ばれる。俺たちは日々の暮らしも満足にいかない」


 ウォルの言葉に、俺は自分の神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。見逃せない一言がそこにはあった、戦争状態、それは――


「だが、ここは違う。魔王の支配の影響は無い。――それはなぜか。あんたが魔王の娘だから融通が利いている、そういうことだろ!」


 悲痛な叫びが、広場に鳴り響く。今まで冷静だった人狼の顔が一気に怒りに染まった。


「俺がこの村に来たのは偶然じゃあない。――奴の襲撃の予兆はあった。近くの村が襲われたという情報は入っていた。俺たちは逃げようとして、一番近くの村に受け入れ要請を送った。いきなり行くのもトラブルになりかねないとわかっていたからな。それで返事を待っていたんだが……」


 おそらくその村がここなんだろう。襲撃から生き残った彼は事情を探りに来た、というところか。

 不思議ではあった。いくら敵から逃げるためとはいえ、あの森に迷い込むだろうか、と。近くには、魔族が多く集まる町があると聞いた。普通は、そっちに逃げ込むはずだ。

 だが、今のですべて納得がいった。初めからこの村を目的にしていたなら、筋は通る。


「手紙は届かなかったのか。初めはそう思った。目が覚めて、あんたに会った時、特に反応は無かった。だが、この紙にはもう一つ気になることがある。一行目に宛先が書いてある。それこそ、俺の村の名前だ!」


 しんと、一気にあたりは静まり返った。もはや、他の者の言葉は不要だった。求められるのは、ただ一人の発言だけ。この村の領主、ミレイが語るのを誰もが、ひたすらに待っていた。

 ふふん、と彼女は鼻を鳴らした。そしてその身体が、一気に脱力したのがわかった。一瞬顔を空に向けると、戻った時には冷たい笑みがそこに浮かんでいた。


「……そうよ。すべて認めるわ。あたしの父親は魔王。あなたの村の受け入れ要請に反応しなかったのは故意。どう、これで満足?」

「ふざけるなっ! お前が応じてくれていれば、村の仲間たちは犠牲にならずに済んだ!」


 あまりに呆気ない顛末にウォルが激昂する。その勢いのままに、彼はミレイの胸ぐらをつかんだ。剣の切っ先を相手の細い首筋に当てる。


「やめなさ――」

「いいの! ――あなたの怒りはわかるわ。でもあたしがそれを認めていたとして、果たして避難は間に合ったかしら? そもそも自分の村一つすらしっかり守れない、領主の責任じゃあないの?」

「あんたなぁっ!」

「あたしは違う。例えどんな犠牲を払ってでも、この村を守ってみせる。それがここの領主に任されたあたしの使命。すべきこと。――これだけは絶対に」


 痛々しいほどの決意は、その場に違う潮流を呼んだ。少しの間、置き去りにされていた村民たちが騒ぎ出す。


「ちょっと待ってくれ。そもそも、お前はなぜ自分の出自を隠していた? それは俺たちに対する裏切りだ」

「トラブルになるだけだと思ったからよ。あなたたちの魔王への嫌悪はよく知っている。それはそうよ。あの人の頭にあるのは地上を手にすることだけ。ウォルの言う通り、そのためにすべきことをやってきた。そうすれば、より良い暮らしが手に入ると信じてる。未来のために、あの人は今もないがしろにした」

 心底嫌そうな顔で、彼女は吐き捨てた。魔王を憎悪しているのは、彼女も同じらしかった。


「本当は徴兵された村民を戻そうとした。でもそれは無理だった。だからあたしは今いるみんなだけは守ろうと、必死に頑張ってきた。ありとあらゆる手を使って、魔王の手が及ばないようにしてきた。それの何がいけないっていうの?」

 

 ミレイが力の限りに叫ぶ。その顔は心痛に歪んでいる。そんな彼女の必死な姿を、俺はこの村では初めて見た。とても感情的、いつもの平静な姿はもう消えている。

 それは奇しくも、あの時の光景に似ていた。全てが終わった場所。運命が交わったあの時間。彼女の本当の姿はこっちの姿の方じゃないか、と俺は思う。


「……俺たちは他の村が苦しんでるのに、のうのうと生きてきたってことか」

「ふざけんじゃないよ! 誰がそんなこと頼んだっていうのさ。三年前、あんたが来て前の領主の悪政は確かに収まった。あたしたちは、穏やかな暮らしを手にできた。でもね、その裏にそんな犠牲があるって知ってたら、あのままでよかったよ!」

「でもなぁ、あの頃の生活は確かに食うもんには困ってた。しなくてもいい仕事にも駆り出されていた。それがよかったなんて、オラにはとても……」

「でもそんな配慮があったせいで、一つ……ううん、もしかしたらもっとたくさんの村が犠牲になったのかもしれないのよね。そう考えると……」


 村人たちは様々な意見を口にする。議論はあちこちで発生する。混乱は大きくなり、収拾がつかなくなっていく

 俺はただ呆然としてそれを見ていることしかできなかった。ヴィヴィアンもセティアも同じだ。俺たちだけが、蚊帳の外にいた。その理由は俺と彼女たちで大きく異なるが。


「結局、あんたのやっていることは独りよがりだ。村のためを思ってやったことでも、魔族全体で見れば悪影響にしかなっていない。あんたもまた、あの魔王と同じだ。全体を見ているようで、個しかみていない。それがよき領主だなんて、俺は思わない!」


 ――あらゆる感情が爆発していた。ウォルという導火線を通じて、ミレイの隠し事という爆弾に火が点いた。その勢いはどんどん増していく。ウォルの言によれば、ミレイは初めから間違っていた。誤ったまま進み続けたせいで、そのひずみはどんどん深くなっていく。そこにエネルギーが溜まり続け、それが今解き放たれた。


 その雰囲気に身を委ねながら、俺は自らの無力さを嘆いていた。どこまでいっても部外者の俺には何も言うべきことはない。いや、全てに察しがついた今、俺には発言権は無いとはっきりわかる。

 隠し事の一つや二つ誰だって持っている。ミレイのそれは確かにこの村を思ってのことだった。それは、俺のに比べれば悪いことではない。彼女はただ守りたかっただけなんだ。その術を少しだけ間違った。


 間違いは、正せばいい――今の俺は心の底から、強くそう思う。彼女にも、それができる。


「みんな、落ち着いてくれ!」


 力の限り大声を上げた。すぐには喧騒は止まないが、それでも次第に勢いが弱まっていく。

 俺は確かな足取りで、ウォルとミレイのもとへと歩いていった。この場にいる全員の視線が集まってくるのを感じる。


「部外者の俺にはよくわかる。彼女の――ミレイのこの村に対する想いは本物だった。みんなもそれはひしひしと感じているはずだ。それは果たして責められることだろうか」

「カイン、あんたもこの女の味方をするのか?」

「味方とか、敵とかそういうことじゃない。ウォルの言うこともわかる。ミレイの間違ったやり方のせいで、魔界全体が歪んだ。そして一部にしわ寄せがいった。でもそれは悪意を持ってのことじゃない。ただ、ミレイが愚直で真摯だっただけだ。村の未来について」

「ふざけるな! そんなの納得できるか! 俺の村の仲間は――他の犠牲になった村の者たちは、しわ寄せをくらっただけだと? あまりにもそれは――」

「理不尽だ。そうだな。だが、悪いのはミレイじゃあない。全ての元凶は、魔王とにあるはずだ」


 今ならはっきり言える。あの時の行いは、正しくは無かった。俺はやり方を間違えた。魔族のことを深く理解すれば、もう少しやりようがあった。あの時の俺には――勇者にはそれが足りなかった。気づいていながら放置した。それは――


 


 辺りは再び騒がしくなる。それはすぐには収まらないだろう。これは一朝一夕で解決する問題ではない。俺に立ち入る余地はない。


 できることは、やるべきことは、ただ一つだけ。そう強い決意に身を焦がしていると――


「大変です、ミレイ様! とうとう中央街にもの手が――」


 血相を変えた見慣れぬ魔族が一人、この騒ぎの中に飛び込んできた。


 そして俺は確信する。ここはやっぱり一年前の魔界なんだ――

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