第27話 日常は終わりを告げる

 こうしてこの森に来るのは、これで三度目。だというのに、やはり一向に道順については不明。適当に思うがままに歩いてきたせいもあるが、一番はこの変わり映えのしない景色のせいだろう。

 振り返ってみると、来た道がずうっと薄闇に向かって伸びているだけ。論理的に考えれば、この道を引き返せば村に戻れるはずだが、とてもこの先に出口があるように思えない。


「どうかしましたか?」

 隣を歩くヴィヴィアンが話しかけてきた。

「いや、相変わらず入り組んでるなぁ、と」

「ええ、そうですね。正直、私にもここが森のどのあたりかはわかりません。とっくに正規ルートは外れてますから」

「正規ルートって……」

 けったいな言い方に、俺は思わず目を見張った。


「わかりませんか? ここは普通の森ではありません。正しい道順を進まなければ永遠に迷い続ける。魔力を帯びた、不思議な森なのです、ここは」


 つまり魔力によって迷宮化しているということか。人間界に侵攻してきた中で、将軍と呼ばれた存在はそうした拠点を持っていた。あれと同じものが自然発生している。ここが魔界だから、こその現象だろう。


 しかし、行けども行けども目的の魔物は見つからない。取るに足らない弱い魔物には何度か遭遇してきたが、大半は俺たちの姿を認めると向こうから逃げていった。本来的には気性が穏やかなモンスターしかいない、というのは村民たちからよく聞かされている。

 それでも、襲い掛かってくるモンスターもいた。全て俺が返り討ちにしたが。以前はこんなことは無かったのに、とヴィヴィアンがぼやいていた。やはり魔物は凶暴化しているということだ。

 だとしても――


「原因は何なんだろう?」

「さあ、私にはわかりかねます」

「……ミレイはなんて?」

「ミレイ様もよくわからない、と」

「中央に報告したりはしないのか? 魔王なら何か知ってる可能性もあるだろ」

「してはいますが、返事はないですね」


 ヴィヴィアンの口調はどこまでも平然としていて淀みない。そこに何らかの思惑を感じ取ることはできなかった。


「魔界に何か異変が起きている。それが魔物の凶暴化の原因でもある。そう考えていいのかな?」

「やはり私には何とも。そもそも、この平和な世界に何が起きていると?」


 ヴィヴィアンはくすりと、小さく笑みをこぼした。何かが魔界を侵略している、とは俺は言えなかった。このメイド魔族は、領主ミレイの一番の側近だ。あまりあの女には悟られたくない。


 結局黙々とまた歩くことに。余計なことを考えても仕方ない。今はただ目の前のことに集中しよう。やることをやって、その果てに何もなければそれでいい。過度な心配は無駄だ。


 こうして敵を探して練り歩くのはずいぶんと久しぶりな気がする。常に周囲に警戒をし続ける。今では何ともないが、一番最初はかなり苦労した。しかもアイリスとの修業を続けながらだったから、余計手間がかかった。

 あの時もこんな鬱蒼とした森だった――記憶に思いを馳せていると。


「何か感じないか?」

 俺は足を止めた。

「……いえ、特には」

 ヴィヴィアンも立ち止まるが、即座に首を振る。


 だが、俺はそれを気のせいだとは思っていた。殺意がこちらに向けられた。空気が一瞬ひりついた。数々の視線をくぐったおかげか、そうした気配に俺はすっかり敏感になっていた。

 静香に深呼吸して、周囲に気を巡らせる。探り当てると同時に、俺は一気に叫び出す――


「うしろだっ!」


 無理矢理に身体を動かして、ヴィヴィアンと入れ替わるようにして背後を振り返る。そこにいたのは――


「――っ!」


 振り上げた鋭利な鉤爪を、熊みたいなモンスターが一気に振り下ろしてくる。俺はそれを館で見つけた中で少しはましな剣で受け止めた。高い金属音が、静かな森に反響する。


「こいつか?」

「特徴は一致します」

「仄かに血の臭いもするな。――なんにせよ、仕留めるだけだ」


 力いっぱいに、モンスターの身体を押し返す。敵の黒々とした巨体は微かによろめくだけ。すぐに第二撃に移行してくる。今度は両の鍵爪を振り上げた。


「ところでヴィヴィアン、戦闘の方は――」

「残念ながらです」


 なんとなくわかっていたが、残念な事実が明らかになった。それにうんざりしながらも、俺は後ろに飛び退いた――





        *





「どうして魔法をお使いにならなかったのですか?」

「領主様にきつく言いつけられたからだよ。周りへの被害は最小限にしろってね」


 決着は、思いのほか早かった。敵はパワーだけはずぬけていた。しかし、その動きは鈍重で単調。何度か攻撃をうけるうちに、確実に見切れるようになった。

 後は簡単だ。向こうの一撃をいなした後にその隙を狙って、剣を振り下ろすだけ。魔法でたんまりとその威力は強化してある。環境に影響を与えないものであれば、ミレイの言いつけを破ることにはならないだろう。


 倒したモンスターの毛皮で血を拭ってから、剣を鞘に納めた。足元に転がっているのは、もはやただの黒い塊。ピクリとも動かない。仕留めた感触は、確かに俺の手にあった。


「意外とあっけなかったな」

「そんなこともないと思いますが……しかし、それだけの実力。カインさんの正体はいったい何なのでしょうね?」

「正体って……俺は俺さ。しがないダークエルフだよ」

「まあ、今はそういうことにしておきましょう。全ては記憶が戻ってから、ということで」


 本当は一年ほど前に、魔界に攻め入った勇者だ。そういったら、このいつも落ち着き払った魔族はどんな顔をするだろうか。気にはなるが、それを実行するわけにはいかない。ぐっと呑み込んで、視線をまた息絶えた獲物に向けた。


「どうする、これ?」

「持って帰りましょう。一応、カトレア様に確認してもらわないといけません。それにグルー様に処理してもらえば色々と利用できるはずです」

「……こういう魔物は今までいなかったんじゃないのか?」

「もう少し小ぶりなのはいましたよ、元々」


 ヴィヴィアンはしれっと答えた。俺はうんざりした感じにため息を漏らすしかなかった。


「では戻りましょう」


 そういうと、すぐに周りの風景が変わった。森の外だ。足元には、モンスターの死骸もある。……やはり、移動魔法は便利だ。


 再び前方に視線を戻すと、俺はよく見知った人物が近くにいたことに気が付いた。向こうの顔はしっかりと俺たちに向いていた。


「セティア、こんなところで何を――」

「大変なの、二人とも! ミレイ様が……あの人狼に……」

「落ち着いてください、セティア様。もっとわかるように話を」

「人狼が、村のみんなを連れて館に攻めてきたんです!」


 ――セティアのその一言はただただ信じられなかった。しかし、彼女の必死な形相がそれが真実だと物語っている。


 ウォル、いったいあいつは何を――考える間もなく、またしても景色が変わる。それは、館のすぐ裏手だった。


「答えろ、ミレイ・ゲーテルブルク! いや、ミレイ・! お前は魔王の娘だろう。この家名が示すとおりに!」


 よく張った大声が聞こえてきた。その主は間違いなくウォルだ。……なぜミレイが魔王の娘だと――


「これはマズい状況ですね」

「うん、そうなんだ。みんなもね、今はあの人狼の味方をしてるわけじゃなくて、真実を確かめたいと思ってるだけらしい。でもこのままだと――」

「ちょっと待ってくれ。――二人とも、やっぱりミレイが魔王の娘だと」

「……うん。カインさんの言う通り、アタシ、知ってた。ヴィヴィアンさんもね、昔からの従者なの」

「今はそんなことより、人狼を何とかする方が先決では? とにかく急ぎましょう!」


 駆け出した二人の魔族に、慌てて俺もついていく。騒ぎの原因はわかった。だが、果たしてミレイが魔王の娘だという事実に何の問題があるのだろうか。


 わけがわからないままに、声のする方目掛けて走っていく。やがて眼に入ったのは――


 広場に集まる魔族の一団。ほとんどの村民たちが、自らの領主をぐるりと取り囲んでいた――

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