第26話 契機

 目覚めはどうも頭が重かった。胸がどこかモヤモヤしている。その正体はわかっている。昨日の夕食の時、ろくにミレイの顔を見られなかった。

 彼女はどんな時も落ち着いていて、身に纏う雰囲気は柔らかい。時には、村民に交って農作業をすることだってある。その姿だけを見ていれば、彼女が王族だと考える理由はない。

 だが俺は知っている。あの瓦礫の山で出会った魔族の娘は間違いなくミレイだ。そして俺の両親の墓の前で、俺の胸にナイフを突きさしてきたのも、間違いなく彼女。だからこそ、色々と想うところはあったが、今日までの日々の中で、それらは薄れていった。


 とにかく。とりあえずは俺だけが彼女の正体を知っている。セティアの口振りから、彼女は自らの身分を明かしてはいない。それは隠し事と言える。

 であれば、今の魔界の状態について、知っていて黙っている可能性はある。だが、彼女の振舞のどこにも不自然さは無かった。それこそ、俺だってウォルから何も聞いていなければ、何の疑いを持たなかった。

 その身の振る舞いだけ見ていれば、何か裏があるとは思えない。だから余計にわからなくなる。


 ともあれ、早いところ起きなくては。俺は気怠い身体にぐっと力を入れる。そのまま一息つくことなくベッドから抜け出した。



 俺は屑籠を持って執務室を後にした。朝のあいさつに出向いたら、ごみの処分を押し付けられた。この館の裏に小さな焼却炉がある。

 領主の様子は今日も変わりなかった。当然といえば、当然だ。俺とウォルの昨日の会話の内容など、彼女は露も知らないのだから。相変わらず、この村は平穏無事そのものだ。


 籐でできた円柱の篭の中には、くしゃくしゃに丸めた紙が詰まっている。書き損じか、あるいは要らない書類を処分したのか。普段とは違うそのごみの種類に、少しだけ興味が惹かれた。

 やがて階段に突き当たった。そのまま一歩踏み出そうとしたところで、俺は身体を右に向けた。どうせなら使用人たちの部屋を回ってゴミを回収しよう。


 一番近いのは、ウォルの部屋だった。ノックすると、すぐに反応があった。扉を開けると、ベッドから起き上がりぼんやりと窓の外を見ている彼の姿が目に入った。その横顔はどこか寂しげだ。


「もう朝飯の時間か? 昨日より早い気がするが」

「違うよ。――ごみの回収さ」


 俺は持っていた屑籠を掲げた。するりとウォルは肩を竦めて、唇を少し曲げた。こちらを気の毒がっているらしい。

 俺もうんざりした感じにため息をついてから、部屋の中に足を踏み入れた。殺風景なこの部屋はよく片付いている。ベッドとは反対の位置に屑籠はあった。

 

 考えてみれば、彼はたいていベッドに横になりっぱなしだろうから、そんなにゴミは無いはずか。中身が空っぽなこの部屋の屑籠を見て、自分の浅はかさがちょっと悲しく思ってしまった。


「アンタもいろいろやるんだな」

「まあさすがに朝起きてすぐ、こんな仕事を頼まれるとは思ってなかったけど」

「頼まれた? ――ああ、あの女領主サマにか」

 少しだけ人狼の顔が険しくなる。


 ミレイに対する不快感を、彼はもう隠すつもりはないらしい。俺は気づかない振りをしてそのまま部屋を出ることにした。


「待ってくれ」


 扉がすぐ近くまで迫った時、後ろから声を掛けられた。足を止めてゆっくりと振り返る。あまりいい予感はしない。


 ウォルはひょいとベッドから立ち上がった。そのままこちらに向かって大股で近づいてくる。無言のまま飄々とした顔で。

 なんだろうと思って身構えていると、彼は屑籠の中のものを一つ摘まみ上げた。丸まった紙……躊躇なく、彼はそれを開く。


「あのさ……ごみ漁りってのはどうかと思う」

「まあまあ固いこと言うなって。――これは」


 その紙の上を、彼の視線が這う。何かが目に留まったのか、ある一点を見つめたまま固まった。角度的に俺にはその正体を見ることはできない。


「ちょっとこれ、貰ってもいいか?」

「でもなぁ」

「アンタには迷惑をかけないようにする」

「……何か気になることでも?」

「これさ」


 ウォルは皺だらけの紙をくるりと翻した。彼の見ていた面が俺にも明らかになる。上方部には、魔族の文字だろうか、見たことのない記号が並んでいた。意味は読み取れないが、書きかけなのはわかる。しかしそれは、さっきから俺にも確認できていた。

 そのまま視線を下ろしていくと……円と線を組み合わせた、不思議な紋様が描かれていた。

 ――俺はそれをどこかで見た覚えがあった。果たしてこれは……。


「わかるか?」

「……いや、心当たりない」

 結局思い出せずに、俺は即座に首を振った。

「だろうな」

 そう言うと彼は懐に紙をしまった。


 俺は少し拍子抜けした。てっきりすぐに答えが明らかになるものだと思っていたからだ。


「教えてくれないのか?」

「さっき言ったろ? 迷惑はかけないって。――なあ、朝飯はまだか?」

「また露骨に話を逸らしたな……後で持ってくるよ。――ご馳走を、ね」

「それは楽しみだ」


 苦々しい顔で首を左右に振ると、ウォルはベッドに戻っていく。いったいあの紋様は何だったのか……やはり全然思い出せない。見たことはある気はするんだが。ごく最近ではなく、たぶん魔界に攻め入った時にどこかで。


 考えても答えは出なさそうだったので、俺は次の部屋を目指した。気になることはもう一つ。ウォルはあの紙をどう利用するつもりか。……おかしなことにならなければいいのだが。





        *





 この村は闘える能力があるものがほとんどいないのはおろか、武器すらも乏しかった。館の物入を捜索した結果、何本かの剣や槍、弓矢も見つかった。それに建屋鎧などの防具も。しかし、そのどれもが古く、とても劣悪なものだった。

 しかしそれでもないよりはまし。訓練生と一緒に手入れをして、何とか使えるようにした。いちおう村の鍛冶屋と木細工師に、手が空いている時に作ってもらうように頼んではあるが。


 カキン、カキン。金属がぶつかる音が村の中にある広い野原に響いている。最近は実施訓練をさせている。だいぶになってきた。

 俺はそれを少し離れたところから見守っていた。しっかりと全員の動きに目を配る。……こうしている間は余計なことを考えずに済む。


 だが後ろから誰かが近づいてくる気配を感じた。俺は素早く身を翻した。


「順調そうじゃない」

「ミレイか」

「驚かせてしまったかしら? ごめんなさい」

 形だけ、さっと彼女は頭を下げる。


 俺はすぐに顔を正面に戻した。すぐに、ミレイが俺の隣に立つ。


「何しに来たんだ?」

「見学よ。彼らにこの村の未来がかかっている……というのは大げさかしら?」

「さあね」


 上目遣いに見上げてくる彼女の顔に、意味ありげな笑みが浮かんでいるのが横目にもわかった。その言葉に少しドキッとしつつも、努めて平静に装い、言葉を返す。


「さあね、って。大げさだったけれど、冗談ではないのよ? あなただっていつまでここにいてくれるかわからないし。――どうなの? 記憶の方は?」

「……全然さっぱりさ」

「そうか、あなたにとっては残念でしょうけど、この村にとっては助かるわ。……というのは、自分勝手かしらね」

「いや、そんなことないよ。この村には色々と世話になっているから、少しでも恩返しができてるならなによりだ」


 話しながらも、ミレイの本心を測りかねていた。彼女としては、俺にも早く村から去っていって欲しいんだろうか。良心から、俺の記憶を心配しているのか。

 ……やめよう、疑い始めたらキリがない。結局いつかは終わりが来るのだ、この暮らしにも。俺は根っからの魔族じゃない。人間――やがてあの女神が迎えに来るんだろう。そして、また世界に尽くす日々がやってくる。それは奉仕対象が変わるだけで、今と同じ日々が続くのだ。

 だからこそ、後悔がないように。少しでも、魔族たちに対する贖罪の念が薄まるように。俺が考えることはそれだけでいい。


「それで、彼らの実力はどう? 森の魔物は何とかできそう?」

「……贔屓目に見ても無理、だな。まず圧倒的に武器が足りない。中には、体技の方が得意な奴がいるけど、技術不足は感じる」

「なるほど。――では、やはりカインにお願いするしかないわね。明日、ヴィヴィと一緒に森狩り、頼める?」

「もちろんさ。意外と急だったな」

「早いところ何とかしたいとは思ってたからね。――それじゃあ戻るわ。引き続いて、頑張って頂戴」


 ぶんぶんと、ミレイは大きく訓練生たちに向かって手を振った。そして大声で激励を送る。

 連中は即座に反応した。ずっと響いていた金属音がすっかりやんで、みんなにこやかに領主に対して手を振り返している。中には、呼びかけをする者も。


 彼らの大部分が、村のためよりもミレイのために志願してきたのを、俺ははっきりと思い出した。

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