第25話 交錯する想い
往来の真中で、俺たちはしばらく睨み合っていた。道行くものはないもない。無風のために、辺りの草木に動きはなく。まるで時間が止まってしまったかのように、俺もウォルも固まったままに動かない。
だが、それもやがて終わりを迎えた。ウォルの方が唐突に頬を緩めた。その顔からは、先ほどまでの険しさが嘘のように消えていた。
「というわけで、俺はあんまりあの女は信用していない。お前も気を付けた方が良いと思うぜ?」
「……それはご忠告ありがとう」
苦々しく吐き捨ててみたが、あまり効果は無いようだった。
「さあて、俺はそろそろ戻ろうとするかな。さすがに疲れちまった。中途半端にしか治ってないってわけだな、こりゃ」
「医術士の先生に怒られても知らないからな、俺は」
「わーってるさ、自己責任だ」
ふんと、鼻を鳴らす人狼。そのまま身を翻した。
すっかりウォルは元の調子を取り戻している様子だ。それを見て、俺の動揺も少しずつ収まっていく。だが、ミレイに対する疑念の全てが消え失せたわけではなかった。
俺はウォルの後を追った。まだ仕事の途中だが、彼を一人にしておけない。あの話をだれかれ構わず話されても困る。……彼がそういうことをするようには思えないが。
「別についてくる必要はないぜ、カイン?」
「いいんだ。ちょっと忘れ物を思い出した」
「忘れ物、ねぇ……」
彼は見透かしたかのように、薄く笑った。
二人でゆっくりと来た道を引き返す。何も話すことなく、黙々と歩く。果たして、ウォルは今何を考えているのだろうか。その端正な横顔からはなにも伝わってこない。
傍らの畑では、村民たちが農作業に勤しんでいる。毎日のように見てきた、変わらない日常風景。だが、それは今日に限っては何か、空虚な……脆弱な雰囲気を感じてしまった。
幸いにして、というべきか。特に道で村民たちとすれ違うことは無かった。午後のいい時間になっているから、みな自分たちのすべきことに一生懸命なのかもしれない。
館の前の広場も無人で、どこか寂しい感じがする。だが、そんな光景は珍しいわけではないのに、どうして今、そう思ってしまったのか。ウォルの話が、俺の中では未だに尾を引いている。
館の中はひっそりと静まり返っていた。元々そんなに多くの魔族がここで働いているわけではない。階段を上がって奥へと進んでいく。ちらりと見えた執務室の扉は、ぴったりと閉じられていた。ミレイはその中にいるのだろうか。
「じゃあ安静にしてくれよ」
「ああ、わかってるってば……もう少しましなもんを食べられれば、もっとよくなると思うがな」
「……それは申し訳ない」
「冗談だ。それじゃあな、今日はありがとう」
ゆっくりと扉が閉まった。
中から物音が聞こえなくなってから、俺は彼の部屋の扉の前を離れた。ようやく少しだけ気分が軽くなった気がした。同時に、軽い疲労を感じる。
そのまま出口に向かって歩いていくと――
「もう戻ってきたの?」
階段のところにミレイがいた。通路を折れてすぐ、その姿が目に入った。手すりに片肘をついて、こちらに顔を向けている。その唇の端が意味ありげに上がっていた。
「ウォルが少し疲れたって言うから、連れて戻ってきた。ま、俺はこれからまた外出るけど」
「そう、それは大変ね。――何かあった?」
「えっ?」
突然の一言に俺はドキリとしてしまった。つい動揺が顔に出てしまう。ずっと堪えていたせいで、踏ん張りが利かなかった。
ミレイはくすりと笑った。手すりから離れてまっすぐに立つと、からかうような表情を浮かべた。
「なにそんな慌ててるのよ」
「ああ、いや、ちょっと……」
「――何かあったのね?」
その目がすっと細まった。楽しげな雰囲気が、一転真剣なものに変わった。
いや、俺がそう感じただけなのかもしれない。確かなうしろめたさを、俺は覚えていた。それを、こうして彼女を前にしたせいで、色濃く意識している。
「……何もないさ。いきなり訊かれて、ちょっとびっくりしただけだよ」
「そういうこと。だったらいいわ。あたしも、ただちょっと聞いてみただけだから」
悪戯っぽく笑うと、彼女は執務室の方に向かって歩き出した。
「頑張ってね、後半戦も」
こちらを振り返ることなく、そのまま執務室の奥へとその姿が消えていった。そこに、いつもと違う感じはしない。
だが、俺はミレイに――魔王の娘に得体のしれない何かを感じた。その飄々とした感じに、どこか含みがあるような……。
聞いてみればよかった。ぶつけてみればよかった。魔界に何かが起きているかについて、知っているんじゃないか、と。
それをしなかったのは、勇気がなかったからだ。固く閉じられた扉を開ければ、きっと何かが起こる。仮にも勇者と呼ばれたこともあるのに、俺は今の日常を壊すことを選べなかった。
閉ざされた執務室の扉を少しの間睨み続けてから、俺もゆっくりと踵を返した。……これから、村民たちに会うことがちょっと億劫に感じた。
*
壊れた家具を直したり、代わりに薪割りをしたり、どこからか湧いた魔虫を駆除したり、なんだかんだと色々と仕事があった。
一度通り過ぎたはずの家からも頼みごとがあったというのは、ウォルが一緒にいたから遠慮をしたということか。なんにせよ、仕事がないよりはある方がいいので、手間だと思うことはないが。
そのため、結局最後の家庭――セティアのところについたのは、辺りに暗闇が迫りつつある頃だった。つまりはいつも通りなわけだが。
草が生い茂った畑を横目に、彼女の家の扉に近づいていく。こんこんとノッカーを叩くと、すぐにあの狐娘は出てきてくれた。
「お疲れ様でーす」
「ああ、お疲れ。――で、今日は何をすればいい?」
「たまにはお茶でも飲んでゆっくりしよーよ。――さ、どーぞ」
いつもとは違い、彼女はどこか機嫌が良いようだった。笑顔のまま、ぐっと大きく扉を開く。
一体何なんだろうか。少しだけ不気味に感じながらも、俺は彼女の家の中に足を踏み入れた。しばらくぶりに訪れるが、中の様子に変わりはないようだった。
「そうだ! 人狼の方が森で怪我したって聞いたけど?」
「ウォルのことか。すっかり怪我もよくなったよ」
床にどっしりと腰を落ち着けて、彼女が用意してくれた謎のオレンジの液体に口を付ける。オレンジを絞ったものらしく、酸味の中に仄かに甘味を感じた。驚くべき派それが普通の味しかしないことだ。彼女にしては珍しく、何も手を加えていないということらしい。
「そっか、それはよかった! しかし、ホント物騒だよね~。アタシも気を付けないと」
「村の中には、まだそんな強い魔物は出てないだろ?」
「村の中は、ね。ほら、たまにあたし村の外に出る用事があるから」
ふと思い出した。そういえば、彼女と出会って初めの頃、そんな会話をしたのだった。ミレイの命令で外に出ることがある。そもそも、俺はこの魔族の少女に拾われたわけで――
俺は顔を上げて、しっかりと狐娘の顔を見つめた。そこには穏やかな笑みが浮かんでいる。相変わらず、この娘はどこまでも無邪気そうだ。
「……セティアは、知ってるんじゃないか?」
ゆっくりと、静かに話を切り出した。この村で一番信頼できる存在が、この狐耳の女魔族だった。これ以上、自分の中に渦巻く疑問を見過ごすことはできなかった。ミレイに直接訊くことはできなかったが、セティアなら。
「へ? いきなりどーしたの、カインさん? ちょっと顔が強張ってるけど」
「ウォルの村はこの間、何かに襲われたらしい。奴はこうも言っていた。それは頻繁に起こっているとも」
ぐっと目に力を入れて、どんな反応も見逃さないように見張る。セティアの顔が一気に暗いものに変わった
「そうなんだ。そんなことが……でも、アタシは初耳だよ」
「本当か。でも村の外によく出てるじゃないか」
「あれはこの辺りの共有地を見て回るためで……街の方にはいかないもの。そんな情報なんて入ってこない」
「街で噂になってることは知ってるような口ぶりじゃないか?」
無理があると思いつつ、俺は少し穿った訊き方をしてみる。
「それは……! それは、だってそうでしょ? いくつも村が襲われているって言うのなら、街に情報が集まっても不思議じゃないって思ったから」
ちょっと目を見開いたものの、すぐに彼女は俯いた。その口調に全く勢いはない。
「ねえ、カインさんはアタシのこと疑ってるの?」
その大きな二つの瞳が、こちらの顔を弱々しく見上げてくる。核心に迫るなら今だと思った。俺はちょっと唇を舐めて――
「……疑ってるのは俺じゃないし、その対象はお前でもない。ウォルが言ってたよ、ミレイは何かを隠してるんじゃないかって」
吐き捨てるように告げた。セティアは一つまばたきをした後、そのまま固まってしまった。やがて、どんどんとその顔に驚きが広がっていく。
「その人狼がそんなことを……でも、それは誤解だよ。ミレイ様だって、そんなこと知らないと思う」
「あいつはどこかとやり取りをしてるよな。この間、何かを書いているのを見た」
「……まあ、そりゃこの村の領主だからね」
「それと――」
一瞬ためらったものの、俺はすぐに口を開く。
「魔王の娘でもある」
セティアの目が大きく見開いた。その呼吸が少しだけ乱れる。
俺はそれを極めて冷静な気持ちでじっと見守っていた。
「またそれ? だから違うよ。そんなお方がここにいらっしゃるわけないでしょ?」
それはどこかおどけるような言い方だった。しかし同様の全てを隠せてはいない。
「どうだろうな。魔王の城で見かけた覚えがあるんだけどな」
「……記憶が戻ったの!?」
またしても、彼女は目を丸くする。驚いた表情のまま、背筋をピンと伸ばした。
「いや、まだ全然朧げなままだけど」
「そっか……でもやっぱり気のせいだよ、それは。ミレイ様は、もうしばらくここにいる。もし魔王様のご息女だとしたら、こんな辺境の村に赴任するとしてもちょっとの時期だと思わない?」
どうあっても認めるつもりはないらしい。果たしてそれはセティアが心から、ミレイが魔王の娘でないと思っているからか。それとも、ただそれを隠したいだけだからか。……流石にこうも否定されると、後者だという風に思いたくもなる。
「――そうだ。アタシちょっとこの後用事があるんだった。ごめんね、カインさん。この話はここでお終い」
「そうか、それなら仕方ないな」
俺はゆっくりと腰を上げた。疑問を解消するばかりか、余計な疑問が増えるばかりだった。
お互いに何も話さないまま、俺は玄関に向かう。扉をそっと開けると、さっきよりも闇が濃くなっている気がした。
「カインさん。そのウォルとかいう人狼がはっきり何を言ったかは知らない。でもね、ミレイ様はそんな人じゃない。いつだって、この村のことを――この村のことだけを考えている。あの方にとって、ここのみんなはかけがえのない存在だから。それだけは、わかって欲しい」
外に出ようとしたところ、後ろから声を掛けられた。俺はそれを黙って前を向いたまま聞いていた。
そんなことはわかっている……つもりだ。魔王の娘、俺にとっては複雑な因縁のある相手だが、それでも彼女のこの村への気持ちだけは伝わってきた。そして、村民たちの彼女への信頼も。
だからこそ、ウォルの言葉が余計に気になってしまった。侵入者の存在、襲われた村の数々、確かな危機が存在するのに、なぜこの村だけがこんなに平穏無事なのか。それはまるで、世界から切り離されているみたいに――
辺境にあるからか。深く広がる森は、道を知らぬものを惑わせるという。だがしかし、いくら地理的に中央とは離れているとは言っても、こうした非常事態で政府(その言葉が魔界にあるかはわからないが)に、ある村だけが協力しないなんてことが許されるのだろうか。
それはもしかすると、ミレイが前魔王の娘であることの恩恵。しかし、村民たちはそれを全く知らない。いびつな構造が、この村の中には存在する――
「悪かったよ、俺の方こそ変なこと言って。あれは忘れてくれ。俺がどうかしてた」
「……うん、だったらいいんだけど」
「それじゃあまた明日な」
返事は待たずに扉を閉めた。彼女の顔は見れなかった。自分の今の表情を、見せたくはなかった。
俺はこういうべきだったのだ。ミレイのことを信じている、と。しかし、できなかった。彼女はあの非道な魔王の娘だ。彼女にも似た性質があってもおかしくはない。そう考えている節は確かにあった。
俺はこれからどうするべきなんだろうか。世界に迫った脅威を知った今、なぜか心がざわついている。女神に植えつけられたあの損な性分は、こうして魔族として暮らす今も残っているということか……。
薄く笑って漏らした溜息は、すぐに闇の中に呑まれていった――
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