第24話 崩壊の始まり

 扉を開けると、ベッドに横たわったままのウォルの姿が目に入った。その顔がゆっくりとこちらを向く。


「それで俺はいつまでここに閉じこもってればいい?」


 かなりうんざりした口調だ。無理もない。半日近くここに閉じ込められてるわけだし同情できる。

 昨日の話し合いの後からずっと、彼はこの部屋にいた。病み上がりの状態でうろうろさせらない、というのがミレイの主張だった。実際昨日の話し合いも無理を押していたらしく、部屋につくなり彼は眠り込んでしまった。

 だが、一晩明けた今日、状態は着実に快方に向かっている。朝食を届けに来た時、彼はベッドの上で元気な様子を見せてくれた。


 俺はトレーを持ったまま、ゆっくりと彼の方に近づいていった。それをベッドそばの机に置いた。人狼はそれを嫌そうに一瞥するだけだった。仕方ない。これまでの二度の食事ですっかりうちの領主のメシマズはバレている。


「先生はなんて言ってるんだ?」

「少しくらい外の風に当たった方がいい、ってさ」


 彼は恨めしげに窓の外に視線を移した。よく晴れた風景が広がっている。


「じゃあちょっと出歩くくらいは支障がないんだ」

「ああ、そうらしいぜ。――ってなわけで、カイン。ここから出してくれ」

「ええっ、唐突だな……。俺、昼飯届けに来ただけなんだけど」

「食べると思うか?」

「食べてもらわないと困る」

 俺はぐっとしかめっ面を作った。


「……はあ。あんたも大変だな」

「もう慣れたさ。ただこの二日は余所で食事を世話になってたから、予想以上にダメージを食らったけど」

「食べ終わったら外に連れ出してくれよ?」

「一応、ミレイ――領主様にお伺いを立てておく」

「それで結構だ」


 ウォルがスプーンを持ち上げるのを見て、俺は部屋を後にした。ちなみに昼のメニューは麦粥だった。……ポイズンパープルの。



 ということで昼食の時間も終わり、俺たちは館の外に出た。ミレイはウォルの外出を渋々だが認めてくれた。ただし、俺が決して目を離さないこと。そして、彼の村で起きた出来事については秘密厳守。その二つが絶対条件だった。

 一応の名目上は村民への御用聞き。午前中は見習い兵士たちに久しぶりに稽古をつけた。つまりは、俺はすっかり元の日常に帰ってきたわけだった。


 平坦な村道を歩きながらゆっくりと村を案内する。時折すれ違う村民たちは俺に気さくに挨拶をしてくれた。そして隣を歩く見慣れぬ人狼については微かな警戒を。事情を話すと、気の毒がるアクションをとった。

 三日ぶりの訪問だったが、どの家庭もほとんどトラブルは抱えてないようだった。だから、もうほとんどただの散策の時間になりつつあった。


「のどかな村だな」


 ウォルのふと漏らした一言が、妙に鋭く自分の耳に刺さった。彼の方を振り向くと、意外にも穏やかな表情を浮かべていた。


「ああ、良い村だと思う……って、自画自賛かな」


 実際は俺の故郷、ではないが。それでも魔族に変貌してから今までずっとここにいるから、すっかり愛着はあった。


「いや、自分の村を誇りに思うのは悪いことじゃない。変に謙遜されるより、よっぽどいい。俺も自分の村が大好きだった……それは今にして思えば、だがな」


 寂しそうに人狼は笑う。その横顔は邪悪な意思を秘めた魔族には思えなかった。旅の中で出会った、同じように村を滅ぼされた人々の表情とどこも違いがないと俺は思った。

 人も魔族も自身が属するコミュニティに対する想いに違いはない。寄せ集まって暮らしていることから容易く想像できたはずなのに、あの頃の俺はそれを放棄していた。全ての魔族を、自らが倒すべき存在と盲信していた。なんてことはない、ウォルの村を襲ったやつと俺は同類なのだ。

 そう思うと、彼の顔を見ているのが辛くなった。なぜ俺はいけしゃあしゃあと、この魔族に同情を示そうとしているのか。そんな資格は俺にはない。


 ――この村もいつか襲撃者に襲われる日が来るのだろうか。辺境にあるからその心配はない、とこの人狼は語った。だが確率はゼロじゃない。

 その時に俺がいれば、きっと村を守ってみせる。元来闘うことしか能がないんだ、俺という存在は。力の身でしか解決できない。その道を突き進んでいく。世界――人間界を救うために選び取ったように。せめてその一貫性を保つことこそが、自分に対する罰のように思えた。


 再び静寂の時間が続く。この人狼は寡黙な男だった。だが、それは決して嫌な感じを覚えない。落ち着き払ったその雰囲気は、武人のそれに近かった。

 本当は聞きたいことはあった。しかしそれは彼の村が襲われた時の話で、ミレイには止められている。それがなくとも、彼にとってはただ辛い話に過ぎない。


 この近辺の魔物の件といい、魔界には何かが起こっている。その引き金となったのは、勇者おれの行いに違いない。そう考えれば、現状について理解を深めたいところだが……。


 ミレイは――魔王の娘はそれを知っているのだろうか? 昨日の口振りからして、何かを知っていることは確実に思われた。

 そもそも仮にも魔王の血族なのに、どうしてこんな小さな村の領主を務めているのだろうか、彼女は。よく考えれば、あの女についても不思議なことは山ほどある。


 この生活に慣れていくにつれて、そんな風に今まで見えなかったものが目につくようになった。総じて俺は、魔族についてもっと知りたいと思っているのだ。自分の行いについて正当な評価を下すことを欲している。一方で自分の行いが決して覆ることはないと、わかっているのに。

 無駄なことだ。無益なことだ。無意味で、愚かな行いだ――何かを知るにつれて、自分の刃が、決意が鈍っていくのは何度も経験したのに。


「あれ、師匠?」


 聞き覚えのある声がして、俺は後ろを振り返った。道の向こうからまっすぐにアレンが走ってきた。そのわきに、草が山盛りに積まれた籠を抱えている。


「あっ! その人、この間森で助けた人だよね! もう元気になったんだ、よかったぁ」

「……カイン、このボーズは?」

 いきなり親し気に話しかけられて困惑するウォルは、俺に戸惑いきった視線を向けてきた。


「薬屋の息子さ。名前はアレン。君を助けた時に一緒にいて、手伝ってもらった」

「なるほど、命の恩人ってわけか。――ありがとな、ボーズ。助かった」

 ウォルは屈みこむと、わしゃわしゃとカインの頭を撫でた。

「そ、それはどういたしましてだけど……子ども扱いするのはやめてよね! 僕、こう見えてもいっぱしの魔法が使えるんだい!」

 少し不服そうな顔をしてから、アレンは強く胸を張った。


「こんな小さな子供が魔法を? それは、すごいな。……やっぱり色々と備えてるんだな」

 ウォルは目を見張ったと思ったら、すぐに難しい顔で呟いた。

「うん! 魔物も最近強くなってきたしね」

「魔物……いや、俺が言いたいのは、あちこちで村を襲っているあいつのことなんだが」

「村を襲ってる? なにその話?」

 この平穏な村の少年は不思議そうに首を傾げた。


 それを見たウォルはさっきよりも強い驚きを顕わにした。大きく目を見開いて、がっとアレンの肩を掴んだ。


「どういうことだ? そもそも俺の村の話は――」

「ちょっと待ってくれ、ウォル。ほら、アレンも痛がっているし」


 核心に迫りかけたところを慌てて歯止めをかけた。俺はアレンに向かって顎をしゃくった。いきなり肩を押さえつけられて、彼は痛みに顔を歪ませている。


「……あ、ああ、そうだな。悪かった、ボーズ」

 気まずそうにウォルは子どもの肩から手を外し立ち上がった。

「ううん、平気だけど。ねえ、おにいさんの村の話って?」

「何でもないよ、アレン。というか、こんなところで油を売ってていいのか? 何か用事があるんじゃ」

 俺がアレンの持っている籠を指さすと、彼ははっとした様な表情になった。


「そうだった! お母さんの手伝いの途中なんだ。じゃあまた今度ね、師匠、お兄さん!」


 そう言うと、彼はさっさと遠くに向かって駆け出した。


 取り残された俺たちは黙ったまま、しばらくその背中を見つめていた。ちらりと隣の人狼の横顔を覗きみると、眉間にかなり皺が寄っていた。

 何かを思い悩んでいる表情だ。何かが替わろうとしている、そんな不安に近い予感が俺の胸を過った。


「――なあカイン、なんでこの村はこんなになんだ? それは悪いことじゃない。だが、あまりにもこの村は。まるで、ここは《平和》そのものだ。今この世界がどんな状況か知らないみたいじゃないか」


 ゆっくりと、ウォルは俺の方を振り返った。その表情は、佇まいは、口調は穏やかだ。しかし、不気味な迫力があった。

 思わず俺は気圧されてしまった。ぐっと息を呑んで、しっかりと彼に正対する。何を考えているか、その一片たりとも伝わってこない。


「あの子どもが俺の村の話を知らなかったのは、まあ理解はできる。あんな小さな子にわざわざ話す内容じゃないからな。だが、他の者はどうだ? ずっと違和感は覚えていた。彼らの同情は、俺の村が滅んだことに対してじゃない。ただ、近くの森で怪我したことについて向けられていた」


 俺はただ黙って彼の話を聞いていた。それは紛れもない事実だった。ウォルの村の話は、俺とミレイしか知らない。


「なぜだ? どうしてその情報を回さない? 確かにこの村にが来る可能性は低い。だが、知っておいて損はない情報だ。この村と俺の村は比較的近い距離にある。そもそも同じような惨劇は何度も起きているんだ。むしろ侵略者が近づいてきたということで、尚更黙っておくべき話じゃない」


 初めて聞く情報に、俺は驚きを顔に出さないようにぐっと堪えた。彼の話を信じれば、他にも滅ぼされた村があるということだ。あいつ……つまりはによって。しかしその正体は――

 いや、それはともかく、確か移動してそれを誰も知らないんだ? いくら中央とは距離を置いているとはいえ、領主であるミレイは知っていておかしくない。村のことを第一に考えているあいつなら、秘密にしておくことはないはずだ。では、本当に知らなかった……?


「俺が出した結論は、この村の連中は何も知らないってことだ。この世界に侵略者が攻めてきた。それを知っていれば、ここまで平和ボケした生活は送れない。日々の暮らしが明日にでも壊れるんじゃないか、という不安がよぎる。そもそも、戦時中特有の過酷な生活を強いられているはず。少なくとも俺の村はそうだった。いったいどれだけ、中央の連中に貢いだことか」

 

 滅びた村からやってきた人狼の言葉は鋭い。平坦とした口調の奥に、微かな憤りを感じる。その矛先がどこに向いているのか、いまいち判断はつかないが。

 彼の認識をただの主観だと片付けることはできる。あんなことがあった後だから、少し恣意的に世界を見ている。そう断じて取り合わない道は確かにある。

 しかし俺自身が揺れていた。魔界に何かが起こっているとは思っていた。しかしその何かが、まさか何者かに侵略されているなんて微塵にも考えていなかった。村民たちも、誰一人それについて察知している風には思えなかった。


「領主の女は知っているはずだ。俺の話を聞いても顔色一つ変えなかった。ということは、意図的に隠している。それはいったい、何のためだ!」


 初めて、ウォルの声が荒くなった。ミレイに対して、明らかに不審さを感じている。

 

 その言葉に、態度に、昨日から俺も感じていた疑念が一気に噴出した。ミレイの態度が一々気になっていた。

 俺と彼の扱いの差異。村襲撃事件の隠蔽。話している時の雰囲気。どれも些細なものだから、見ないようにしていた。魔王の娘に対して、妙なバイアスがかかっていたことは認めざるを得ない。


 だが、もうそれは限界だった。


 ――開けてはいけない扉が見えた。その鍵を領主が握っている。それを開け放ちたいと、俺は思った。しかしそれをすれば、何か取り返しのつかない事態が起こる。そんな漠然とした恐怖が、じんわりと俺の胸に確かに広がっていくのだった。

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