第23話 よそもの

 医術士の魔族の許可が出て、その人狼を領主の館まで連れてきた。てっきりミレイの方がグルーのところに出向くと思ったが、何やら手の離せない仕事があったとか。

 もちろん移動手段はヴィヴィアンの魔法。グルー邸の一室から、この執務室まで一瞬のうちにワープしてきた。

 そんな奇術を目の当たりにして、ずっと押し黙って無表情を貫いていた人狼も少しだけ目を丸くした。


「それじゃあ、ヴィヴィ。席を外してもらえる?」

「かしこまりました」

 いつものように、息をつかさぬままに彼女は姿を消す。


 俺もまた自発的に出て行こうとする。……そもそもなぜ俺まで巻き込まれたのか。近くにいたせいだろう、そう自己解決した。

 だが――


「カイン、どこ行くの?」

「いや、俺も席外した方がいいだろ?」

「何のために来てもらったと思ってるの」

 領主さまは呆れたようにため息をついた。事故、ではなく故意だったらしい。俺の移動は。そもそもにして、あのしっかり者のメイド魔族がそんな初歩的なミスをするわけがないということか。


 ミレイに言いつけられて、俺は部屋の片隅にあった折り畳み椅子をまず執務机の間に設置した。人狼に座るように促す。俺は、ミレイに手招きされたのでその右隣に控えることにした。

 空気がしんと静まり返る。気まずい沈黙。ミレイは手を机の上で組みながら、背筋を伸ばして固まったまま。人狼の方は猫背気味に椅子に座りながら、腕を組んで少しだけその顔を険しくしていた。


「まず、挨拶から始めましょうか。――あたしはミレイ・ゲーテルブルク。この村を預かっている者よ」

「……ウォルだ」

 にこやかに応じる領主と対照的にぶっきらぼうなよそから来た魔族。


 部屋の中の雰囲気は、あいかわらず険悪だ。二人は互いに警戒しているように見えた。一人、蚊帳の外にいる俺はそんな空気を感じ取って、つい居心地の悪さを覚えてしまう。


「それで、ウォル。あなたはどうしてあの森にいたのかしら?」

 口調は穏やかだったものの、ミレイの目は鋭く光ってる。

「どこをどうほっつき歩いていようが、俺の自由だと思うが」

「まあそうね。あの森は共有地……特段の許可はいらない。でもあなたは怪我をして、ここに運ばれてきた。事情を尋ねる権利は、領主であるあたしには十分あると思いますわよ?」

 彼女はにっこりとほほ笑んだ。


「……なかなか厄介そうなリョーシュサマだな。アンタも大変だろ?」


 ウォルは薄く笑いながら、顔を俺に向けてきた。俺はどうこたえていいかわからなかったので、あいまいに首を振っておく。そもそもにして、俺はここの領民と言うわけでもないし。……今の自分の身分は何なんだろうか。自分でもよくわからなかった。


「この村は平和そうだな」

「……どういう意味かしら?」

 ミレイの眉毛がピクリと動いた気がした。

「なあ、俺はどれだけ眠ってた?」

「ざっと二日、だな」

「そうか。じゃああれはいつかも前のことだ。俺の住んでいた村が一人の賊に襲われた。恐ろしいまでに強い奴だった。あっという間に村のみんなを殺していった。臆病者の俺は敵に立ち向かうことなく、逃げ出してきたわけさ」


 ウォルは自虐気味に笑った。そこにどんな思いが込められているのか、とっさには判断がつかない。だが、どこか自分の情けなさを恥じているようには見えた。


 しかし、そんな事件がよその村で起こっているとは……。魔界の情勢がどうなっているかなんて、考えたことはなかった。知っていることといえば、せいぜい魔物が以前よりも凶暴になっていることくらい。それすら伝聞だから、実感があるわけではないが。


 似たような話は旅の中で何度も見聞きしていた。現場に居合わせることがあれば、全てが終わった後のこともあった。山賊や野盗といった存在とも闘ったこともある。魔物とは違って、その命まで奪うことはしなかった。捕縛して、自治組織に引き渡した。その後どうなったかは知らない。

 魔王が侵攻してきた、という事実が人々をそうした行動に走らせた。しかし、魔王が滅んだ後もそれが続いたのは、暮らしがすぐには元に戻らなかったから。全てにのっぴきならない事情があるとは言わないが、人間同士の争いが起こる理由は理解できないわけではなかった。


 おそらく、それと同じことがこの魔界でも起きている。新しい魔王が誕生したようだが、いまだ先の動乱か完全に立ち直ったわけではないのだろう。その原因の一端は間違いなく俺にある。

 ここの魔族は助け合って暮らしている。少しの争いも見たことがない。それでつい、その事実から目を背けていた。この世界も人間界と同じで、不安定な状態が続いているのだ。ウォルの村はその犠牲になってしまった。


「なるほど、それはさぞお辛かったでしょう。お悔み申し上げます」

「ふん、そんな形だけのもんはいいさ。ここは大陸の端っこにあるんだから、大丈夫だと思うが、せいぜい用心しておくんだな」

 

 ミレイは深々と頭を下げた。ウォルの目には薄っぺらいものに見えたようだが、俺には真摯なものに見えた。顔を伏せる前、苦しそうに歪んだのがわかったからだ。それに、この娘がこんな話を平然と受け止めるとは思えなかった。


「ええ、心配してくれてありがとう」

 顔を上げた領主の顔には真剣そのものだ。

「それで話を戻すけれど。森の中で、あなたいったい何に襲われたの?」

「心配しなさんな。その賊じゃあない。俺の脚力を舐めるなよ? ただの魔物さ」


 そして彼はその特徴について話し始めた。それはおおよそ、アレンの母親を襲ったものと同じ種類に思えた。もちろん、異なる二種類があの付帯森をうろついているという可能性はぬぐい切れていない。

 ミレイは腕を組むと、思案顔で一つため息をついた。その頭の中では、きっとこれからについての考えが渦巻いているのだろう。


「やっぱりそうか……。カイン、後でヴィヴィアンと作戦会議ね」

「ああ、わかった」

「それで、ウォル。あなた、これからどうするつもり?」

「はっきり言ったらどうだ? さっさと村から出て行ってくれ、って」

「……そうね。正直な話、よその村の者を庇護する余裕はこの村にはない。みんな、自分の暮らしで手いっぱいだわ」


 彼女の話を聞いた時、俺は確かな違和感を覚えた。俺だって余所者だ。でもここにいる。それはどうしてだ? なぜ俺を追い出そうとはしないのか。

 利用価値があるからだろうか。戦闘能力に乏しそうなこの村では貴重な存在……自分でそう思うのは自惚れな気がするが。だが、思えば初めから、彼女は俺を拒絶しようとはしなかった。すんなりと、滞在を認めてくれた。

 そんな風に考え込んでいると、領主がちらりと俺を見た気がした。その視線に何かの意味を感じて、俺は口を挟まないことにしておいた。


「だろうな。魔王の悪政はちゃんと理解してるさ。どこの村も、きっと同じような状況だろう。元々は俺だって、セントラルに出ようとしたんだ。それがちょっと道を間違ってしまってな。いやぁ、意識が朦朧とするってのは恐ろしい」

「話によると、完治までまだかかるそうね。ひとまず、まだ数日間はいてくれて構わないわ。旅の用意もさせておきましょう」

「てっきり今すぐ出て行けと言われると思ったが、意外だな」

「あたしはそんなにひどい女ではないわよ――というわけで、短い間だけど、よろしくね、ウォル。あたしたちはあなたを歓迎します」


 すっとミレイが右手を差し出したものの、人狼はそれを一瞥するだけ。手を握る代わりに、ひらひらと顔の前で手を振った。


「だからいいってば。そういう形だけのやつは。――少し疲れちまった。ちょっと休みたいんだがね」

 おどけるように肩を竦めながら、彼は唇を突き出した。

「ええ、わかったわ。カイン、悪いんだけど、彼を案内してもらえる? あなたの隣の部屋、空いているでしょ」

「あいよ」


 俺は机を回り込んで、ウォルの近くへと寄った。ぴくぴくと彼の鼻が動くのがわかった。


「じゃあ行こうか。改めて、俺はカインだ。よろしくウォル」

「ああ、よろしくな。……なあ、アンタ、俺とどこかで会ったことはないか?」

「……は? いや、そんなことはないと思うけど」

「アタシもそう思う。この村の民はあの森を越えることはめったにないわよ?」

 ミレイが微妙な助け船を出してくれる。俺もまた余所者だということは、隠しておきたいらしい。


「そうか、じゃあ気のせいだな。いやね、なんとなくアンタの臭い、どこかで嗅いだことがあるなって思ったもんだから」

「臭いって……」

 流石人狼と言うセリフはぐっと呑み込んだ。

「気分を害したのなら謝る。――それじゃあ、領主殿。失礼させてもらうぜ」


 ポンと背中を押されて、俺は彼と共に執務室を後にするのだった。


 


 


「」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る