第22話 領主ミレイ
森から出て、俺たちはグルーの家に駆けこんだ。事情を話すと、彼はすぐにベッドを貸してくれた。
そこに傷ついた人狼を横たえる。意識は混濁状態。時折、低い唸り声が漏れていた。
「しかしひどいなぁ、こりゃあ……」
「私を襲ったのと同じ魔物の仕業でしょうか?」
「どうだろうな」
グルーは難しい顔をしながら首をさっと横に振った。
「とにかく。早く手当てしないと。応急処置だけじゃ心許ない。――グルーさん、色々とお借りしてもいいですか」
「ああ、もちろんだとも。このニーサンを早く助けてやってくれ。それで、何か手伝えることはないかい?」
俺とアレンも彼女の顔を見た。
「それじゃあ――」
彼女はパパっと俺たちに指示を出した。グルーは医術士の先生を呼びに、アレンは家に薬を取りに、俺はミレイに事態を報告しに行くことに。
三人揃って家を出て、俺たちは一気に村道を走り出す。橋を渡って回り道に差し掛かり、グルーたちは右手に折れた。村民たちの居住区の方角だ。
俺は迷いなくもう一方の道を行く。そちらが広場へと繋がる道。もはやセティアの案内が無くても、村のどこにでも行けるようになっていた。
館の前には都合よくヴィヴィアンが立っていた。掃除をしていたらしく、その手には箒が握られている。
「ヴィヴィアン!」
「どうしたんですか? 凄い汗です」
少しだけその顔が険しくなった。
「森に重傷の人狼がい――」
突然、周りの風景が変わった。外にいたはずがいつの間にか室内にいる。あっという間の出来事だった。
どうやらここは執務室のようだ。すぐ目の前の机に、ミレイが座っている。驚いた様子は全くない。至極当然といった顔つきで、俺たちのことを見ていた。
「カインも一緒なの? これは緊急事態みたいね」
仕事をする手を完全に止めて、彼女は両手を机の上に乗せた。そのままぐっと前のめりになる。
俺はとても簡単に森であったことについて話した。領主の顔は見る見るうちに、曇っていってしまった。話を終えた頃には腕組みをして、困り切った表情で長いため息をついた。
「なんともまあ厄介なことに……」
ふるふると、ミレイは頭を左右に振った。
「まずは、絶対に森には立ち入らないようにみんなに再周知しないと。――ヴィヴィ、頼んでいい」
「お任せくださいませ」
力強く頷くと、彼女がすぐにいなくなってしまった。……やはり移動魔法は便利だ、と改めて実感させられる。
「今は、カトレア――アレンのお母さんが治療に当たっているのね?」
「ああ。医術士の先生も呼ぶ、とか言ってたな」
「……それほどの重症か」
ミレイは親指をちょっと噛んだ。この二週間余りの付き合いの中で、彼女がここまで何かに頭を悩ませているのは、初めての光景だった。日中は顔を合わせることが少ないから、本質的にはそんなに長く一緒にいるわけではないが。
それでも彼女がこの村のことを大切に想っていることを、俺はよく知っている。御用聞きの中で、領主の悪い評判はかけらも聞いたことがない。誰もが、称賛する言葉を口にした。
今もおそらく、村への被害をどう防ぐかを考えているのだろう。
「とりあえず状況が変わったら教えて頂戴」
「ああ、わかった。――でも、森の魔物はどうするんだ?」
「二人目の犠牲者が出た以上、本腰を入れて対策する必要があるわね。――悪いけど、頼めるかしら?」
「了解。何時行けばいい?」
「ヴィヴィアンの都合をつけてからね。それと、今はその人狼の容態の方が気になるわ」
「……どうしてヴィヴィアンが?」
「あなた一人に任せたら、森で迷って野垂れ地ぬだけじゃない」
ミレイは冷やかすように肩を竦めて笑った。
俺はばつの悪さにただ顔を歪めるしかなかった。
「ということで、あなたはグルーのところに戻って? しばらくその傷だらけの人狼さんの様子を見張っていて欲しい」
「しばらくって……まさか」
「泊まり込みで、ね。グルーには、あとであたしから挨拶しておくから」
悪戯っぽくウインクする横暴な領主様。これまた、面倒なことになったものだと、俺は当てつけのようにため息をつくのだった。
*
あれから二日経った。人狼は未だ目覚めてはいない。アレン母によれば、治療はうまくいったから時期に、ゆっくり眠っているだけというが。
俺はグルーと交代交代に人狼の様子を見守っていた。確かにその寝顔は比較的穏やかに見える。
「グルーって、意外と料理上手なんだな」
「そうか? 普通だと思うぜ。――そんなに、セティアの飯はひどかったか」
「ついでに領主様もな」
家主が用意してくれる食事はどれも美味しかった。見た目も悪くない。あの二人の者とは雲泥の差……いや、同じ料理というカテゴリーに入れるのすら悍ましい。比較対象があって、初めてあの凄惨さがよくわかる。
この木こりは、もう少し気難しい人物だと思っていたが、すぐにそれが間違いだとわかった。ぶっきらぼうなだけで根は優しい。ここでの生活も、まだ二日だが、そんなに悪くないものに思えた。
……戻りたくないなぁ、あそこには。奇麗に焼けたパンをかじりながら、俺はそのおいしさに感激していた。
「……そうだろうな。定期的に館で食事会があるんだが、いつも阿鼻叫喚の光景が繰り広げられてる」
彼のげんなりとした表情から全てを悟った。食事会、か。覚えておこう。先にわかっていれば、覚悟もできる。
「まあでも、あの娘の欠点はあれくらいだしな。それ以外は、本当に素晴らしい領主様だ。初めに中央からやってきた時は、あんな小娘に何ができる、とおもったもんだが。村人全員で反発したこともあったなぁ」
「へぇ、そうなんだ。今の姿からは考えられないな」
「それは偏に、あの娘の努力の成果ってことだ。今じゃ、誰も悪く言わない。……料理の腕前以外は」
ガハハ、と豪快にグルーは笑った。それにつられて俺も頬を緩める。しかし、彼の言うことはいまいち想像ができなかった。一年……あの闘いの後、いったい彼女は何を思って、この村で過ごしたのだろうか。
ふとそんな物思いに耽っていると――
ガタガタッ!
奥の部屋から物音が聞こえた。途端に、俺とグルーは笑いを引っ込める。和やかな雰囲気が、一気に緊迫としたものに変わった。どちらともなく、目配せをする。
それは人狼が寝ている部屋の方に思われた。もしかすると、目を覚ましたのかもしれない。
俺たちはゆっくりと立ち上がった。少しだけ警戒しながら、彼が寝ている部屋へと向かう。
扉を開けると、人狼がすっかり起き上がっているのが目に入ってきた。きょろきょろと不思議そうに部屋の様子を眺めている。
すぐに俺たちのことに気が付いたらしい。彼はこちらの方を向いた。その表情が少しだけ険しくなる。
「ここは? あんたたちは?」
その声にも強い警戒が籠っている。
「森で倒れてたんだ。それをここまで連れてきた。覚えてないか?」
俺の言葉に人狼は少しだけ考え込む素振りを見せた。少し間があって、ようやくその表情が和らいだ。そしてゆっくりと頭を下げた。
「……そうか、あんたたちが。ありがとう、本当に助かった」
「いいってことさ。困った時にはお互い様ってな。……ま、治療したのは俺たちじゃないから、後でまたちゃんと礼を言ってやってくれや」
そのぞんざいな口調には、とても照れくさそうだった。
「とりあえず、色々と状況を整理したいんだが」
「ちょっと待ってくれ。今、この村の領主を呼んでくるから。グルー、ちょっとの間、ここを頼む」
「あいよ」
後を彼に任せて、俺は急いで部屋を出た。館までの、少し長い道のりをそのまま駆け出す。……ヴィヴィアンの移動魔法が本当に羨ましかった。
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