第21話 異変の始まり

 翌日。俺は近くの森の中を歩いていた。セティアに言わせれば、迷いの森。確かにその言葉通り、木々は生い茂り、方向感覚は狂いそうになる。これは勝手を知らなければ、抜けられる気がしない。

 だが、一人ではなかった。先を往くのは女性の魔族と子どもの魔族。親子だった。そう、アレンとその母親。


 ヴィヴィアンが言っていた同行してもらいたい村人と言うのは、この二人のことだった。薬屋の女主人とその息子――二人の目的は、薬の材料の採集だ。

 申し出があったのは、三日ほど前のことらしい。だが、それを聞いた領主ミレイはすぐに認可を下さなかった。現在、森に入ることは禁止されている。他でもない、アレンの母親が襲撃されたからだ。

 その一方で、ミレイは具体的な安全策を講じることができないでいた。つまり、アレンの母親を襲った魔物は未だこの辺りをうろついている。


 そうした事情があって、侵入許可を与えられないでいた。だが薬の材料が切れかかっていることもまた、ゆゆしき問題だった。辺境にあるこの村に、外部から物資が届くことはない。近くにある都市に誰かを買い付けに行かせるにしても、結局は森を通ることには変わりなし。

 悩んだ末に、ミレイが出した結論が、村で唯一闘える力を持つ俺に警護するよう言いつけたわけであった。

 ……グルーの見回りの件と同じじゃないか、と思ったが、反論する気持ちはなかった。俺はすんなりと受け入れた。


 今はその帰り道。先頭に立つアレンの母は淀みなく進んでいる。長らく通い続けてきたからか、道は熟知してあるらしい。俺にはどこをどう歩いているかは、全く不明だったが。


「でもよかったわ、ここまで何もなくて」

「えぇー、せっかくカイン師匠に僕の特訓の成果を見せる時だと思ったのに」

 安堵する母親とは対照的に、不満そうな声を息子は上げた。

 

 かなりの警戒を持って、森に分け入ったものの、今のところ一匹たりとも魔物とは遭遇していなかった。アレンの母には不謹慎かもしれないが、獰猛な魔物がいるとはとても思えなかった。

 ウンディーネの泉を荒らしたあの魔物もまた、その魔物ではないらしい。彼女を襲ったのは、熊のような二足歩行の毛むくじゃらの種類だという。太い腕と獰猛な牙を、彼女はよく覚えていた。


「特訓って……何をやってるんだ?」

 俺は眉を顰めながら、アレンに尋ねた。

「秘密だよ、秘密!」

「アレンったら……カインさんからもいってください。危ないことはするなって」


 言葉とは裏腹に、どこかアレン母は楽し気だった。息子の身を案じる一方、その成長をどこか嬉しく思っているのかもしれない。子を思う気持ちは、人も魔族も変わらないということか。ちょっと心がほっこりした。

 

 その後も何気ない会話をしながら、俺たちは帰り道を歩いていく。人間界の森と、おおよそ変わるところはない。木々の緑は色濃く、天球の光はここまで強くは届かないため薄暗い。それでも灯りを必要とするほどではないが。地面は少し湿って、草や枝は伸び放題。時に俺たちのゆく手を塞ぐことさえあった。

 アレン母曰く、普段は森の管理者がもう少し手入れしているらしい。確かに前、彼と見回りに行ったこともあったっけ。入口に住居を構えた、あの木こりのドワーフは、自分も森に入れろと文句を言っていた。


 やがて歩いていると、前方に横たわる何かを見つけた。黒い塊――何かの死骸だろうか。とりあえず、好意的なものには見えない。俺はちょっと立ち止まるように声をかけた。


「様子を見てくる」

「一人で大丈夫?」

「アレンはちゃんとお母さんを守ってやれ」


 俺は張り切る少年の頭を強く撫でつけた。彼は一瞬不服そうにしたものの、すぐに誇らしげな表情で胸を張った。


 腰に結わえた短剣の柄に手をやりながら、俺は謎の物体にゆっくり近寄っていく。距離を詰めるにつれ、二足歩行の生き物が横たわった姿だと判明した。

 それでも警戒は解かない。魔王討伐後の旅で、行き倒れのふりをした野盗に襲われたことがあった。無警戒に話しかけたら、たちまち武器を突きつけられた。もちろん返り討ちにしてやったが。

 この身体に慣れたとはいえ、そんな不意打ちに対応できるかといえば微妙だ。しかも、向こうの方にか弱い二人が控えている。まあ一方は火炎魔法を操れはするんだが。


 ちょっとだけ離れたところで、俺は立ち止まった。やはり人型の魔族らしい。身に着けている衣服はボロボロだ。一見すると、狡賢い物盗りいは見えない。演技だとすれば、よほどの身の入りようだと思う。


「おい、大丈夫か?」

 その俯き姿に俺はぞんざいに声をかけた。ひとまず反応はない。


 俺は困ってとりあえず腕を組んだ。果たしてどうしたものか。まあしかし、軽快し過ぎか。この森をよく知るのは、あの村の魔族たちくらいしかいないだろう。彼らを騙すために、ここで待ち構えているのは非効率的に思える。

 俺は素早くその魔族に歩み寄った。それはどうやら人狼だった。性別は流石にわからないが。所々見えている肌の部分にはびっしりと毛が生えている。頭部はまさに狼そのものだった。

 近くで見ると、かなり傷がひどいように思える。もう一度声をかけると、今度は少しだけその身体が動いた気がした。


「気が付いたか!」

 俺はその口元にしゃがみ込んだ。言葉にならない呻き声が聞こえた。

 

 回復魔法を――いや、ここは。


 俺はさっと周囲に視線を巡らせて危険がないことを確認すると、くるりと踵を返した。離れたところでじっとこちらの様子を窺っている親子に向かいなおす。


「おーい、ちょっと来てくれ! 怪我人なんだ!」

「えっ! ――は、はい。すぐに」


 アレンたちがすぐにこちらに向かってきてくれた。こういうのは薬師に任せた方が良い。回復魔法は便利だが、デメリットがないわけではない。本人の奥底にある生命力を無理矢理に引っ張り出しているだけ。その後に、リバウンドが訪れることはままある。

 アレン母は手早く、人狼の身体を診察すると、すぐに持っていた皮袋を漁り始めた、中には、一応傷薬などが入っていると、事前に説明を受けている。

 

 その間も俺は、周りに警戒し続ける。人狼の傷はまだ新しかった。つまり、その傷を負わせた元凶はまだ近くにいてもおかしくはない――きょろきょろしている俺を不思議がったアレンに、そう説明した。すると彼は少しだけ、怯えた顔をした。


「怖いか?」

「ぜ、ぜんぜん……」

 その声には全く勢いがない。

「別に強がらなくていいよ。俺がいる。お前にも、お母さんにも指一本触れさせないさ」

「ぼ、僕だって闘えるよ!」

「それは頼もしいな」


 微笑みかけると、馬鹿にされたと勘違いしたのか、少年はへそを曲げてしまった。俺はそのふくれっ面を、くすぐったい思いで眺めていた。


「治療を始めます。――アレン、手伝いを」

「うん」

 母親の顔はとても緊迫していた。


 俺は剣を抜くと、三人を取り囲むように地面に円を描いた。そこに魔力を流し込む。簡易な結界だ。魔物の侵入は少しは防げるはずだ。


「カインさん?」

「ちょっと辺りを見てきます。二人はその魔族を」

「僕も――」

「お母さんの手伝いっていう大仕事があるじゃないか。――すぐ戻ります」


 結界を用意したのは二人を守るのが主目的だ。しかし、副産物的に、もう一つの効果があった。それは魔力を辿れるということ。これなら動き回っても迷う心配はない。……本当は移動魔法が使えれば、こんな苦労をせずに済むのだが。


 適当に走り回ってみたものの、結局魔物の姿は見当たらなかった。血痕は点々としているから、すぐ近くで襲われたようではありそうだったが。

 果たして、その魔物はどこに行ってしまったのか。そして、それは、アレン母を襲ったのと同じだろうか。そうであればいいのだが、もし違う場合はまた面倒なことになりそうだな。

 訓練が仕上がったら、森狩りに出るのも悪くないかもしれない。しかし、それはいつのことになるのか。まったくイメージはできなかったけれど。


 元の場所に戻ると、人狼は包帯でぐるぐる巻きにされていた。薬師曰く、一命は取り留めたとのこと。しかしすぐにでも村に戻って本格的な治療をしなければ、まだ危険な状態。


 俺は人狼を担ぎ上げると、急ぎ足に歩くアレン親子を懸命に追うのだった。このことが村にとってある事件を齎すことになるなど、まだ知る由もなく――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る