第二章 勇者、魔王の娘と生きる

第20話 新しい生き方

「どうだい?」

「おばあさんが言ってたのと他に、もう一つ小さい穴があったから、それも塞いどきましたよ」


 下から声がして、俺は屋根の縁から顔を突き出した。心配そうにこちらを見上げる老魔族の顔がそこにあった。俺は彼女に向かってにっこりとほほ笑みかけた。


 子どもたちによる泉の魔物救出劇から、早くも二週間ほどが過ぎようとしていた。俺は毎日、こんな風に御用聞きの仕事をやっていた。領主であるミレイの言っていた、村のために力を生かすことの内容がこれだった。

 彼女からの依頼は、雨漏りがするから直して欲しいということだった。昨日が久しぶりの雨だったから気が付いたらしい。それでこうして屋根に上って補修工事をしたというわけだ。

 今日は他にも水汲みや薪割り、収穫した作物の運搬など。基本的に力仕事が多い。そう言うことを積み重ねた結果、かなり村民とも打ち解けることができたと思っている。初対面時には、敵意剥き出しだったこの老婆も今はすっかり物腰柔らかく迎えくれている。御用聞きもそうだが、やはりアレンとの一件が大きな契機になっていた。

  

 俺はポンと軽く屋根から飛び降りた。不便だと思っていたこの魔族の身体にもだいぶ慣れた。筋力こそ相変わらずだが、身のこなしは以前と変わらないレベルになっている。

 ……それが魔族になってから時間の長さを、俺に否応なく感じさせる。あれからアイリスはちっとも姿を見せない。あいつの言っていた選択の時、も未だ訪れていない。だが、そのことに対して、俺はなぜか不安を感じてなんかいなかった。


「ありがとうねぇ、どうも若い衆が少ないと、こういう仕事は……」

「全然。こんなものなんともないですから。他には何か?」

「いや、今のところはないよ」

 彼女は深く皺の刻まれた顔を素早く左右に振った。


 俺は彼女に大きく頷きかけた。一息ついた心地で、太い息を吐いた。空の天球はすっかり傾いている。そろそろ日が暮れる。辺りは白い靄がかかったようになっているが、その中に橙色の光を見つけた。この頃は、ようやくこの輝きの機微を感じ取れるようになっていた。


「それじゃ失礼します」

「もう行くのかい? たまには、お茶でも飲んでいかんかね?」

 一瞬目を丸めると、老婆は名残惜しそうな顔をした。

「お言葉は嬉しいですけど、仕事はまだ残ってるので」

「どうせセティアのところだろう? 少しくらい待たせたって構いやしないよ」

「いやぁそれはどうでしょう……?」

 俺は苦笑いしながら肩を竦める。


 以前かなり遅くなって、日が落ちきった頃に彼女のところを訪問したら、かなりどやされたことがある。『この村一番の恩人をないがしろにするなんて、いい度胸ですね』と笑顔で皮肉られた。

 

 ミレイの下で働くにあたって、俺はセティアの家から領主の館へと移った。それでも彼女との繋がりが断たれたわけではない。今も、農作業を毎日手伝っている。この間は、収穫作業を行った。変な形をしたイモや豆がごろごろと獲れた。魔界の作物は育つのが早いらしい。あるいは、魔法のお陰かもしれないが。


「まあ仕方ないね。じゃあお茶はまた今度、ということでな」

「ええ、是非に。それじゃあまた明日来ますから」


 そう言って、俺はおばあさんの所を後にした。簡単にだけ整えられた道を早足で歩いていく。

 この村は平和そのものだった。内部での争いはなく、外敵が責めてくることもない。誰もが穏やかに暮らしている。

 全ての魔族が苛烈で残虐なわけではない。俺はそのことを、改めてよく思い知らされた。見ないようにしていた事実を突きつけられている気がして、一人になると罪悪感に苛まれることが多々ある。今もこの寂しい村道の中に、過去に対する後悔に似たマイナスの感情を見出していた。


 やがて、ようやくセティアの家の前までついた。通い慣れているはずの道のりなのに、嫌にやけに長く感じた。

 ぱんぱんと頬を叩いた。強く頭を左右に振る。考えても仕方のないことだ。今どうするか。段々と日々の生活に、贖罪の念を俺は込めるようになっていた。


「カインさん。こんにちは。今日も頑張りましょー!」


 ドアノッカーを二度叩くと、すぐに中から家主が現れた。彼女は今日もまた、屈託のない朗らかな笑顔を浮かべていた。





        *





 執務室に入ると、領主は机に向かって何かの作業をしていた。左手に握る羽ペンはスラスラと淀みなく動いている。書類仕事――中央とやり取りしてるのよ、と彼女が以前教えてくれたことがある。セティアは以前、ここに外部の者が殆ど来ることがないと言っていた。どうやってやり取りをしているのか、俺は未だに知らない。日中、館の中にいることはほとんどないから。

 やや間があって、彼女がゆっくりと顔を上げた。とっくに俺が入室したことには気が付いてたようだ。表情に驚いたところはなく、出迎えるように穏やかな色が浮かんでいる。


「おかえりなさい。今日もお疲れさまでした」

「どうも。報告するな」

「午後のはいいわ。どうせいつも通りでしょうし。――どう、訓練の方は?」

 ひらひらと手を振ると、どこか挑むような笑顔で彼女は俺の顔を見上げてきた。


 御用聞きの他にもう一つ、俺には仕事があった。ウンディーネが襲われたこと、さらに以前から凶暴な魔物が辺りに出没したことを重く見て、セティアは自警団を創設することにした。創設、といっても昔に存在していたことがあるらしいから、復活の方が相応しいかもしれないが。

 村の数少ない若い男魔族が集められた。普段、思い農具を振り回しているからか、みんな体格は悪くないようだった。しかし、身体の使い方はあまり上手ではない。今は基礎からしっかり教え込んでいる。


「まあ順調かな。とりあえず、問題はないよ」

「なるほどね。でもまだまだ闘えるレベルにはないのでしょう?」

「それはそうだ。まだ初めて二週間だし。急いでるのか?」

「いつ魔物が襲ってくるかはわからないしね。今はあなたがいるからいいけれど」

「……まるでそれは俺がいつかはいなくなる、みたいな言い方だな」


 俺は少し顔を曇らせた。彼女は――いや、村の者は誰一人として、俺の正体には気づいていない。気づきようがない。だが、ついドキッとさせられた。

 俺は本来地上に暮らす人間だから、確かにいつかここを去る日が来るのだろう。だが、それ以外の理由で俺はこの村を離れようとは思っていなかった。他の場所に行ったところで、路頭に迷うだけ。もちろん、ここの人たちに拒絶されれば、すぐにでも出て行くが。


「――記憶の方はどうなの?」

 はぐらかすような言い方をして、彼女はトントンと自分の頭を指で叩いてみせた。

「いや、全然」

「なら大丈夫かもね」


 ふふっと笑みをこぼすと、ミレイは手元の紙をくしゃくしゃにした。そしてそれを屑籠に放り込む。


「いいのか、それ? 何か書いてたみたいだけど」

「書き損じ。また書き直すわ。――明日だけど」

 そして彼女はゆっくりと腰を上げた。

「お腹空いたわ。ご飯にしましょ?」



 俺たちは食堂へと移動してきた。館一階部分が、居住区域になっている。俺の部屋もそこにある。


 食卓の上には夕食が並んでいた。用意したのは、ミレイだ。この女は領主のくせに自分で料理をする。メイドあの従者――ヴィヴィアンは別に身の回りの世話をするのが、仕事ではない。どちらかといえば、秘書という言葉の方がしっくりくる。彼女もまた同じテーブルについている。

 一汁三菜、主食はパン。形の上では、人間界の者と引けを取らないメニュー構成。しかし、その中身はいえば――


「どう?」

「……とても独創的な味がする」


 目の前に並ぶ品々はどれも形からして、毒々しかった。その見た目に即して、味もまた素敵なもの。舌がピリッと痺れるくらいはまだまし。この間は、あまりの苦さに、数分の間声を出せなかった。


「ありがとう、褒めてもらって嬉しいわ」


 ぱあっと明るい笑顔を浮かべるミレイ。そしてヴィヴィアンはちょっとこちらの方を睨んできた。

 最近分かってきたのだが、魔族料理全般がまずいわけではなさそうだ。その証拠に、このメイド秘書もいつも食事中は苦い顔をしている。セティアといい、たまたま料理下手のやつが続いただけらしかった。思えば、この見た目、味といい、あいつが作ってくれたものとどこか似ている。趣向が同じなのかもしれない。


 俺たち三人は黙々と食事を進める。楽しそうなのは一人だけ。他の二人にとっては、拷問に等しい時間でもあった。それでもちゃんと食べれば腹は膨れる。近頃は、一周回って何も感じなくなってきたのも恐ろしい。


「そうだ。今のうちに入っておくわ。――ヴィヴィアン」

「はい。――カインさん、あなたの明日のお仕事なんですが、村人に同行してもらいたいのです」

「同行?」

「ええ」


 有能な秘書はにこりともせずに、俺に仕事の概要を説明し始めた――

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