第18話 勇気とは

 その少し年老いた魔族は、村の北部に住んでいた。いつもと変わらないように、農作業に勤しんでいたところ、慌てふためいた子どもたちが彼の下に駆け寄ってきた。それがついさきほどのこと。

 話を聞くと、なんでも川の水の色が濁っているのを心配して、彼らは山に出かけて行ったらしい。そして、そこで魔物に遭遇して――


「アレンが一人で立ち向かっていったんだ。その後、俺たちに逃げろって……」


 憔悴しきった顔で語るのは、子どもたちの親分格であるボルテス。彼らの中には、泣きだすものさえあった。


 状況確認のために、村の中心部に有識者たちが集まっていた。その中には、もちろんアレンの母親もいて、彼女の嗚咽が絶え間なく辺りに響いている。

 そして、見慣れない顔が一つ。それが泉に棲む魔物――ウンディーネだった。怪我をしているようだったが、祈祷師が治療に当たり事なきを得た。


「まだ戻ってきていないところを見ると、今も闘ってるんだろうな」


 ちらりと、前方にそびえ立つ山に目を向ける。濃いグレー色に見えたその中腹部には、オレンジ色の光が煌めいている。さっき見た時よりも、それは広がっているように見えた。


「早く助けに行かないと、マズいことになるわね……」

「しかし、ミレイ様。あの炎の中ではおいそれとは――」

「待ってください! それって、あの子を見捨てるというのですかっ!」

「落ち着いて、リュミドラ。そんなことにはしないわ。それに一刻も早く、あの火災を何とかする必要もあります。――至急、救助部隊を編成しましょう。カレン、みんなに声をかけてきて」

「かしこまりました」

 あのメイド姿の魔族が瞬時にその姿を消した。


 そのままなおも、彼女は近くにいた部下と共に何かを必死に話し込む。それを他の大人たちが心配そうに見守っていた。

 俺はその傍をそっと離れた。アレンが取り残されている燃え盛る山の方に身体を向ける。そのまま数歩、近づいていく。


「ちょっとあなた、どこへ行くつもり?」

「決まってるだろ。あいつを助けに行くんだよ」

「一人じゃ危ないよ~、カインさん!」

 セティアにぐっと腕を引っ張られた。

「俺のことなら大丈夫だ。こうして、ここで話し込んでいても時間の無駄だろう?」

 その一言に、村人たちは押し黙るばかりだった。


「それに、今回の件には俺にも責任がある。俺がアレンに魔法を教えなきゃ、こんなことにはならなかった。なまじ闘う力があったから、彼は一人で残ってしまった。子どもらしく逃げるべきだったんだ」

「それは違うよ! アレンは、俺たちを守ろうとしたんだ!」


 苦言を履く俺に、子どもたちが詰め寄ってきた。みんな、俺のことを憎らしげに見上げてくる。友達のことを悪く言われたと思って、ムカッと来たらしい。

 俺は思わず笑みを漏らした。彼らのそうした関係が、微笑ましく、同時に羨ましくもあった。

 ぐっと屈みこんで、彼ら四人に視線を合わせる。その顔を順繰りに、しっかりと見つめていく。


「……そうだな。そうやって、誰かを守ろうとすることは素晴らしいことだ。アレンが戻ってきたら、ちゃんとお礼を言ってやんな」

「お兄さん……うん、わかった」

「絶対、あいつを助けてくれよ、お前!」

「ああ、任せてくれ」

 俺はボルテスの頭を乱暴に撫でると、ぐっと立ち上がった。


「じゃあ、行ってくる」

「すぐに他のみんなも向かわせるから、無理はせずに」

「待って。アタシも――」

「セティア。あなたが行っても足手纏いになるだけよ。大人しくここで待っていなさい」

「で、でも、ミレイ様……」

「ミレイさんの言う通りだ。セティアは、まあご馳走でも作って待っててくれよ」

 俺は彼女の顔に柔らかく微笑みかけた

「ご馳走……うん、任せて、腕によりをかけて作っちゃう!」

 一瞬、何か悩むような仕草をしたものの、最後には彼女はぐっと拳を握ってみせた。


 さて、急がないと。このまま手遅れになんてことがあったら……ぐっと力を込めて駆け出そうとしたが――


「あの、カインさん。息子を、アレンをお願いします」

 少年の母親は、心痛な顔をしながらも深く腰を折った。

「はい、必ず連れて戻ります」


 俺は強く大地を蹴りだした。思えば、こうして全力で走りだしたのはいつぶりだろうか。ただ真直ぐに燃え盛る野山を見据えながら、無心に脚を動かした――





        *





 登っていくにつれて、煙がどんどん濃くなっていく。思った以上に、火の回りが早いらしい。


「アレーン! アレーン!」


 さっきからこうしてずっと呼びかけているものの、一向に返事はない。視界が悪い中、動くものを一つも見つけられずにいた。

 

やがて――


水流魔法ストリーア!」


 行く手を炎が塞いできた。その度に魔法の力で消火して回る。それでも一向にがない。行けども行けども、炎が差し迫ってくる。


 果たして、アレンはどこへ行ってしまったのか。魔物と未だに戦闘中。あるいは、とっくの昔に離脱して、隠れているのか。それで、火が立ち込めてきて逃げられなくなったのかもしれない。

 どちらにせよ、急がないとまずい。一向に手応えがない中、焦りだけが募っていく。炎もそうだが、煙も厄介。火炎魔法しか知らないあの少年では、そう長くはつわけがない。


 炎の勢いが強まっていくにつれて、段々と火元に近づいている感はある。アレンのやつ、かなり魔法を連発したみたいだな。こんなあちこちにまで飛び火しているとは。どうりで、村の方から見てもよく燃え盛っていると思った。


「アレン! どこだ! 俺だ! 助けに来たぞ!」


 その声は虚しく宙に吸い込まれるばかり。まさかもう――一瞬嫌な想像が胸を過るが、すぐに打ち払った。子どもたちや彼の母親と約束したじゃないか。必ず助け出すって。俺の目の前で、もう誰かを犠牲になんてさせない。それは、それだけは、魔族として今生きていくうえで貫いて見せる。


 何度目かの呼びかけの時、遠くから微かにだが音が聞こえてきた。途端に足を止めて、耳を澄ませてみる。それは気のせいではなく、確実に俺の元に届いていた。じっと神経を研ぎ澄ませる。


 おそらく。


 発生源と思われる方へ、夢中に進んでいく。炎だけではなく、時折倒れた木が通行の邪魔をする。これでは確かに、変なところに入り込んだら中々逃げ出せないだろう。

 熱を感じ、煤の臭いを嗅ぎながら、なおも声をかける。段々と、その音が言葉になってはっきりと伝わってきた。


「ここだよ、お兄さーん」

「アレン! すぐ行くぞ――」


 声の大きさからして、おそらくかなり近くまで来た。一度立ち止まって、ぐるりとあたりを見まわしてみる。この辺りは、火の勢いがかなり弱いようだ。きっと、戦いの中心地は通り抜けてしまったんだろう。

 ともかく、どこかあの少年が隠れられそうなところは――


「見つけた!」


 遠くの方の木の根っこのところに小さな隙間があった。


「アレン!」

「カインお兄ちゃん!」


 思わず俺たちは身体を空き合わせた。やっと会えた。果たして、あれからどれくらい時間が経っただろう。安堵共に、疲労感がどっと沸いてくる。全身、えげつないくらいに汗が滴っている。


 ぱっと見たところ、大きなけがとかはないみたいだ。ただ、ここまでの過程で色々あったらしく、衣服のあちこちが擦り切れて、顔なんかは泥だらけだ。


「大丈夫だったか?」

「うん。なんとか……」

「魔物は?」

「それが、よくわからなくって」


 彼の話によれば、自分のできる最大の魔力を込めてまず火球を放ったらしい。それが魔物に命中し、見事に注意を惹くことができた。だが、今の自分では敵わないことを悟り、仲間たちが逃げたのを見て自分も村に戻ろうとしたところ――


「なかなかすばしっこくて。追いつかれそうになるたびに、夢中で魔法で応戦したんだ」

「それでこんな風に、山火事に……」

「うん。やばいとは思ったんだけど」

「それは仕方ないさ。生きるために必死にやったことなんだから」


 そしてなんとか魔物を振り切ってあそこに隠れていたらしい。そろそろ移動しようと思っていたら、思いのほか近くまで炎が迫っていた。魔物に見つかる可能性もあって、助けがあるまでじっとしていた。


 それは素晴らしい判断に思えた。もし俺なら、ムキになって魔物を倒そうとした。実際似たような事をやらかして、死にかけのところをアイリスに助けてもらった。もう二度と手助けはしないと、あの時は激しく怒られたな。

 なにはともあれ、アレンが無事でよかった。後は、速やかに彼を送り届けるべきだが――


「止まって」


 ざっざっと、積み重なった燃えカスを踏みしめる音が遠くから聞こえてきた。


 何かの気配が近くにある。漂う空気はひんやりとして、ぴりぴりと。言いようのしれない不安を、身体の奥底に感じて、鼓動が跳ね上がる。


 そして、木々の隙間から――


「きしゃぁっ―――!」


 獰猛な牙を覗かせた巨大な大蛇が姿を見せた――!

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