第17話 事件の発端

 朝食後、まだ眠さの感じていた俺は、ごろりと床に寝転がることにした。行儀が悪いのはわかっている。しかし、目覚めの時からして最悪だったのだ。これくらいは許して欲しい。


 そんな眠気に身体を委ねて、うとうとしていると――


「さ、だらだらしない! 出かけますよー!」

 ハイテンションの少女が近くに立ちはだかって、勝気そうに見降ろしてきた。

「どうせ畑だろ。少しくらい休ませてくれよ。納屋の改修で疲れてんだ、俺は」

 ごろりと、俺は彼女とは反対の方を向く。


 セティア家の納屋を根城にして、もう十日以上経つ。流石にそろそろ我慢の限界だった。魔法教室が終わってからは暇な時間が増えたので、いよいよと思い立って整備をしたのがここ数日の出来事。それがようやく日の目を見たのが、昨日だった。

 しばらく半日ずつ労働を続けていたせいか、どうにも疲労が抜けきっていない。せっかく、納屋を整頓したのに、その効果は未だ出ていなかった。


「元はうちのものだし、それはご苦労様でありがとう様だけど、頼んだわけじゃないからねぇ」

「まあそうだけど……もう少し労ってくれても――」

「ともかく! さっさっと、動く! 畑じゃないよ。今日はグルーおじさんのお手伝い」


 その言葉を聞いて、ようやく俺の身体にもやる気が湧いてきた。しゃきっと立ち上がると、ぐぐっと節々を伸ばしてみた。爽快感が全身いっぱいに広がっていく。

 いつもと変わらない農作業だったら、とかなりうんざりしていたが、そういうことなら話は別だ。毎日、同じような一日の繰り返しで、新鮮なに飢えていたところだった。


「なによ、その反応!」

「別に? さあ、さっさと行こう」


 不服そうな顔を見せる家主を一人残して、俺は一足先に家を出た。久々に、それはよく晴れている。久しぶりにこの地で雨を見たのは、三日くらい前のことだったか。


 その時、子どもたちの集団が目の前の道を横切った。みんな楽しそうにしている。もちろんアレンも。

 しばらく眺めていたが、向こうは俺のことには気が付かなかったようだ。そのまま、村の奥の方へと消えていく。


「楽しそうだなー、あの子たち!」

「いつも思うんだが、彼らは何して遊んでるんだ?」


 魔族は普段どんな遊びに興じるのかは、純粋に興味があった。娯楽は全くないように見える。それが果たして農村だからか……しかし、今日日の人間界の農村でもここまで酷くは――いや、魔物出現後の今だと、同じくらいかもしれない。


「ああして走り回っているだけでも、楽しいものだよ、意外と。ううん、アタシも思い出しちゃうなぁ」

「へえ、お前にもあんな風な少女時代があったんだ」

「失礼な! 誰だって、小さい頃は子どもよ。あの子たちみたいに、色々とみんなで遊んだっけ」

「のわりには、この村にお前と同年代らしき魔族はいないみたいだけど? 実は歳ごまかして――」

「怒るよ?」

 ぞっとするような冷たい声。その顔は全く笑っていなかった。


「すみません、今のは失言でした……でも、お前と同年代が全くいないってのは妙じゃないか?」

「……変なところに気がつくね~。色々あるんだよ」


 彼女は力なく微笑んだ。それはどこか儚げな雰囲気を帯びていて、この少女にはまるで相応しくない。あたかも魔王の娘の途方に暮れる姿と、どこか重なってさえ見えて――


「さて、じゃ行こっか。グダグダしてると、またグルーおじさんに怒られちゃう」

「……ああ、そうだな」


 何事もなかったかのように、元気よく歩き出すセティア。よくもまあ、ころころとそんなに表情を変えられるものだ、と、俺はちょっとだけ呆れていた。





        *





「ま、こんなもんか」


  幹に手を当てながら、グルーは気の上の方をしげしげと眺めていた。それを止めて、俺たちの下に戻ってくる。


 森の中の木々は全てが針葉樹だった。どこか寂しげに見えた、あの山の木々は種類が違うのだろう。


 グルーの仕事とは、森の見回りだった。本来であれば彼一人で十分にこなしているものだが、今回はそこに俺も同行した。理由は簡単だ。先の襲撃事件が尾を引いていた。それがあってから、すでに一カ月以上が経過した。その間、森は立ち入り禁止。だが、そろそろ定期の見回りをする頃になってきた。それで、グルー単独では危険ということになり、魔法が使える俺に白羽の矢が立った。推薦人は、なんとミレイ。


「今日はこれでお終いだ」

 くるりと振り返り、彼は出口に向かって歩き出す。

「でも、結局何も出なかったね~」

「それは平和でいいじゃないか」

「そうだぜ、坊主の言う通りさ。意外と、気が合うじゃねえか」

 それが冷やかしの言葉だというのは、リアクションが物語っていた。


 そう噂の魔物はおろか、他の魔物は今のところ現れてはいない。それなりに深いところまではいってきた気がするが、ここまでのところ穏やかそのものだった。


「そういえば、例のアレンのお母さんを襲った魔物ってどんなやつだったんですか?」

 実は彼女を救出したのが、グルーだというのをついさっき聞いたばかりだ。

「キマイラだよ。本来、こんな場所にいるはずがないんだが……」

「ほ~んと、困りものだよねぇ」

 セティアはぐっと顔を曇らせた。


 キマイラといえば、色々な動物が寄せ集まった姿をした魔物だ。その体躯は巨大で、動きは敏捷。俺も何度か相手にしてきたが、少なくとも火炎魔法一つで楽勝といえる存在ではない。

 俺が人間時代に、魔界を旅していた時にはそこらじゅうで見つけた。あれで、凶暴な魔物というのなら、それくらいのレベルはそれこそ道中、絶えることは無かったのに。


「何か原因はあるのかな」

「さあ。わかんねーなぁ。もしかすると、魔王様のやっていることに――」

「グルーさん。その話はいいじゃない」

「……っと、そうだったな」

 微妙な沈黙が俺たちの間に発生する。


 果たして、その言葉はどういう意味なのだろうか。魔王と魔物が凶悪化するのにどんな相関関係が……考えてみたところで、俺にはまるでわからない。


 どこか気まずいままに俺たちは出口を目指す。道は相当入り組んでいて、周りの風景も変わり映えしない。これは確かに、迷いやすいと言われると納得できる。ぐるぐると歩いているせいで、方向感覚も存分に狂ってきた。


 やがて――


「ふう、やっと抜けられた……」

「なあに、カインさん。こんなんで参ってるの?」

「悪かったな、どうもこの身体疲れやすくて」

「変な言い方だね~」

 けらけらとセティアは声を上げて笑った。


「ま、一応礼を言っておくわ。ミレイ様の命令とはいえ、ついてきてくれてありがとうな」

「いえ、そんなこれくらい……」

「残りは明日もやるから、よろしく頼むぜ」


 そんな風にされると、俺としてはちょっとくすぐったい想いがするのだった。この短時間で、少しはこの気難しそうな木こりとも打ち解けられた気がする。


「あ、もちろん、この後は農作業をしてもらうから。よろしく頼むぜ!」

「へいへい、わかりました、喜んでやらせていただきますとも」

「お前ら、意外といいコンビだなぁ」

 微笑まし気に、彼は目を細めた。


 仕事も終わったということで、俺たちは帰ることに。別れを告げて、歩き出そうとするが――


「た、大変だーっ!」


 その時、進行方向側から、血相を変えた初老の魔族が駆け寄ってきた。


「こ、子どもたちが……」


 息を切らしながら、彼は必死に北西方向を指さす。すると、あの枯れ果てた山が轟々と橙色の光を放っているのだった――

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