第16話 成果

 巨岩を置くと、ずしんと地面が大きく揺れた。あの子ども鬼が余計なことをしなければ、こんな苦労なぞしなくて済んだのに。強化魔法が使えるといえど、元々の膂力はかなり小さい。強化の限界はたかが知れていた。

 高さは今の俺とほとんど同じ。横幅は、大人二人分くらいがすっぽりと入る程度。ごつごつとして、頂点に向かうにつれてその先端が細まっていく。


「おっつ~」

「ちょっとくらいは手伝ってくれてもよかったんだぞ?」

「いやいや、アタシ、とてもか弱いので……」


 わざとらしく、彼女は服の袖で口元を覆った。コンコンとこれまたもっともらしくせき込むと、ちょっと目を伏せる。

 か弱いは、審議の余地があるとしても。女性ということは事実だ。流石に俺も、そんなことをこいつにさせるつもりは毛頭ない。そもそも、居候の分際で家主に逆らうなど畏れ多すぎて……。


 気を取り直して、俺は真剣な顔をしたアレンの方に向かいなおす。なんとなくその顔はありありと自信が満ちているように見えた。早くやりたくてうずうずしていたのだろうか、ちょっと頬が上気している。


「それじゃ今日も始めるか」

「うん!」

「アレン君、元気いっぱいだね~」


 少年が定位置に着いたのを見て、俺はセティアの隣に立つ。最近では、こうして彼が魔法の練習に励むのを見るのが楽しみになっていた。


 変化は目に見えて現れた。昨日まで、あんなにちっぽけだった火の玉が回を重ねるごとにその大きさを増している。岩に刻まれる黒い痕跡は次第に色濃くはっきりと――時には、その表面を軽くだが抉っている。


「へー、もうここまでいったんだ!」

「ああ。昨日一日でだいぶ、な」

「うーん、残念。アタシも外に出る用事がなければ、ばっちりそれを見ていたのに」

「昨日の仕事って、村の外でやるものだったのか?」

「さあ、まあ、どうでしょ~」


 自分から口を滑らせたくせに、やはりその全容を話す気はないらしい。意外と、この同居人は秘密主義なのだ、と俺はよく知っていた。それはもちろん、俺だってそうだが。秘密に加え、嘘までついている俺の方が性質が悪い。

 そんな己に堪らず苦笑すると、彼女が少し心外そうな顔をして睨んできた。どうやら、自分のことを揶揄されてると思ったらしい。そんあことないよ、とわざとらしい笑みを浮かべながら、俺は軽くかぶりを振った。


「――火炎魔法ファイア!」


 アレンの気分もだいぶノってきたらしい。その声は、今までの中で最も威勢がよかった。

 それに呼応したかのように彼の放った火の玉は、昨日あの鬼の子どもが見せたものよりも遥かに大きい。ごうごうとよく燃え盛っている。

 それはまっすぐに、岩石に迫っていく。勢いそのまま衝突すると、激しい爆発音がする。巻き起こった爆風に紛れて、ぱらぱらと石の破片が飛んできた。視界の悪い中でも、俺の目にはその巨岩の上半分以上がばっちり抉り取られているのが見えた。なかなかの威力だ。


 俺はヒューっと口笛を鳴らした。遅れて、パチパチパチと盛大な拍手が隣から聞こえてくる。そんな俺たちの反応が恥ずかしかったのか、アレンは顔を赤くして少し身じろぎをしている。


「すごいじゃないか!」

 早速俺たちは彼の方に歩み寄っていった。

「ううん、カインさんの教え方がよかったからだよ……」

 その呼びかけに、少年ははにかんだように笑う。

「あ、だったらアタシも――」

「お前はそもそも魔欲を持ってないだろ?」

「むぅ、どうしてすぐに水を差すかなぁ。ロマンがないって、よく人から言われない?」

 腕組みをしながら、セティアは不機嫌そうな顔で俺を見上げてきた。


「わけわかんないこと言ってる小娘は放っておいて。これならまあ、弱めの魔物なら倒せると思うぞ?」

「ホント!? 僕、お母さんの役に立てるかな?」


 彼の母を傷つけた魔物のというのが、どんなタイプだったかはよく知らない。しかし、大人の魔族に重傷を負わせるくらいだから、きっとかなり凶悪には違いない。そんなモンスターに、この程度の魔法が通じるとは思えないが、それでも最低限の自衛にはなる。少なくとも、この間セティアが成す術なかったあの大蜂くらいなら仕留められる。今の火球はそれくらいの威力だった。

 俺はこの村以外の事情をあまりにも知らなすぎると思う。どのくらいの強さの魔物が、辺りに生息しているのか。全く知らない。だから、彼が今覚えたての魔法で充分渡り合っていけるかは、全く判断がつかないのだ。


「今すぐには難しいだろうけど、その気持ちが大事だ」


 キラキラとした顔で見上げてくるのに堪えられなかった。俺が絞り出したのは、あえて本質から離れた答え。思わず顔を逸らしてしまう。

 あまり自信を持って欲しくもなかった。増長して自ら魔物に挑み、返り討ちにあう。そんな未来は容易に想像できる。それは魔法を覚えた場合に限らない。剣技や体技も同じ。闘いの道具である限り、その最終目的から逃れることはできないと、俺は個人的に考えている。


「そっか。じゃあもっと頑張んないとだね!」


 それでも、目の前の幼き魔族はとても張り切っているように見えた。この第一歩は、彼にとってはとても大きかったということだろう。その輝いた眼には、いったいどんなものが見えているのか。

 彼がこうして、それ以上の力を求めることは思った通りだった。それがすなわち、母親を助けたいという思いが真なものである証左ではあるが。

 それでも、俺は彼を導くつもりはない。魔法教室は今日でお終いだ。やはり根底で子どもが闘う力を持つべきではない、と今でも強く思っている。本音を言えば、これで満足してほしかった。だが、そこはやはり自分の意志。他人がとやかく言うことではない。

 日常が崩壊した日、ひたすらに力を求めた俺が、何かを言う資格などはないのだ。


「ま、これでともかく、馬鹿にされずに済むんじゃないか?」

「そうそう。よかったね~、アレン君」

「うん、そうだね。きっとみんなびっくりするだろうな~」


 想像に思いを馳せるその横顔はとても浮かれきっている。そこに、なにか危なっかしさを俺は覚えてしまった。


「……アレン、あんまり浮かれないようにな」

「わかってるってば。心配しないでよ、カインさん! ――それじゃあまたね!」

 そう言うと、彼ははしゃいだ様子のまま、村の内側の方へと駆けていってしまった。


「あらら、あんなに急いじゃって。そんなに楽しみなのかな?」

「変なことにならないといいけどな」

「変なことって?」

 彼女はぼやけた表情で首を傾げる。

「怪我する、とか」

「大丈夫だよ。あれ見たら、みんなビックリして、アレン君のことを見直すってば」


 からからと、女魔族は笑う。その姿に不安そうなところは一つもない。

 俺と魔族かれらの間には、魔法についての認識の微妙な差異がある。これまでのアレンとの付き合い、そして昨日の子どもたちの得意気な様子から学んでいた。魔族にとって、それはとても親しみ深いものらしい。


 過度な心配だと自分でもわかっているが、どうにも胸騒ぎは収まらない。俺は晴れ渡る空を、忌々しげに睨んだ。


 そこへ――


「さて、アタシたちも帰りましょ」

「そうだな」


 底無し沼のように、明るい女魔族の後ろに俺は続いた。俺が最も気にすべきは、明日からの暇な時間かもしれないな。帰路、そんな想いが胸に去来した。

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