第12話 魔族として

 魔界にも、お茶はあるらしい。俺の前にはくすんだオレンジ色をした液体の入ったカップが一つ。茶、ではなくて、煮汁と称した方が良いかもしれない。怪しげな匂いが鼻元に漂ってきている。

 しかし、セティアもアレンも平然とした顔で飲んでいる。むしろ、とても美味しそうなくらいに。

 それで俺も口を付けてみることにした。カップの重みを右手に感じながら、そっと口元に運ぶ。恐る恐る流し込んでみると……甘い、いや甘ったるい! この見た目からは想像ができなかった味だ。てっきり、地獄のそこみたいに苦いと思ったのに。しかしだからといって、飲む手が進むほどではなく。後味は、とても重たい。とりあえず、俺はカップをあるべき場所に戻した。


「――それで、カインさんに魔法を」


 一息を突いた家主が、客の少年に優しく言葉をかけた。すると、彼は小さく頷いた。そして、どこか不安げな顔をする。


 彼の話を簡単にまとめると、仲間外れにされているらしい。どうやら、あの五人の子どもたちの中で、この子だけが唯一魔法が使えない。それで、馬鹿にされている。どうにかして見返してやりたいから、俺のところにやってきた。


「でもどうして俺なんだ?」


 他にも魔法の使い手はいるはずだ。俺自身何度もそういうやつと闘ってきたし、セティアは祈祷師の話をしていた。だから少なくとも一人は適役がいるということになる。


 桶は桶屋、魔族のことは魔族に任せるべき。もしかすると、人と魔族で魔法の使い方が違う恐れだってある。そもそも俺に魔法の使い方を教えられるとは思えない。


「みんな、ダメだって言うんだ。僕にはまだ早いって」

「だったら、俺も同じことを言うぞ。君はまだ子どもじゃないか」


 魔法は便利だが、危険なものである。魔力の扱いを間違えば、自分の身体に重大な危害を及ぼす。それだけで済めばいい方だ。下手をすれば、周囲にまで悪影響を与えることだってある。――かつてアイリスは、どこか居丈高な笑みを浮かべながら、俺に忠告をした。


 すると、アレンは不服そうな顔をする。納得がいってないらしい。あるいは、何度も言われすぎて、うんざりしているのかもしれない。


 危険なものから、子どもが遠ざけられるのは人も魔族も同じということか。母さんに灯の扱いに関して怒られたことを思い出して、俺はちょっと懐かしい気持ちになってしまった。


「えぇー、教えてあげなよ、カインさん!」

 抗議の声を上げたのは、少年ではなく家主の少女であった。

「どうしてお前が怒ってるんだよ……」

「だって~、アレン君、可哀想じゃん」

「……それはそうかもしれないけどさ。でも、見返すために魔法を覚えるって言うのは」


 理由が不純すぎるというか。魔法は闘いのための道具、少なくとも俺はそう思っている。その使い方には十分注意するべきだし、真摯に向かい合わなければならない。でも、それをこの子に言うのは筋違いだ。責めるべきは、他の子ども。彼らの争いに、俺が介入するのもおかしな話ではあるのだが。しかし、似たようないがみ合いはどちらの世界にもみられるのだと思うと、微笑ましくもあるのだが、同時にちょっと辟易してしまう。


「とにかく。たかが魔法が使える使えないで、仲間外れにされるようなことでもないだろう? なあ、使セティアさん?」

「むっ! カインさん、後で覚えときなさいよっ! ――まあそれは別として、確かにそっちの方が問題だねぇ。ねえ、アレン君、お姉さんからみんなにいったげよっか?」


 それはそれで弊害がある気が……と思うのだが、本人は使命感に燃えているようなので黙っておいた。先の失言(俺は思ってないが)と併せて、この後何が待ち受けることやら。

 やはりというか、アレンの顔色は優れないまま。そりゃそうだ。子どものよくあるいざこざに、大人が介入するのはおかしな話。むしろ、余計に彼への風当たりが強くなる可能性だってある。


「……それだけじゃないんだ、僕が魔法を覚えたい理由は」

「……? どういうこと、アレン君?」

「セティアお姉さんは知ってると思うけど、お母さん、この間魔物に襲われて大怪我したことがあったでしょ?」


 なんだそれは、と俺は思わずセティアに視線を送った。しかし彼女は唇にそっと人差し指を押し当てるだけ。今は話さない、という石表所のつもりらしい。


「その時に思ったんだ。僕に、お母さんを守れる力があったならって」

「アレン君……」

「でも、ほら僕チビだし。肉弾戦はどうも……だから、すぐ強くなるには――」

「魔法しかない、と」


 俺はアレンの目を強く見据えながら、しみじみと言った。彼もまた、おもむろに首を縦に振った。その瞳には、今までにないくらい強い瞳に宿っていた。


 その少年の姿に、いつかの自分の姿が重なった気がする。あの日――故郷の街が魔物の大群に襲撃された。高台から、火の手が広がっていくのをじっと眺めていた。無力感に苛まれながら、俺はただ祈った。全てを救う力が欲しい、と。

 それから女神アイリスと邂逅を果たし、彼女の下で闘う術を学んだ。奇しくも、初めて教わったのは魔法だった。


 母親を守りたい、か。実に健気だ。あの戦乱の中で、両親を喪った俺としては、身に染みる言葉だ。

 それでも、安易に魔法を教えていいものか。未だに俺は躊躇う気持ちの方が強かった。闘う力を得る、ということは、すなわち闘うことになる、ということでもある。力を得た時、それを試したくなるのは、少なくとも人の性だ。でもきっと、この少年も同じことを思うだろう。それは、あくまでも俺の印象でしかないが。


「ねぇ、ダメかな、お兄さん!」

「ぐすっ、ぐすっ、カインさん! ここまで言ってるんだよ! 素敵じゃない、お母さんを守りたいだなんて」

「だがなぁ……」

「なによ、減るもんじゃないんだし! この、鬼、悪魔、ひとでなし!」

 魔族にここまで言われるとは……さすがに俺も少しだけ傷ついた。


 これはと言わない限り、とても解放される気がしない。二人――特にセティアなんか、かなり目を細めて、絶え間なく非難の意志をぶつけてくる。


 ……アレン少年に同情する気持ちはある。それに、こんな俺でもなにか魔族の役に立てることがあるのなら――


「わかったよ。ただし、俺の言うことは絶対に守ること」

「ホント!? やった、やった~」


 ようやく見た目相応のはしゃぎっぷりを彼は見せた。隣にいる部外者の女魔族と共に、大騒ぎをしている。

 何の因果か、今の俺は魔族として暮らしている。だから、人助けならぬをしても罰は当たらないと思うのだ。そもそも、この事態を招いたのが、ほかならぬ女神なわけであるし。

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