第11話 魔法使い

 午後になっても、天気は好転しなかった。むしろ悪化しているといってもよさげ。この薄い布の上下だと、どこか肌寒さを感じてしまう。


「むしろ涼しげで、とても作業しやすいと思うけどな~」


 なんて、ふざけたことをおっしゃったのは、あの心優しい狐娘。獣人というのは、ひょっとすれば基礎体温が高いのかもしれない。一応、あからさまな毛皮は耳と尻尾しかないんだが。


 種を蒔いたのは昨日のことなのに、すでに畑にはにょろにょろとした目があちこちから伸びている。……恐るべし成長速度だ。今朝ちらりと見た時には、なんともなかったというのに。

 それが川から帰ってきた時には、もうこの状態になっていた。それで、こうして手入れ作業が行われることとなった。


「祈祷師のおじさんにサービスしてもらったの。成長促進魔法まで使ってもらっちゃった」

 俺の指摘に、彼女はどこかはにかみながら教えてくれた。


 そんなものがあるのか。俺が女神から教わったのは、攻撃魔法と強化魔法、それと回復魔法。総じて闘いに関するものしかない。

 そんなものがあるなら教えて欲しかった――一瞬そう考えたが、すぐに自分の愚かさを恥じた。神々はあくまでも調停者。あれは、魔族がバランスを乱したことから生じた例外。基本的に、彼らが世界に関与することはない。仮に、人の暮らしを助ける魔法があったとして、それを広めるのは調和を乱す行為なのだろう――神々にとっては。わからないでもないが、戦の爪痕が未だ色濃く残るあの状態では、それこそではないのか。


 無意味な思考もそこそこに、俺は速やかに農作業に移行した。こうなったら早く済ませて、一刻も早く家に戻りたい。畝を整え、肥料と呼ばれた黒の塊を辺りにばら撒く。

 

 そして、一番の大仕事は――


「きゃあっ!」


 可愛らしい悲鳴が、遠くから聞こえてきた。呆れながらも顔を上げると、羽虫の大群にセティアが襲われている。必死な感じに腕を振っていた。


 害虫駆除――成長促進魔法も万能ではない。副作用として、過度な栄養が畑中に行き渡るせいで、虫や獣が寄ってくるらしい。それを駆除するのが今回の主たる目的なわけだった。

 とりあえず、向こうの方に危険はなさそうなので、手元に目を戻す。変わらず謎の物体を散らしながら、畝の間を歩く。時には、昆虫タイプのモンスターに遭遇した。しかし、どれも取るに足らない弱そうなものばかり。セティアから借り受けた、小さなナイフで払っていく。


 それは、無垢な命を奪う行為ではあったが、俺に躊躇いはなかった。あの突然襲ってきた魚魔物を倒した時もそうだった。虫や動物を殺す、ということは人間の世界でも平然と行われること。生きるために必要だからやっている。その行いに疑問を感じたのは幼い頃だけ。いつの間にか、罪悪感は消えていた。当たり前となっていた。

 だとすれば、それは魔族に対してでも同じはず。でも、この害虫駆除のように割り切れないのは、彼らが比較的人間に近い存在だからだろう。少なくとも、俺はそう思ってしまった。知能を持ち、言葉が通じる。そうした存在を簡単に屠ることができるほど、俺は心までも神々に捧げたわけではなかった。こうした一方的なやり取りではなく、双方向に通じ合うことができれば、争いは――


「た、助けて~、カインさん!」


 またしても、セティアの叫び声が聞こえてきた。あいつ、いちいち大げさだな。しかし、その言葉が先よりも具体性を帯びていたので、無視するわけにもいかず。俺は呆れながらも、彼女の方に目を向けた。


「……大丈夫か、アレ?」


 大きな蜂のようにモンスターが、彼女に迫っていた。鬱陶しい物騒な羽音が、段々と大きくなっていく。


「な、な、な、なんとかして~っ!」

「はいはいっと――火炎魔法ファイア!」


 さっきよりも出力を上げてみた。セティアの頭部よりも一回り大きな球体が、モンスター目掛けて飛んでいく。そして、見事にヒットした。ボン、という音がして、魔物は少し吹っ飛びながら、地面に沈んでいった。


「た、たすかったよ~」

 ばたばたと、そのまま彼女は駆け寄ってきた。

「そんなんでよく今までやってこれたな」

「お、おじいさまがいたから……それに、前はこんな凶暴なモンスター出なかったし……」


 その瞳には、わずかばかり涙が浮かんでいる。よほど怖かったらしい。そのけったいな見た目は、こけおどしでしかないようだ。狐魔族なのに、魔法の類が使えないとは不思議でしょうがない。


「はぁはぁ。やっと落ち着いてきた。――しっかし、あれだね。カインさんは、魔法のすごい使い手なんだね!」

「そんなキラキラとした眼で見られてもなぁ」

「あーあ。アタシも一つや二つ使えれば――っと、あれは……」


 いきなりセティアが、家の前の道の方に顔を向けた。つられてみると、小さな魔族が歩いているのが見えた。今朝あった集団でいた、一際おとなしい男の子だった。

 彼もまた、こちらを見ているのに気がついたらしい。立ち止まって、顔を上げた。そして、なぜか俺たちの方に近寄ってくる。早足で、ようやく見えたその表情はどこか物憂げだ。


「どうかしたの、アランくん?」

「えっと、その……」


 アランと呼ばれた小柄な男児魔族は、俺の方を恐る恐る見上げてきた。犬がそのまま人の姿になったようなタイプ。その瞳は自信なさげに潤んでいる。


「お兄さんに、魔法を教えて欲しいんだ!」

「……はい?」


 全く予想もしなかった言葉が飛び出して、思わず聞き返してしまった。しかし、その顔をまじまじと見つめてみても、全く冗談を言っている風ではない。

 魔法を教える……これは、なんともまあ、面倒なことになりそうだ。ふと見上げた空には、雨粒が落ちても不思議ではないほどの黒く分厚い雲が漂っていた。

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