第10話 意外な発見

「――なあ。俺たちは何をしているんだ?」

「川の様子を見てるの。……アレ? 説明しなかったっけ、アタシ」

 とぼけた顔をして、彼女は振り返った。

「……ああ。だから、疑問を抱いたんだが」

 俺は少しだけこめかみを押さえた。


 魔族生活はもう三日目になる。おおよそ、この姿での日常生活にも慣れてきた。これもすべて崇高なる女神アイリスのご配慮の賜物。人間時代と身体構造が変わらないのが非常に助かっている。


 さて、そんな本日。俺はセティアに連れられて、村の中央よりも少し西側を流れる小川にやってきていた。近くにある山から通っているらしい。ここからでも、その姿はよく見えた。緑は少なく、枯れ山という表現が相応しい。

 空には薄い雲が立ち込めていた。天球からの光を絞っている。おかげで、いつもよりも霧がかっている気がした。まだ日中の早い時間だから仕方がない。俺たちは、ついさっきあの豪勢な食事を終えたばかりだった。


「泉に棲む魔族がいてね、こうして彼女に異変があれば、たちまちこの川はおかしくなってしまう。だからこうして、たまに見に来るのよ」

「それがお前の仕事なのか?」

「うん。ミレイ様から直々に言いつけられた。他にもいろいろとお仕事はあるけどね~」


 どこか嬉しそうに、彼女は語った。柔らかそうなその耳や尻尾がぴくぴくと動いている。わかりやすいやつだ。


 俺は再び川の方に目をやった。よく透き通っていて、水底までよく見える。水深は俺の膝くらい。流れは穏やかではあるが、川幅は思いの外広かった。清流の中に、ちらほらと水棲生物の影が。そのシルエットは禍々しい。水辺の魔物……昔、いくつか相手をしてきたものだ。


 狭い岸辺には大小さまざまな丸石がごろごろと転がっている。すぐ近くには橋が渡してあった。木でできた意外と頑丈そうな見た目。向こう岸には水車小屋と小さな果樹園が見える。そして、その奥には例の深い森が広がっていた。入口と思しき場所には、森番の家もある。昨日、セティアに案内してもらったばかりだ。

 

「で、問題はなさそうに見えるけど」

「うん、いつも通り。今日も異常なしっと」

「こんなことなら、どうして俺を連れてきたんだよ」

「家でじっとしているよりもいいかなって。――そんなにいやだった? ……あっ、もしかして、水苦手?」


 その謎の発想力に俺はただただ目をしろくろさせるしかなかった。しかし、セティアの方に冗談を言っている様子はない。


「そういうことはないさ」

「そっか。ならよかった。それじゃあこのまま下流に――」

「あっ! プータローとセティアだ!」


 その時、川下の方から甲高い声が聞こえてきた。見ると、ちょうど子ども魔族の集団が橋の中心に群がっていた。そのまま、はしゃいだ様子でこちらに駆け寄ってくる。


 ……しかし、プータローときたか。おおよそ、家人が言っていたのをマネにしたに違いないだろうが。これが人間界の村だったなら、勇者様だ、と親しみに満ちた声を浴びせられるものだが。その呼び名のギャップに、つい苦笑いをしてしまう。だが、それはなんとなく嫌な響きではなかった。


「あら、みんな。おはよう」


 セティアがにこやかに挨拶をすると、ばらばらに向こうからも声が返ってくる。互いに面識があるらしい。浮かべている表情もごくごく自然。


「なにしてんの? デート?」

 

 それはさっきと同じ声だった。一回り身体の大きな少年が一歩前に進み出てきた。立派な一本角が頭頂部から伸びている。ごつごつとした緑色の肌に、筋肉質の身体は鬼種だろう。


「……どこでそういう言葉を覚えてきたのかな」

「でもパパもママも言ってたよ。『セティアはあの魔族に惚れてるんだ。だから、家に泊めてるんだ』って」


 その中の唯一の女の子が、ませた口調でとんでもないことを言い放った。小柄なものの、その背中には立派な翼が生えている。コウモリのような、どこか尖った形をしていた。


 堪らず俺は、セティアの方を見た。しかし、彼女はけろっとしている。その柔和な笑顔に、一点の曇りもさしていない。


「そういうのじゃないのよ。困っている人には手を差し伸べる。当たり前のことだよ?」

 屈みこんで子どもたちと目線を合わせてから、彼女は優しく諭した。


 しかしぴんと来なかったのか、彼らはどこか微妙な顔をしている。リーダー格の少年はまだ何か言いたげだ。

 

 しかし――


 バシャンッ!


 大きな水が跳ねる音が聞こえてきた。咄嗟に川の方に視線を戻すと、凶悪な牙を持った二股の巨大な魚が迫ってきている。


「きゃあっ!」


 一際高い悲鳴、後に続いてバラバラとこどまする。


火炎魔法ファイア!」


 無我夢中だった。脊髄反射といってもいい。気が付けば、最も慣れ親しんだ呪文が口をついていた。指をつきつけまでして。

 身体に、魔力が巡るのを感じる。やがてそれは、塊となって、右手の人差し指から放出された。拳大の火の玉が形成され、素早く魔物の方に向かっていく――


「す、すっげえっ!」


 興奮した少年の声が辺りに響いた。それを皮切りに、称賛するように子どもたちが言葉を紡いでいく。


 魔物の骸は川べりよりも少し陸側に落ちていた。ピクリともしない所を見ると、一撃でケリがついたらしい。


「カインさん、魔法使えるんだ!」

「あ、ああ。まあな」


 セティアと同じように、俺もまた驚いていた。てっきり使えないもんとばかり思ってた。身体構造は同じでも、身体能力はかなり落ちていたから。実際、未だに昨日の農作業の疲れを感じているくらいだ。

 だから、試すまでもなく魔法についてもそう思っていた。だが違った。この身体にも魔力が通っている。どうして気が付かなかったのだろう――いつの間にか、自分の身体にそんな異物が存在するのに違和感を覚えていなかった。呪文を口にして、エネルギーを回せば流石にそれはわかるけれど。待機状態では、もはや何も感じなくなっているのだ。


 つくづく自分は普通の人間じゃなくなっていたのだな。今でこそ、姿も全く異になってしまったが、もとより内面も一般人とはかけ離れていた。そのことに、今の今まで気が付いていなかった。

 勇者――その言葉に対する嫌悪感の一端はこれだったのかもしれない。俺はどこまでも孤独で、疎外されていて、いつの間にか、人では無くなっていた。それをこの言葉から、無意識のうちに感じ取っていたのかもしれない。


「今夜はご馳走ですなぁ」


 気が付くと、セティアは舌をぺろりとしながら、魔物の死骸を持ち上げていた。それを見て、まず子どもたちが大きな声を上げて笑う。俺もまた、それにつられて頬を緩めた。

 もはや、この場にいる魔族たちの興味は、俺にはなかった。彼らにしては、魔法なんて日常茶飯事。その点でいえば、俺はどちらかといえばこっち側の人間なんだろうか。同居人の尻尾がせわしなく動くのを眺めながら、俺はそんな想いに浸っていた。

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