第9話 去来する想い
この村の近くには深い森が広がっている。その内部は、よく知らないものが行けばたちまちに彷徨い歩くことになると言われるほどに複雑。故に、この村は外界から隔絶されている、ということらしい。
そこを抜ければ、一つ大きな都市に行き当たる。ここらの領地を丸ごと取りまとめる中核都市。民や物資の交流はとても激しい。そして、そこから北に向かうと魔王城に辿り着く。
「――かなり距離がある上にわかりにくい位置にありますから、ほとんど向こうからの干渉はないですね。兵隊さんも派遣されてないですし。それでも月に一度の徴税はありますが、それもその都市が担っているので。本当に、魔王様との直接的なかかわりはないんです」
何か念押しをするような口調で、セティアはそう話を締めた。よほど昨日の俺の発言が尾を引いているらしい。あれはよっぽどの失言だったのか、と改めて思わされる。
つらつらと話を聞いたところ、あまりそうした事情は人間界と変わらないみたいだ。むしろ、しっかりとした統治形態があることに驚きを覚える、というか。いくつかの領邦の上に、唯一にして絶対の魔王が存在する。なかなかにその結びつきは強固らしい。
「それでどうです? 記憶の方、何か思い出したことはありますか」
「うん、ああいや、どうだろうな……」
「そうですか。せめてどこの地方から来たとかわかればよかったんですけども。あるいはどこの所属か、とか」
その瞳が一瞬妖しく光った気がした。しかし、すぐにいつもの琥珀色に戻っているから、ただの気のせいだったようだ。
本当にこの狐人は同胞の身を心から案じているらしい。その良心を利用しているのようで、どうも引け目を感じてしまう。それもこれも、あの女神のせい。全く人の気持ちを見透かした気になって、余計な気を回しやがって……。
しかし、話を聞いたところで、俺の中に新たな変化は芽生えなかった。魔界にも相応の国制度が存在する。こうして、言語化されて確認したのは初めてだったが、あの道中でそうした気配を感じ取っていたのは事実だった。
だからこそ、俺は自分の行いに罪悪感を覚えたわけだが。新たな変化はなかったが、その後ろ暗さはより色濃くなったといえる。魔族だから、魔物だから、といっしょくたに悪と断じたことは――
そこまで考えたところで、無理矢理に思考を断った。それ以上は考えてもどうしようもないことだ。むしろ、自分自身を過剰に縛り付け、身動きを取れなくする行為だ。いくら思いを馳せたところで、決して過去は――自分のもたらした結果は覆ることはないのだから。俺には簡単に歩みを止めることは許されない。
こうした自戒の念をより深く、はっきりと浮き彫りにさせるのが、アイリスの狙いだったのかもしれない。であれば、その目論見はうまくいったと断ずることができるだろう。
だとしても、だ。そんなことのどこに、神々の利益があるのか。あいつは初めて会った時、言っていた。『アナタに力を授けるのは、願いを聞き遂げたからではない。世界のバランスを保つため』と。以降も、何度も裁定者としての側面を度々のぞかせた。それはどこまでも冷めていて、俯瞰的で――決して、神々と人間は分かり合うことがないと、確かに感じ取ってしまった。
「……度々行ってますけど、焦って思い出す必要はないと思います。もちろん、すぐに思い出せなくて辛いと思いますけど。アタシとしては、ずっとここにいてもらっても構わないですから」
俺が何も言わないのを、セティアは記憶が取り戻せなくて辛い、ととったらしい。これは今後、ちょっと気を付けないと駄目だな。物思い一つ耽るだけで、余計な心労をかけるのは忍びない。
「ああ、ありがとう。そうだな、ゆっくりやっていくことにするよ」
「そうです、そうです。それがいいです。――では、その快適なスローライフのために第二の作戦、実行してみませんか?」
謎の言い回しに、どこか曰く付きの笑み。セティアのこうした態度は俺の不安をよく煽るには十分すぎた。座っていて、ちょっと楽になったはずの腰が再びキリキリと痛みを訴えだした気がする。
*
「ふん。まあ、セティアちゃんのことは信頼してるがね、どうも怪しいというか」
ここが最後だという家の住民は露骨に不信感を顕わにした。皺だらけの皮膚は、ぱんぱんに膨れ上がっている。その頭には三本だけ毛がぴんと立っていた。左手には節くれだった杖を握り、その小さな体躯を支えている。
「いえいえ、大丈夫ですってば、おばあちゃん。カインさんはいい人です。それに、アタシがちゃんと見張っておきますから」
「まったく、物騒なことにならないといいけどねぇ」
老婆の顔は最後まで渋かった。そのまま意外と強い力で扉が閉まる。残された俺は薄闇の中に、何かやるせなさを感じてしまった。
「相当警戒されてるな、俺」
「みんな、どうしていいかわからないだけですよ。この村によそから人が来るのは本当に久しぶりですから」
村の小道を歩きながら、セティアと言葉を交わす。すっかりと夜の帳が間近まで迫っていた。魔界の夜は、とても暗い。月に代わる天球はあることにはあるが、その灯りは弱い。
今回の彼女の誘いは村民たちに挨拶をしよう、ということだった。だからこうして、各家々を回っていたのだが――
だいたいどこも、あのおばあさんと同じような反応だった。あそこまで露骨だったのは少なかったけれども。
しかし、彼らの気持ちもよくわかる。いくら同族だといっても、俺は一昨日やってきたばかりの部外者。さらに記憶喪失ときている。怪しさ満点、これは人間界でも同じ話になるだろう。
セティアたちの言うように、この村はそんなに規模は大きくないようだった。住民の数も多くない。種族もみんな、人型だった。しかし、一番気になるのは――
「まあみんな、いずれ慣れてくれますよ。今はちょっとびっくりしてるだけだと思います」
「だといいけどな。そういえば、この村って、なんか若者が少なくないか?」
「……そうですか? 今のご時世、こんなものだと思いますけど」
特に若い男が少ないように見えた。子どもの数も今朝見た彼らくらいしかいないし。年老いた魔族が多いように見えた。
もちろん、俺に実際の年齢がわかるわけでもなく、あくまでも見た目から判断してのことだが。このセティアだって、若そうな見た目をしていて実は、ものすごい年を取っているということも――
「なぁんか、失礼なこと考えてません?」
ぴくぴくと、その獣耳が動いた。
「いや、そんなことないよ」
「そうですか。それならいいんですけども」
まだどこか納得のいってない様子だった。
まさか人の心が読めるということはないと思うが……。この狐娘は、平時はおっとりしているくせに、たまに鋭いところを見せるから、どうにも気が抜けない。
そのまま二人、沈黙の中、薄暗い夜道を歩いていく。俺がこの村に受け入れられることはあるのだろうか。そもそも、俺自身がそれを願っているのか。
改めて、他の魔族たちの暮らしぶりを見て、また一つ自責の念が濃くなった。あの頃、こんな農村を通過した覚えはない。けれどもそれは、気に留めなかっただけかもしれない。俺が侵した都市部にも、きっとこうした普通に暮らしている魔族たちはいたのだ。
いつこの生活が終わりを迎えるかは知らない。しかし、女神のいう選択の時、俺がどんな道を取れるというのか。俺にできることは、勇者としての罪を感じながら、生きていくことしかないだろうに。
間違っても、魔族として、ここの者たちと交わるだなんて、そんなことはありえない。あってはいけない。隣の少女にしてもそうだ。俺の正体を知らないからよくしてくれているだけ。そこに、決して、甘えてはいけない。
ふと見上げる夜空には、不気味なほどに紫色の空間がただひたすらに続いているだけだった。この空の下にいるという新しい魔王は、いったいどんな存在なのだろう。願わくは、有能であって欲しい。魔族の暮らしを守るのは、彼の役目だ。俺はタダの破壊者でしかないのだから――
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