第8話 農村の日常

 日差しは弱い。それは時間帯のせいではなく、この世界ゆえのことだ。魔界の風景はいつだって灰色じみている。


「なあ、セティア。これはいったい、どんな作物の種なんだ?」

「おイモでーす」


 少し遠くから声が聞こえてきた。見ると、彼女はしっかりと腰をかがめて一生懸命に土いじりをしている。俺に完全に背を向けていた。


 イモ、イモ、ねぇ……。どぎつい色をした奇麗な球形をした種子を手の中で遊ばせる。聞いたところで、仕方なかったな。そんな風に自虐的に唇を歪めながら、俺はポトリと足元に落とした。そっと土を被せてやる。


 ここはミレイ宅前の畑。あの荒れ果てていたのを、昨日一日でなんとか元に戻した。彼女が言っていた重労働とはそれだった。一夜明けた今日、早朝からこうして種まきをしているわけである。


 彼女はずっと祖父と二人で暮らしていた。しかし、その祖父はつい二年ほど前に亡くなった。――魔界にも暦の概念があるということを、俺はこの時知った。

 それ以来、ずっと畑はほったらかしにされてきた。女一人では、全てを管理するのは難しかった。人に頼むことを考えたが、この小さな村でそんな余力を持っている魔族はいなかった。

 そんな状況に、若い男が転がってきたわけである。これ幸いとばかりに、セティアは畑を再利用することにした。別に生計を立てる手段はあったが、直接的な食い扶持にはなるのでそれは願ったり叶ったりなことでもあった。


『居候さんが増えましたし』


 と、話の最後には、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。そういう風にされると、俺としてはもう立つ瀬がない。


 しかし、この魔族としての身体。相当、強度が下がっている。というのも、あの程度の作業、全く疲れないと思っていたら、かなり身体の節々が痛んでいた。……劣悪なあの寝床には原因はない、と思いたい。だとしたら、それを解消する手は俺にはない。


 気を取り直して、黙々と作業を続けていく。こうした経験は初めてではない。魔王討伐後の一年の放浪生活の中で、幾度となく従事してきた。村に滞在した時に進んで申し出た。

 間隔に気を付けながら、丸い物体を地面の中に埋めていく。……どういった植物が育つかわからないから、無用な気遣いかもしれないが。やんわりと、しかし鋭く叱責されたかつての一幕がふと脳裏を過る。あのおじいさんは元気にしているだろうか。


 残る畝は五列。終端まで行ったところで、身体を起こしてぐっと辺りをみやる。そんなに広大な畑ではない。しかし、この邸宅の裏にも畑が広がっているのを、今の俺は知っていた。





        *





 最後の一列の途中で、タイミングよくセティアと合流した。といっても、作業量向こうの方が上だ。俺は今、ちょうど折り返したばかり。


「ふうっ! なんとか一段落、ですね」

「……ああ、そうだな」


 畑を見渡して、満足した様にほほ笑む彼女。この女、小柄なくせに意外と体力があるんだな。あるいは、獣人がゆえの種族的特徴かもしれない。

 対して、俺は心底疲れ切っていた。ここまで体力を使ったのは、魔王との闘い以来のこと。内容としては、それほど激しいことでもないのに。


 ずっと曲げていたせいか、じんわりとした痛みを訴える腰をちょっと叩く。足の方にもがたはきていた。

 全く我ながら情けない。そして同時に、あの人を食ったような女神のことが恨めしくなる。何の嫌がらせだ、これは。魔族に転生させるにしても、もう少し身体能力を元の身体に近づけてくれたっていいのに。


「ふっふっふ、なっていませんね~、カインさん」

「……うるさいよ、まったく」


 これ以上の憎まれ口をたたく気力すら湧かなかった。これがアイリス相手なら、もう少し皮肉めいたことを言えるんだが。基本的に、あいつに対しては忌々しさをいつも感じていた。


 そのまま少しぼんやりしていると、甲高い声が聞こえてきた。見ると農道の右手の方から、小さい魔族の集団が走ってきている。キャッキャッと、何かを騒いでいる。


「ああ、子どもたちですね。いいですね~、無邪気で楽しそうで」

「子ども……」

「もしかして、知らない言葉でした?」

 唇の端がにんまりと上がっている。小バカにするような言い方だ。

「まさか! ――子どもは結構この村に多いのか?」

「どうでしょう? 他と比べたことはありませんからね~」


 目の前を五つの影が通過した。背丈はみんな似たりよったり、で俺の腰元くらいの高さ。角が生えていたり、ツルツル頭だったり、手足が動物みたいだったり、どれも二足歩行以外に共通点はない。その種族は俺にはわからなかった。


 やがてその姿が道の先に消えていく。彼らはどういう遊びをするのだろうか。そんなことが気になった。


「戻りましょうか? 疲れたでしょ」

「水は撒かなくていいのか?」

「後で祈祷師のおじさまを呼びますから」

「祈祷師……?」

「残念ながら、わたし魔法の腕はからきしで……」

 てへへ、と彼女ははにかんだように笑う。


 原始的な作業に従事していたせいで、つい忘れていた。こっちの世界では、魔法は当たり前のものだった。きっと、水魔法を利用でもするのだろう。祈祷師というのは、魔法を専門とする職業なのかもしれない……こちらでは。


 改めて思うに、俺は知らないことだらけだな。この村の住民についても、この世界についても。いつもならば知らないことに遭遇すれば、あのお節介な女神は即時の青空教室を開いてくれるものだが、おそらくそれは期待できないだろう。


「カインさんって、ボーっとするのが趣味なんですか?」

「……いや、そうじゃないけど。ちょっと考え事をさ」

「もしかして、また発作、とか?」

 彼女の顔に不安の色が差した。

「うーん、ただ色々なことを知らない――覚えてないもんだなぁって」

「ああ、そういうことですか。いいですよ、色々と教えて差し上げましょう! このセティアが!」


 大きく胸を張りながら、彼女はくるりと踵を返した。そしてそのまま道に向かって歩き出す。

 俺もその後に続いた。その小さな背中を見つめながら、一つ思う。こうして導いてくれる存在が近くにいる、というのは非常に助かるな、と。しかも今までとは違い、一応同位の存在だ。物事を教えられることに軽いトラウマがあったが、ひとまずそれを刺激されないで済みそうだ。どこか不思議な心境で、俺はセティアについていくのだった――

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