第7話 協約

「それで体調はどうでしょう?」

 家に着くなり、セティアは不安そうな顔をした。


 咄嗟の嘘としては素晴らしいできだったが、こうも過度に心配されると申し訳なくなる。少し顔を引きつらせながら、ゆっくりと床に座り込む。


「大丈夫だ、なんともないよ。そんな気にしないでくれなくていいよ」

「……本当ですか? 無理してませんか?」

 なおもセティアは不安げに迫ってきた。


 それ以上口を開くのも億劫で、俺は深く強く頷く。爽やかに笑いかけながら、本当に心優しいだな、といくらか心が温まる想いだった。


 ようやく彼女の表情が和らいだ。そして俺の隣に腰を下ろす。花のようなかぐわしい匂いがふわっと漂った。


 たちどころに、穏やかな静寂がやってくる。とても間延びしている。皮肉なもんだ。魔族の姿になって、久しぶりにこうした時間が手に入るだなんて。これもまたあの女神の狙いなんだろうか。だとしたら、本当に余計なお世話だ。

 それでも、心まで落ち着いているわけではない。何もしていないと、影が差し込んでくる。勇者としての俺が、なぜ魔族の隣でのんびしていられるのか、と。何かの拍子で、正体がバレる……なんてことはないとは思うが、気にせずにいられないのが人情だ。


「なあ一つ訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 気を取り直すようにして、俺はちょっと気掛かりなことを切り出した。

「はい。アタシに答えられることでしたら」

「どうしてミレイ――魔王の娘がこんなのどかな村を治めているんだ?」


 言いながら、彼女の顔が見る見るうちに強張っていくのがわかった。さっきまでの優しそうな笑みは嘘のように消えた。その胸が一つ大きく隆起する。


 どうやら自分はマズいことを言ってしまったらしい。果たして、どれが地雷だったのか。のどかな村とか評したのがいけなかったのかもしれない。彼女たちがあまりにもそうした言い方を多用するから、つい口にしてしまった。


 気まずい沈黙が続く。彼女は目を見開いたまま、まばたき一つすらせず、唇をぎゅっと噛みしめている。


「あの――」

「気のせいです」


 その声はどこまでも空々しかった。あまりにも、響きに実感がなくて、すぐに頭の中に入ってこなかった。


「え?」

「ですから、それは気のせいですよ。ミレイ様は――あの方は決して魔王様のご令嬢ではありません」


 にっこりと、セティアは微笑みを浮かべた。一見すると、今までと何も変わらないたおやかな笑み。しかし、それはどこか嘘くさくて、それでいて、有無を言わさない迫力があった。


 彼女は嘘をついている。俺が見間違えるはずがない。一度目も、二度目も、その出会いはあまりにも衝撃的すぎた。今もありありと記憶の中に刻み込まれている。確かに、あれは――ミレイこそが、魔王の娘だ。俺を殺そうとしたあの魔族だ。

 だが、セティアはそうではないと言い張っている。嘘を言っているのか、あるいは正体を知らないのか。まじまじと、その丸顔を見つめたところで、真実は一向に透けてこない。


「そもそも、カインさんは記憶を失ってるんですよね。それが、どうして魔王様のご令嬢のことは覚えていることがあるんです?」


 今度、疑いを持つのは彼女の番だった。疑問調ではあるものの、言葉の裏では俺という存在を見極めようとしている。切れ長の瞳は、いつもよりもぐっと細まっていた。口元は不気味な笑みを湛えている。


 この娘はミレイが魔王の娘だとわかっているのだろう。その上でとぼけているのだ。少なくとも、俺にはそう思えた。今の言葉は、そんな結論を抱くのには充分だった。


「……そうだな。俺の記憶違いだ。ごめん、変なこと訊いて」

「いいえ。誰にだって、勘違いはありますから。でもだめですよ? この村でそういうことを言ったら」


 その念押しはまたしても、俺の推論を補強する。だが同時に、セティアもまた、俺の言を完全に信じたわけではないことの表れでもある。

 これは暗黙の協約なのだ。お互いに知らない振りをする。そのことに何の意味があるのか。皆目見当はつかないが、はっきりと確証を得る必要もない。人違いなら人違いで、それで構わない。彼女が領主であるという以上の情報は不要なもの。どうせ、向こうは俺のことを、はぐれ魔族程度にしか思っていないはず。

 色々と気になることはあるものの、正直な話、やがて来るという選択の時をじっと待つしかないのだ、俺は。あまりトラブルを起こしたくはない。問題は、それがいつなのか、全くわからないということだが。


「ああ、わかった」

「理解が早くて助かります。――さて、落ち着いたところで、一仕事してもらおっかな!」


 さっきまでとはうって変わって明るい口調ではりきると、彼女は勢いよく立ち上がった。そして、意味ありげな表情をこちらに向けてくる。


「ひとしごと?」

「ええ。……もしかして、タダで居候できると思ってました?」

「いや、まさか」

 俺はおどけるように肩を竦めてみせた。

「俺にできることなら何なりとさせてもらうさ」

「うんうん。つくづくアタシはいい出会いをさせてもらっちゃったな~」


 その態度に言いようの知れぬ不安を覚える。しかし、恩に報いたい気持ちは本物だ。一応、世話になっている身分、機嫌を損ねて追い出されでもしたらたまったもんじゃない。


 それに――


 勇者として散々魔物・魔族を倒してきた俺が、こうしてその一人の少女に手を貸すのも悪くないと思った。それは決して罪滅ぼし、などではなく、自己満足でしかないが。でも、もっと彼女たちのことを知りたいと思うのだ。改めて、自分のしでかした業と向き合うためにも。


「さて、カインさん。重労働の時間ですよ!」


 ……やはり早まったのかもしれない。セティアはどこまでも大胆不敵に笑うのだった。

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