第6話 運命の邂逅

「ん、どうかしたかしら。まじまじとあたしの顔を見つめて」


 領主と思しき女性は怪訝そうに首を傾げた。少しだけ眉間に皺が寄っているが、そうしていても元来の美貌は全く損なわれていない。

 その声のトーンは高め。それはこれまでの遭遇時とは、全く別人のものにすら聞こえた。一度目の時は泣き崩れ、二度目の時は……ともかく、低い声で凄まれた。きっとこれが平時の彼女の声色なのだろう。


 しかし、なんともこれは……。決して偶然なんかじゃない。女神アイリスの意図的な企みだろう。釈然としない想いが胸の中に澱み溜まっていく。

 心臓は痛いほどに躍動している。混乱の波が押し寄せて、立っているのもやっとだった。それでもなんとか頭を動かして、彼女に向けて口にしても問題のない言葉を探す。


「ミレイ様。わたくしはこれで失礼します」

「ええ、ありがとうね、ヴィヴィアン」


 シュっという音がして、ヴィヴィアンと呼ばれた従者はあっという間に消えてしまう。驚いているのは俺だけらしい。


「――それで、もしかしてどこかで会ったことがある、とか」

 魔王の娘の目がぐっと細まった。


 当たり前だが、向こうは俺に気が付いていないらしい。顔の作りは人間時代とあまり変わりないのだが。まあでも、まさか親の仇が魔族に転生しているとは思わないか。しかもそいつが目の前にいるなんて、神の奇跡を知らなければ到底疑いもしないだろう。


「い、いえ、そんなことは……」

 衝撃の余波は少しずつ薄れて、何度か答えを捻り出すことができた。

「どうせあれですよ、大方ミレイ様の美しさに目を奪われた、とかですよ!」

「お黙りなさいな、セティア」

「えぇ~、これでも褒めてるんですよぉ」

「バカにしているようにしか思えないのだけれど?」

「あはは~、気のせいですぅ」


 依然として小馬鹿にするような口調の村娘に、領主は大きなため息をついた。しかし、特に気分を害した様子はない。その感じを見るにこうしたやり取りは日常茶飯事らしい。


 セティアの言うように、魔王の娘は奇麗な顔立ちをしている。くりくりとしたアーモンド形の瞳、鼻梁の線はくっきり。唇はふっくらとしていて、輪郭はほっそりと。クリーム色に近い金髪は艶があり、まっすぐに胸元の辺りまで伸びている。尖った耳ははっきりと出ていた。髪の毛がかきあげられている。そして、その肌の色は透き通るように白い。


 どこか純粋将な印象を受けるのは、その笑顔がすっきりしているだろうか。身にまとう明るい雰囲気は、今までとはがらりと変わっている。……勇者おれの命を絶って魔王ちちの死から立ち直った、ということだろうか。

 正直、複雑な心境だった。俺を殺そうとしたことに恨みはない。彼女にはその権利があると思う。本望、とは言わないが、安堵したところもある。それを以て、己が罪を償うことができたのだ、と。

 しかし、現実は違った。今俺はこうして、彼女の前にいる。それも、彼女と同じ種族として。数奇な運命という言葉で、片付けることはできない。これは神の嫌がらせ。いったいおれにどうしろと言うのか。


「――っと、ご挨拶が遅れました。この村の領主、ミレイ・ゲーテルブルクです」

 

 すっと彼女は立ち上がった。身に着けていたドレスの裾をそっと持ち上げると、軽くその頭を下げた。


「俺は……カインです」


 ためらいがちに名前を告げる。本当は偽名を使いたかった。彼女があの勇者の名前を知っていてもおかしくはない。しかし、すると今度はセティアとの間に齟齬が生じる。

 しかし、ミレイの表情は少しも変わらなかった。たおやかな笑顔で、「カイン」と俺の名前を繰り返した。


「で、あなた、本当に何も覚えていないのね」

「……え?」

 思わず変な声が出た。もしかして、こいつ――

「セティアから記憶喪失だと聞いているけれど」

「あ、ああ。ええ、そうです。気が付いたら、倒れていて」

「……ふむ、それは大変ね。彼女から聞いてると思うけど、どうかゆっくり過ごしてくださいな。何もない村ですけれど」

 にっこりとした微笑みに敵意はない。


「そんなこと、みんなが聞いたら怒りますよ?」

「でも事実でしょう? ここは首都からも遠く離れた辺境の地。王からも存在を忘れられてるほどだもの」

「まあその方が都合がいいことは多いですけれど」

 くすくすと、セティアも静かに笑う。


 そんな風に和やかに言葉を交わす魔族たちをよそに、俺はとある言葉が気になっていた。王からも存在を忘れられている――どういうことだ。俺がこの手で魔王を倒したはずなのに。また新しい王が誕生した、ということか。しかし、どうしてそれがミレイではないのだろう。彼女は先代魔王の娘のはずだ。……人間界の王とはまた違う存在なのかもしれない。魔王とは魔族全てを統べるもの――そういう風にアイリスからは教わった。だからこそ、俺は彼を殺した。


 胸の中に暗い想いが広がっていく。現魔王が何者であるにせよ、人と魔族の争いが、またいつか始まってしまうのだろうか。俺がやってきたことは全て無駄だった――


「どうかしたの? ちょっと怖い顔をしていたけど」

「……記憶を失った影響か、ちょっと気分が悪くなることがあるんです」

「それは、お気の毒ね。あなたの記憶が早く戻るよう、心から願っておくわ」

「えっ、そうだったんですか! もっと早く言ってくれればよかったのに」


 勢い任せに言ってみたが、意外と信じてもらえたらしい。セティアもミレイも、俺の身を心配してくれているようだった。魔族同士の結束は固いということか。他人を思いやる心は、人間と変わりはない。


「だったら、今日はこのくらいにしておきましょう。また何かあればいつでもどうぞ。生憎いつでも暇にしておりますゆえ」

 自嘲気味に笑いながら、彼女は腰を下ろした。

「またそんなことばかり言って」

「でも事実だから」

「いいですか、そんなこと絶対他の誰にも言っちゃダメですからね!」

「わかってるわよ、それくらい」

 ぺろりと舌を出すあたり、とても領主の姿には見えなかった。


「ほんとですかぁ? ――では、失礼いたします」

「またね~」


 ひらひらと手を振る彼女に背を向けて、俺たちは執務室を後にした。


 思いもせぬ出会いだったが、ひとまずはうまく切り抜けられたようだ。果たして、俺のこれからの暮らしにいったい何が待ち受けているのか。ちょっとでも考えるだけで、憂鬱になってしまうのだった――

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