第4話 拠点
「ミレイ様にお伺いを立ててきた結果ですね」
目の前に畏まった感じに座る魔族の少女は、そこでいったん言葉を切った。そして、思わせぶりに視線を上下させる。
その表情が曇ったのを見て、きっと問題があったのだろう、と俺は察した。
結局、その女が返ってくるまで懸命に呼びかけても、アイリスが再び姿を現すことはなかった。とりあえず、混乱する頭でこうして彼女と向き合っている。
「記憶が戻るまでの間滞在を許可する、とのことでした!」
ぱーっと、彼女は明るく笑った。屈託のないその笑顔は、ともすれば人間のものとなんら遜色がない。
「じゃあどうして初め、言いにくそうにしたんだ?」
「それはですね、サプライズがあった方がいいかなって」
悪戯っぽく狐耳を有した少女は舌を出す。
狐は人を化かすというのを耳にしたことがあるけれど、それはこの娘も同じなんだろうか。
それはともかくとして、正直な話、ひとまずここに留まることができるのはありがたい。あのクソ女神、いつも説明不足が過ぎる。魔族の少女とこんなに平然と話している今でも、不思議なことは山積みだ。
「……? どうかしました?」
「いや、なんでもない」
「なにかあったら何でも言ってくださいね~」
「ああ、ありがとう。ええと……その、名前はなんていうんだ?」
ここまでずっとお互いのことを知らないままここまで来てしまっていた。そう言うことに思い至る辺り、ようやく俺としても落ち着いてきた、ということか。
「はっ! ですね、肝心なことを忘れていました! ――セティア、と申します。見ての通り、獣人です」
少女――セティアはぺこりと頭を下げた。
獣人、か。魔族の中でも魔物に近い種、という認識なんだが、果たしてそれは正しいのだろうか? しかし、それを聞くわけにもいかず、俺は曖昧に頷いた。
さて、名乗られたからにはもちろん、こちらも相応の態度をとるべきか。内面では俺は人間で、本来、相容れない存在同士。心理的ハードルはあったものの、そんなことを気にしていられる状況ではないのはよくわかっている。
「カイン、だ。ええと、見てのとおりエルフだ」
何でもない風に、俺はセティアのマネをしてみる。
彼女は特に不審には思わなかったらしい。笑顔で何度か頷いた。何か面白いのか、その背後では複数のふさふさした尻尾が揺れている。
「カインさん! いいお名前ですねぇ。そだ、他に覚えてることはありますか?」
「……いや、それが」
俺は力なくかぶりを振る。
「ご、ごめんなさい。アタシったら、つい……。まあのんびりやっていけばいいと思います。幸いこの村は、辺境にありすぎて世俗と隔絶されてる感すらありますから」
言いながら、彼女は自虐的な笑みを浮かべた。
スローライフ……アイリスが言っていた言葉がふと頭に浮かんだ。この魔族の言を信じれば、そういうのに適した場所だと言える。……どこまでも用意周到な奴め。これだから、神様というものは嫌いだ。
そんな気分を振り払うように、俺は勢いよく立ち上がった。とりあえず、陽が明るいうちに拠点をつくらないと。……とはいうものの、魔界を照らす天球の明かりはものすごいか細いのだが。
「どうしました?」
「ああ、そろそろ野宿の準備をと思って。どこか適した場所はあるか。それとできれば、何か道具を貸してくれると助かるんだけど」
「……好きなんですか、野宿?」
……からかわれているのだろうか、俺は。この魔族には前科もある。それに、狐……俺は怪訝そうに相手の顔を見つめ返した。
「いや嫌いだが」
「じゃあなぜに?」
「逆に聞くが、それ以外に俺はこの村のどこに行け、と?」
「――ああ、そういうことですか! ここです!」
セティアはちょっと目を丸めた。しかし、すぐに優しげな微笑むを浮かべると、床を指さす。彼女の手には肉球がついている。そして爪は長い。
「どうぞ、我が家のようにお寛ぎくださいませませ!」
「そう言われても……。ここまで連れてきてもらっただけで十分だし、迷惑だろう?」
「いいえ、全然。一人で暮らしてると、結構サビシーんです。それに、村の中をうろうろされた方が困りますから」
どちらかといえばですよ、とセティアは気遣うように付け加える。
俺としても、好き好んで外で過ごしたくはない。しかも今は魔族に転生(?)したばかりだし、魔界は勝手が利かないことだらけなのもよくわかっている。
そんな俺の悩みを見透かしたように、目の前の他種族の娘はその顔つきを変えた。ちょっと目を細めて、ニヤニヤとした感じに口を開く。
「でも仕方ありませんね。どうしても外がいいということなら、どうぞ、うちの前の畑を使ってください。どうせ今は何も育ててませんし」
その言葉が決め手になった。俺はこの狐人の優しさに甘えることにした。なんとなく負けた気分になる。まさかこんな俺が、魔族に助けられることになるとは考えもしなかった。苦々しい想いが胸いっぱいに広がっていく。
しかし今は同じ魔族なわけで。人同士が手を取り合って助け合うのと、何ら変わりのないことなのかもしれない。……この少女にとっては。
だが、俺は――
目の前にいる弱そうなエルフが実は人間で、しかも魔界を激しく追い込んだ、と知ったら、この魔族はどういう顔をするだろう。そう言うことを考えると、すぐに気持ちが沈みこんだ。
それでも、今はそれを飲み込んで、生きていくしかない。女神は言った。いずれ、決断を下す時が来る、と。それがどういう意味なのか、全く分からなかったが、俺はそれを待つしかないのだ。神に自らの運命の全てを委ねる、とあの日に決めたから。
「じゃあよろしく頼むよ、セティア」
「はい、よろしくです、カインさん。……ふふっ、これで下僕ゲーット!」
「……なんか言ったか?」
「いいえ、何でも。それじゃあ、一応生活のルールを確認しましょう」
ちょっと早まったかもしれない。この女、意外といい奴だと思ったんだが。
一抹の不安を感じながらも、こうして元勇者の俺の魔族としての第二の人生が幕を開けるのだった――
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