第3話 神からの贈り物

「で、なにがどうなってる?」


 いけしゃあしゃあと表れて女神サマを睨みながら、少しぶっきらぼうに尋ねた。こんな不思議なこと、こういう連中の仕業だ、というのはこの五年間でよくわかっている。


「何の話かな~」

「トボけんなっ! この状況だよ。どうして俺はまた魔界にいるんだ。しかも――」

「魔族の姿で、かい?」


 ぱちりと、女神は指を鳴らした。するとどこからともなく、大きな姿見が現れる。そこに映ってるのは――


「……やっぱり、今の俺は――」


 辛うじて人型ではあるものの、しかし人間とは言えない姿。エルフ、とあのおばさん魔族が称したのもわかる。尖った耳、高すぎる鼻、眉毛は薄く、目はとても窪んでいる。ガラス細工のような瞳は青い。そして褐色の肌。顔の造形は、少なからず前の自分に似ている。


「おい、早く元に戻せ! この期に及んで、自分の仕業じゃないとは言わせないぞ」

「戻ってどうするのさ。意外だよ、アナタに人間への未練があっただなんて」


 それはいつもと変わらないとても軽い口調だったけれど、深く鋭く俺の胸を抉った。


「わかるよ、さすがに。だってずっと一緒にいたもの。ずっと見てたもの。アナタが魔界に来て、再び故郷に戻るまでの旅路で感じたことは手に取るようにわかる」


 知った口をきくな、とは言えなかった。正確には声にならなかった。時折、アイリスの目から光が消えることがある。そういう時は大抵、神として――人を超越する譲位存在としての残忍さが透けて見えるのだ。そういう時、俺はたちまちに言葉を失う。長い付き合いだから、何を言っても無駄だとわかっていた。


 他のやり方もあったかもしれない――そう強く意識したのは、あの父の死を悼む魔族の娘の姿を見た時だった。それまでも、ずっとどこかで思っていた。果たして魔族は完全に悪なのか、と。

 魔界には文明があった。こういう農村はもちろん、都市もあった。そこに住む者は異形の姿をしていたが、押しなべて暴力的というわけではなく。むしろ、おれの姿を認めても逃げていくものすらあった。


 それでも俺は、魔王の根城までの道中、立ち塞がる魔族を全て倒ししてきた。それがちょうど、人間界における魔族の侵略の構図と合致することに気が付いた時には、全てが遅かった。俺はとても立派な石造りの巨大な城の前に立っていた。

 後には引き返せない。そもそも、向こうから仕掛けてきた闘いだ。奴らだって、いくつもの罪のない命を奪ってきた。そう自分に言い聞かせて、なんとか魔王を殺した。だけど、そこまでだった。

 

 その後に現れた魔王の娘を俺は、結局殺すことができなかった。もういいと思ってしまった。それ以上に、自分の手を怪我したくはなかったのかもしれない。

 それでも世界が平和になったのなら、俺のやったことは価値のあることだったのだ。摘み取った命は必要な犠牲だったのだ。それを確かめるようにして、無我夢中に世界を回った。

 闘いの爪痕には苦労させられながらも、人々は魔物の悪虐におびえる必要は無くなっていた。しかし――


「人間同士の争いは残ったまま。そして民は、勇者の手にその解決を委ねた」


 不思議なもので、勇者というだけでその言葉には説得力があるらしい。みんながみんな、言うことを聞いてくれる、わけではなかったが、それでも争いの大部分は解決した。

 そのうちに、先の魔族との闘いの結末に疑問を抱くようになる。いや、見ないようにしてきたものが噴出してきたというべきだ。自分の今やっていることが、酷く空虚なものに思えた。俺は、魔族が悪ではないと思いながらも、刃を奮うのを止めることができなかったというのに。


 一旦、自分がただの殺戮者だという自覚が生まれてくると、勇者と呼ばれるのが苦痛になってきた。後悔は渦になって押し寄せてきた。俺は間違いなく、自分の罪を実感していた。


「だからね、ワタシはそんな君にきっかけを与えることにしたのさ」

「きっかけ……」

「魔族となって生きてみたら、案外違ったものも見えてくるんじゃないかな~って。これ、出血大サービスだよ?」

 大出血してたのはアナタの方か、と冗談のようにアイリスは付け加える。


「誰もそんなことを頼んで――」

「善意の押し付けは神々の特権だから! ――ま、冗談はそれくらいにして、あのまま死んでった方がましだった?」

「……やっぱり俺は」

 死んだのか。それを口にする勇気はなかった。


「二つに一つだよ。今、元に戻せってんなら、元に戻すけど。そしたら、アナタは死ぬ。でも今の運命を受け入れるってんなら、ひとまずは生き延びられる。ワタシはどっちだっていいけどね~」


 ひょうきんなように語っているが、それは俺の結論を見透かしているからだろう。積極的に死を選ぶつもりはなかった。例え、自己嫌悪に塗れても。

 そして――

 

「そういう言い方をするっていうことは、いずれ元に戻してもらえるということだよな?」

「――ふふ、どうだろう? とにかく、今はせいぜいスローライフを楽しんでくれたまえ。やがて決断の時は来る。その時に、アナタの出した答えを楽しみにしているよ」


 するとアイリスは、あの姿見と共にまた消えた。今の俺の問いを、答えとして受け取ったらしい。


「アイリス、アイリス!」


 その後、何度呼んでも、あのいけ好かない女神が姿を見せることはなかった。やがて、外から足音が聞こえてきた――

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