第1話 復讐の刃

 この街もまた、あの惨劇から必死に立ち直ろうとしている様だった。最後に見た時には、もっと酷悪たる光景が広がっていた。人の亡骸や家々の残骸がそこら辺りに転がり、ぶちまけられた血液や中途半端に焼けた遺体の臭いが辺りに充満していた。まさに、死の街だった。


 しかし、そんな光景は今やどこにもない。道行く人々の顔は明るく輝いている。建物や道は元の形を取り戻しつつある。街の中はすっきりと奇麗になっていた。

 今日はパレードがあるらしい。さっき港で聞いた。船の中でぐっすりと眠っていたから、俺は最後に降りる羽目になった。乗組員が嫌な顔をしていたのを思い出す。

 勇者がこの世界に平和をもたらして、今日で一年になるらしい。彼の者が地上に帰還した日を起点としているとか。……そんなこと、当の本人はとっくの昔に忘れているというのに。


「そんな卑屈になりなさんな。さんざん見てきただろう? この世界がすっかり平和になったのを」


 自嘲気味に苦笑いをしたところ、目の前に羽の生えた小人の女が現れた。青髪はその背丈と同じくらい長く、白いベールに全身を包んでいる。


「それはこの世界から魔物が姿を消して、という意味に限る。人間同士の争いは尽きてないよ。君も見てきたはずだ」

「そういうことを言われると、この世界の神の一柱としては手厳しいナァ」

 はにかんだように笑っているが、そこに何の感情もないことを俺はよく知っている。


 魔物は人間界の明確な脅威だった。多くの人が殺された。多くの村が焼かれた。多くの都市が蹂躙された。田畑は荒廃し、多くの家畜はその姿を消した。空をかける鳥は減り、海を征く魚は身を隠した。

 何も生き物に限った話ではない。ずいぶんと、世界からは緑が失われた。いくつの森林や野原、山が荒地に変わったか。それを知る者はどこにもいない。


 人が生きていくのには、あまりにも足りないものが多すぎた。……いや、正しく表現すると、偏りが多すぎた。この街のように、一見穏やかな景観を取り戻した地域を俺はいくつも知っている。でも、それはあくまでも表面的だ。内部では色々な問題が存在している。そもそも、ここまでうまくいくのは全体的に見れば稀なのだ。


 人々はその日、自分たちと周りの者が生きていくのに必死だった。パレードとは名ばかり。その実は日々の苦しみを和らげるための祭事でしかない。きっと神に祈りを捧げるのだろう。――あの日、あの少年がそうした様に。もしかすると、何か奇蹟がもたらされるのかもしれない。


「ねえ、いいのかい、カイン? アナタが参加すればきっと盛り上がる。だって、世界はアナタを心待ちにしているのだから」

「違うよ。みんなが求めてるのは、世界を救っただ。敵を殲滅するしか能のない俺じゃないよ」


 この一年で自分の無力さは十分わかっていた。紛争の解決手段を、俺は武力しか知らなかった。

 いや違う。それしか選んではいけないと思っている。それは昔の自分の決断を台無しにする行為だ。もし違う道に逸れてしまったら、その瞬間に俺自身を酷く嫌悪してしまう。

 それが欺瞞だとは、とっくの昔に気付いている。だが、その自己矛盾に俺はたえられないのだ。だから、何もしない。どこか静かな場所で、自分の罪と向かい合うつもりだった。


「まあ、ワタシはキミの決断には文句は言わない。一貫して、それを支えてきたからね~」


 どこまで本当かわからない口調で、女神はそう嘯いた。そしてまたその姿が消えてしまう。気まぐれ女神め、いっそのこと早くいなくなってくれればいいのに。


 その後、なるべく人通りのないところを通って、俺は町はずれのある場所に向かった。パレードは始まりを迎えつつあった。街の中はこれでもかといわんばかりに騒がしかった。

 対して、この場所は本当に静かだ。深い森の中。その開けた場所に、花畑が広がっている。その中心には、二つの墓が建っていた。

 あの日、俺が作ったものだ。旅立ちの日に、この命を世界に捧げると決めた日に。


 適当に辺りから花を摘んで、二つ束を作った。それぞれを両方の墓に供える。そして中央でしゃがみ込むと、拝みように手を合わせて強く目を閉じた。


「父さん、母さん。終わったよ、魔王は倒した。この世界からひとまず魔物はいなくなった」

 平和が来た、とは言えなかった。まだその状態には程遠い。


「でもこれでよかったのかな。俺は、あまりにも多くの命を奪い過ぎた。他にやりようがあったんじゃないかと今では――」


 その時、腹部に激しい痛みを感じた。見ると、短剣が見事に貫通している。シンプルな見た目だ、そんな場違いなことが浮かぶ。


 刃は引き抜かれた。すると、辺りに血が漏れ出すのがわかった。俺は治癒魔法を唱えながら、必死に後ろを振り向く。


 そこにいたのは――


「さようなら、人間界の勇者。魔界の破壊者。父の仇、討たせてもらいました」


 虚ろな目をした、金髪の少女がそこに立っていた。その手には、真っ赤な血が滴る短剣が握られている。それは紛れもなく、俺の身体に突き立てられたものだった。

 今の今まで、全く気が付かなかった。祈りに集中していたとはいえ、俺が魔族の気配を逃すことなんてあるだろうか。ただ驚きのままに、相手の姿を見ていた。


 一向に傷が回復しない。それどころか、全身から力が抜けていく。俺の身体は、意に反してゆっくりと地面に崩れ落ちる。

 仰向けに見る空にはどこまでも澄んだ青が広がっていた。そして、その視界の端にはさっきの女がいる。人の身にはあり得ない白すぎる肌の色と、尖った耳の形が彼女を魔族だと教えていた。不気味なまでにそこには表情と呼べるものがない。


 そうでなくとも、俺にはその顔によく見覚えがある。魔王にとどめを刺した際、突然現れた魔族の娘。亡骸を抱きしめて、「お父様、お父様」と必死に咽び泣いていた。


 しかし、段々とその像は朧げになっていく。意識を維持しているのが辛くなってきた。相変わらず、腹部は鋭い痛みを訴えている。


 このまま死ぬのも悪くないな。他でもない魔王の娘の手によって、命を落とすのなら本望だ――


 俺は静かに目を閉じた。そのまま、意識は闇の中に溶けていった――

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