一九 F棟504号室 弐

 三人の視線が一斉に自分に集まる。


「わたし、修行する。験力をちゃんと使えるようになりたい」


「あんた、いきなり入ってきて何言い出すのッ?」


「ごめんなさい、立ち聞きして。でも、ムシできなくって」


「朱理、無理しなくていいんだ」


「おじさん、全部独りで背負いこむの?」


「おれの事なら心配ない」


「おじさんにだって限界がある」


「お前が負担する必要はない」


「わたしだって何かしたい」


「自分を追いつめるな」


「わたしじゃ頼りない?」


「これ以上傷つかないで欲しいだけだ」


「わたしの事なら心配ない」


「心配するさッ」


「わたしだって心配だよ!」


 悠輝は虚を突かれたような顔をした。


「おじさん、全部自分が悪い、自分のせいだって、誰よりも自分を責めてるじゃない」


「それが事実だ」


「おじさんは判断を間違えた。わたしは何も知らなくて、何もできなかった。

 知っていればこっくりさんをやらなかったかも知れないし、やったとしても直ぐに対処できて、結果を変えられたかもしれない。

 だから、わたしは学びたいんだよ」


「……………………」


 叔父は口を開けかけたが、結局何も言わなかった。


「とにかく一度、お祖父さんに会って相談したらいいんじゃないかな?

 少なくともここに居る誰よりも、験力について知っているんだから」


 その時、バタンッと玄関で大きな音がして、何かが飛び込んできた。


 朱理は背筋が寒くなるのを感じ、叔父を見た。


 悠輝は朱理を押しのけ、廊下に飛び出した。


 慌てて両親と共に後を追う。


 自分の部屋の襖が開けっ放しになり、叔父と妹が向かい合って立っている。


 紫織は耳元まで口をつり上げ微笑み、足下には香澄が倒れていた。


「なんで……」


「来るなッ」


 悠輝が鋭く言った。


「臨・兵・闘・者……」


「ギィーッ!」


 指で空を斬り呪文を唱える悠輝に、紫織がかざした掌から電光を放つ。


「グァッ」


 悠輝の身体からだが後ろに吹っ飛んで、仰向けに倒れた。


「おじさん!」


 紫織の身体からだから禍々まがまがしい妖気を感じる。


 凜に取り憑いていた時よりも桁違けたちがいに強力だ。


 朱理は知るよしもないが、彼女に取り憑いた時と比べてさえ、数段強い妖気を放っている。


「ケケケ……モット……イイ身体からだ……手ニ入ッタ……紫織……朱理ヨリ……ズット……イイ……」


 魔物に取り憑かれた紫織が、視線を廊下にいる朱理たちに向ける。


 悠輝は感電し、意識を失っている。


 見慣みなれた妹の姿に獣の姿がダブって視える、これがこの魔物の正体だ。佐藤加乃子どころか人間の霊ですらない。


 眼が合った。そこに在るのは、獲物を前にした肉食獣の渇望だ。


 殺される……


 朱理は生まれて初めて己の死を意識した。


 恐怖が一気にあふれ出し、膀胱が緩み太ももに生暖かい液体が伝うのを感じた。


 完全に身がすくみ、立ち向かうことはもちろん逃げることすらできない。


 紫織が獅子のごとくちようやくした。


 もうダメッ。

 

朱理はギュッと目をつぶった。


「オン・バキリュウ・ソワカッ!」


「ギャアアアアア……!」


 強大な験力が放出される気配と、自分の物ではない悲鳴に恐る恐る眼を開く。


 紫織が悠輝の上に重なるようにして倒れていた。


「うッ……」


 悠輝が辺りを見回す。


「何が起こった?」


 どうやら今の験力は叔父の物ではないらしい、紫織が自分の上に落ちたので意識を取り戻したのだ。


「紫織が朱理に襲いかかろうとしたから、とっさにおうごんげん真言が口から出たのよ。そしたら……」


 験力が発動して魔物をたおしたということか。


 落ち着いて思い出すと、真言の声は母だった。


 一瞬だがとんでもない験力を感じた、あれが母の能力ちからなのか。


 だとしたら叔父よりも圧倒的に強い。


「封印が解けたのか?」


「判らない……何も変わってないみたいだけど……」


 英明が紫織を抱き起こした。


 妹の身体からは先ほどまでの禍々しい妖気は感じない、香澄も同じだ。


「とにかく香澄ちゃんの親に連絡して、迎えに来てもらおう」


「朱理はパンツを変えた方がいいわね」


「え?」


 朱理は母の指摘に顔が真っ赤になった。




 応急処置で散らかった部屋を手早く片付けてから連絡すると、香澄の両親は直ぐにやってきた。


 二人は娘が自宅を抜け出したことに気付いておらず、救急車が呼ばれ香澄は病院に運ばれた。


 一方、遙香が魔物を斃した後、ほどなくして紫織は意識を取り戻した。朱理同様、取り憑かれていた時の記憶は無かった。


 悠輝の話しでは、取り憑かれた時間が短時間なので悪影響は無いらしい。


 念のため今日はもう寝るように両親と叔父から言われ、妹は渋々従った。


「紫織も覚醒したの?」


 遙香が深刻な顔で悠輝にたずねた。


 彼も感電して気を失ったが、すでに回復している。


「あれだけの験力を放出したからな……何かしら影響はあると思う」


「僕にもハッキリ見えたけど、あれは物理的な電気なのかい?」


「はい。ただ、超常的な力を含んでいます。義兄さん、申し訳ないんですが……」


「うん、出来るだけ早くお祖父さんの所へ行った方がいい。お母さんもわかったね?」


 遙香が思い切り嫌な顔をする。


「朱理、進級できなくなっても知らないからね」


「うん!」


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