一四 杜の稲荷

 朱理は凜と並んで、宏美の背中を追って森の小道を歩いていた。


 宏美は安宗中の裏に広がる森に入って行った。


 小学校の頃、夏休みになると男子がよくここに虫取に行くとはしゃいでいた。


 しかし朱理はここに来た思い出が余りない。


「先生、どこに行くのかな?」


「うん……」


 凜も宏美の行動に戸惑っているのか、黙々と歩いている。


「この先にお稲荷さんがあるの」


 唐突に宏美が口を開いた。


 そう言えばこの森に小さな祠があったような気がする。


 いつここを訪れたのか記憶がハッキリしないが、凜たちと探検に来たのかも知れないし、祖母と散歩で来たのかも知れない。


  おばあちゃん……


 朱理は悠輝がくれたお守りを持って来なかったことを後悔した。鞄に入れたまま教室に置いてきてしまった。


 宏美の様子は明らかにおかしい。普段の彼女なら一緒にいると安心出来るが、今は違う。


 香澄を探し始めてから何だか嫌な気配が付きまとっている。これは由衣の部屋で感じたのと同じモノだ。


 朱理の心には不安があふれていた。それでも由衣と香澄を見つけられるなら、宏美に付いて行くしかない。


「そこに行くんですか? そこに由衣と香澄はいるんですか?」


「加乃子はそこで見つかったの」


 話がかみ合わない。宏子は何かに引き寄せられるかのように、森の奥へと進んでいく。


 すると眼の前に、朱い色がほとんど剥げている鳥居が現れた。


 その向こうにボロボロのほこらがある、これが宏美の言う稲荷だろう。


 その前に誰かが倒れている。


「香澄ッ!」


 朱理は駆けより、香澄を抱き起こす。


「香澄ッ、香澄ッ、しっかりして」


「う、うぅ……」


 呻き声が漏れた、意識を失っているが息はある。


「先生ッ、救急車を!」


 宏美に声をかけたが、彼女は呆然と香澄を見つめている。


「加乃子もここで見つかったの……でも、あのはもう……」


「今は香澄の方が大事でしょ!」


 もう宏美には任せていられない。


 朱理はスカートのポケットにある自分のスマホに手を伸ばした。


「ヤット……来タ……会イ……タカッタ……宏美……」


 凜が口を開いた。でも口調が変だし、声まで別人みたいだ。


 今まで感じていた嫌なモノが一気に強くそして濃くなった。


 背筋が凍るほど寒くなり、全身に鳥肌が立つ。


 宏美は眼を見開き、凜を凝視している。


「加乃子……なの?」


 凜がほほ笑む。


 しかし、口角が異様につり上がっている。こんな顔の凜は見たことがない。


ト…………コッチニ来タ……後ハ……宏美ダケ……」


 凜が宏美に手を差し出す。


「わかった……いくね。また、みんなで一緒に遊ぼう」


 宏美が凜の手を取ろうとする。


「ダメ!」


 とっさに朱理は宏美をかばうように割って入った。


「凜、どうしたのッ? しっかりしてよッ、先生も!」


 二人とも何かに憑かれたとしか思えない。いや事実憑かれているのだ。


 異様な笑みを顔に貼り付けたまま、凜が朱理を見つめる。笑っているのにその瞳はギラギラと獲物を狙う肉食獣のように輝いている。


「アカリン、先生は悪いことをしたの……。

 嫌がる加乃子に無理やりこっくりさんをやらせて、その後様子がおかしかったのに放っておいた……。

 ううん、それだけじゃない、加乃子が行方不明になったってわかると、大人に叱られるのが恐くて、こっくりさんのことは黙ってようって美紀と英梨に言った……

 それにねワタシは加乃子が亡くなった後すぐに転校したの。不登校になってそれを学校のせいにして……」


「今はいいから! とにかく香澄を連れて逃げるのッ」


 引っぱって行こうとしたが、宏美に払いのけられた。


「ダメよ……もうワタシは逃げない……

 美紀は高校生の時に交通事故で亡くなった……

 それを教えてくれた英梨も大学卒業してから連絡が取れない……

 今度はワタシの番……」


「ソウダヨ……宏美……美紀ト英梨モ……待ッテル……

 ダカラ……朱理……邪魔シナイデ……」


「凜……?」


 この時、凜の顔に別の顔がダブって視えた。


 人の顔ではない、まるで獣のようだ。


  違う……これはわたしの幼なじみの相良凜じゃない……


 これが佐藤加乃子のなれの果ての姿なのか。


「やめて、やめてよッ、あなたの所には友達が二人も逝ったんでしょ? もう充分でしょうッ、いい加減にゆるして! 先生だってずっと苦しんでたんだよッ! それに、わたしたちは関係ないッ、お願いだからみんなを返して! 凜と香澄、由衣を返してッ!」


 凜は、いや加乃子は静かに朱理を見つめた。


「イヤ……」


「どうして?」


「足リナイ……マダマダ足リナイ……ヤット手ニ入ル……逃ガサナイ……」


 加乃子が乱暴に朱理を宏美から引き離す。


「キャッ」


 朱理は尻餅をついた。


 加乃子が再び異様な笑みを浮かべ、無造作に宏美の首を鷲づかみにして持ち上げた。信じられない力だ。


「サァ……来テ……ワタシタチノ所ニ……」


 苦しみの余り宏美がもがくが凜はビクともしない。


 宏美の身体から赤い気体のような物がにじみ出し、それが加乃子の口に吸い込まれていく。


 朱理には気体が尽きた時、宏美の生命いのちも尽きることが解っていた。


「やめてって言ってるでしょ!」


 朱理は立ち上がり飛びかかろうとしたが、加乃子に触れる前に腹部に激しい痛みが走り、崩れ落ちた。


 空いている手で加乃子は朱理の鳩尾みぞおちに拳をたたき込んだのだ。


「オマエハ……最後……楽シミハ……最後……」


 息が詰まり、無様にうずくまる。


 何とか顔を上げると宏美がグッタリしている。


  たすけて……誰かたすけて……おばあちゃん……おじさん……


 痛みと無力感で涙があふれる。


 その時、ラグビーボールのような黒い塊が加乃子にぶつかった。


「ギャッ」


 加乃子はよろめき宏美を放した。


 黒い塊は加乃子をかくうなり声を上げる。


「グルルル……」


「ボン……ちゃん……?」


 加乃子も獣のように歯を剥き出し、梵天丸に襲いかかる。


 梵天丸は加乃子の攻撃を紙一重でかわすと、肩に噛みついた。


「やめてッ、ボンちゃん!」


 思わず声が出た、加乃子に取り憑かれていても凜は凜だ。


 朱理の指示に梵天丸は反応し攻撃を緩めた。


 その瞬間加乃子が梵天丸の背中に爪を突き立てる。異様なほど鋭く長く伸びていた。


「キャンッキャンッキャンッ」


 梵天丸が悲鳴を上げる。


 加乃子が梵天丸に噛みつこうとした時、長い数珠じゆずが蛇のように宙を泳ぎ加乃子の身体からだに巻き付いた。


「いい気になるな!」


 聞き慣れた声に思わずあんした。


「おじさん……」


 梵天丸を追って来たのだろうか。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」


 指で空を斬り呪文を唱える叔父の姿がしんろうのように歪む、これは涙のせいではない。


「ノウマク・サラバ・タタギャテイ・ビヤサルバ・モッケイ・ビヤサルバ・タタラタ・センダ・マカロシャナ・ケン・ギャキ・ギャキ・サルバビキナン・ウン・タラタ・カン・マンッ。


 不動尊よ、そのけんさくにて魔をからめ捕らん!」


「ガガッ」


 数珠の周りの空気も揺らぎ、絡め捕られている加乃子の身体が硬直する。


「しっかりしろッ」


 悠輝が駆け寄り、朱理を支えて立ち上がらせたが、胃がねじれたようで身体からだを伸ばせない。


 背中と胃の辺りに掌を当てられ身体からだを少し強引に起こされると、ねじれた部分が戻るような感覚があり痛みが楽になった。


「大丈夫か?」


「うん」


「お前も平気だな」


「キュ~イ」


 気付くと足下に梵天丸がいた。


 大した怪我はしていないようだ。


「早く森を出ろ、お母さんが迎えに来る」


「でも……」


 凜たちをこのままにしてはおけない。


「いいから、後は叔父ちゃんに任せろ」


 有無を言わせぬ口調で悠輝が言う。


 こんな叔父は初めてだ。さっきの呪文といい、眼の前にいるのは本当に自分の叔父なのだろうか?


 頭が混乱する。


 そんなことは一切構わず、叔父は朱理の背中を文字通り押してこの場所から遠ざけようとする。


「ゲーッ!」

 背後で地獄の底から響くような声が聞こえ、振り向くと加乃子が宙に舞っていた。


 凜の身体から何かが抜け出し、それが朱理に向かってきた。


「え?」


 それが自分の中に入ってくる。


「いや……」


 朱理の奥へ奥へとそれは侵入してくる。


 心が、意識が染められていく、自分以外の別なモノへと塗り替えられていく。


  いやぁーッ!


 朱理は叫んだつもりだが、声帯が震える事はなかった。


 もう彼女の物ではなくなっていたのだ。

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