八 トランクルーム

 匣を開けるために悠輝は夕食の後、『別宅』と内心呼んでいるトランクルームへ向かった。


 ここは稲本団地から二キロほど離れた所に在り、到着した時は深夜と言って申し分のない時刻になっていた。


 トランクルームは稲本団地に引っ越してから借りている。


 本来なら六畳一間のアパートから、六畳と四畳半二間の3DKへ引っ越したのだから、持っていた物を全て移動しても充分余裕があるはずだった。


 ところが祖母の部屋を、朱理がそのままにして置いて欲しいと言っていると知り、叔父バカとしては希望通りにしてやりたくなった。


 実際、名義は義兄の英明が引き継ぎ、彼の口座に悠輝は家賃を振り込んでいる。部屋も全く以前のままとはいかないが、自分と梵天丸が寝起きする四畳半以外は、ほぼ当時のままだ。


 問題は悠輝がただの叔父バカではないという点だ、験力という余計なモノを持っている。


 そのために入居当初は色々大変だった、朱理の祖母がまだ居たからだ。


 さすがに姉のしゆうとめを力尽くではらう事も出来ない。


 御堂刹那は霊視した相手と会話をして成仏させるそうだが、悠輝は霊に対してそんなコミュニケーション能力を発揮できない。


 相手の思いを感じ取ることなら可能だが、こちらの意思を明確に伝える事は難しい。


 もちろん朱理の祖母は悪霊などではない。ただ家族と一緒に居たかったのだろう。


 実際、こういったケースはよくあり、ほとんどが時間が解決してくれる。


 悠輝は仕方なく、周りに聞こえないよう細心の注意を払い観音経を唱えるだけにして、様子を見ることにした。


 一周忌を迎えても居るようなら姉に相談し、然るべき対処をするつもりだったが、悠輝が入居して一ヶ月足らずで、彼女の姿は消えていた。


 話しを戻すと、このような事情から荷物を預けるトランクルームを借りたのだ。


 稲本団地の駐車場代は月一万円、悠輝の借りたトランクルームの値段は六千五百円。それを考えれば高くないのかも知れない。


 何より、佐伯から副業を回してもらうようになってから、団地から程よく離れたこの場所に助けられることになった。


 築半世紀になる稲本団地の部屋で経や祝詞を唱えると、ご近所に聞かれてしまう可能性が高い。


 二十代男性一人暮らしの部屋からそんな物が聞こえてきたら、カルト宗教にハマっていると思われること間違いない。だからこそ、朱理の祖母に苦労したのだ。


 次に、この副業を姉に知られたら姉弟の縁を切られてしまう。そうなったら可愛い姪っ子たちに会うことが出来なくなる。


 部屋の合い鍵を遙香は持っているので、いつでも入ってこられるのだ。勘の良い姉のことだ、どこに法具を隠しておいてもすぐに見つけ出すだろう。


 まるでエロ本を隠す中学生のようで情けないが、稲本団地から適度に離れ、かつなるべく人目を引かない場所がベストだ。


 ここは国道に面しており、二〇〇メートルほど離れた所にラーメン屋もある。さらに朱理の通う安宗中学校も近くにあるのだが、逆に言えばそれ以外は畑と森しかない。


 深夜になると国道を通り過ぎるクルマ以外は、人気ひとけの無い寂しい場所になる。


 このトランクルームは二四時間営業を歌っているが、実際はコンテナを置いてあるだけで管理人もいない。


 悠輝はトランクルームの前に愛用のMTB《マウンテンバイク》を止め、鍵を開けると中に入った。


 懐中電灯で中を照らす。


 彼が使っているトランクルームは、大型のコンテナを横に五つに区切った物の一角で、高さ二メートル、奥行きは三メートル近くあるが、幅は一メートルに満たない。


 部屋に入りきらなかった道具が入っているが、もともと六畳一間にあった物なので、拝み屋に使う法具を加えても大した量ではない。そのため、入り口から半分くらいは何も置いていない。


 中を見られたくないのでドアを閉めたいが、換気が悪いので隙間を空けておく。


 窓は無く、蛍光灯やコンセントも無いので、懐中電灯で作業しなければならない。


 悠輝は魔除けの真言を一面に書き記した紙を敷き、その上に匣を置いた。さらに塩で周りを囲む。


 塩の枠の外でろうそくに火を灯し、香を炊く。そしてその前にこんごうしよを置いた。この金剛杵は両端が太い針のようになっていて、どつしよとも呼ばれる物だ。


 必要な物はそろった。後は心の準備だ。


 金剛杵の前に正座し目を閉じて背筋を伸ばし、心を静め両手の指を絡め印を結び、しんほうを始める。


 護身法とはじようさんごういんみようふつさんれんさんこんごうさんこうしんの五種類の印と真言を組み合わせたものだ。


 これを終えると今度は九字を切る。


リンピヨウトウシヤカイジンレツザイゼンッ」


 己の中に在る力の源に意識を向ける。それは小川のせせらぎのように穏やかだが、奥に行けば行くほど力強く激しいうねりになっていく。


 この力は自身の内に在るのではない、内から外に繋がっているのだ。


 万物に通じる力、これがげんりきだ。


 悠輝は意識を金剛杵に向けた。


 ゆっくりと宙に浮き上がり、匣の上に移動する。


 そして片方の先端を下にし、急降下する。


 ガッツッ、という木と金属がぶつかるには不自然な音を立て、匣に傷が付く。


 それと同時に、匣から霊的な衝撃波が放たれる。


「クッ!」


 背筋がこおりそうな悪寒と、物理的ではない痛みが全身を駆け巡る。


「オン・クロダナウ・ウン・ジャク!」


 みようおうの印を結び真言を唱える。この明王はけがれと悪を焼き滅ぼし、清浄に変えると言われている。


 悠輝は再び験力を振るい、金剛杵を匣に突き立てた。


 再び衝撃に襲われたが、匣は大分砕かれた。


「オン・クロダナウ・ウン・ジャク!」


 三撃目で匣は完全に砕け、中身が明らかになった。


 蝋燭の灯りではよく判らないので、悠輝は懐中電灯を点け光を向けた。


「これは……髪」


 長い髪が一房、光に照らし出されている。よく見ると、全体に何か付着している。


「血か」


 対象法は判った。後はこれを出来る限り無害にして、御堂刹那に送るだけだ。


 悠輝は真言を書いた封筒に髪を入れ、匣の残骸は近くの新川の土手で焼いて処分した。


 この時点ですでに日付は変わり、草木も眠るうしつ刻となっていた。


 そして愛用のMTBで帰宅する道すがら、念のため由衣の自宅の前を通った。


 窓とカーテンが開けっ放しになっている。


 悠輝は心臓を鷲づかみにされたような気がした。


 MTBから飛び降りて、部屋の前へ急ぐ。


 ここが一階なのが幸いした。念のため周りに人がいないことを確かめて、懐中電灯で部屋の中を照らす。


  いない!


 トイレに行っているのかもしれない。楽観的な考えが頭をよぎるが、それが事実でないことは自分が一番よく知っている。


 慌てて愛車にまたがり、走りながら辺りの気配を探った。


 人の気配も人ではないモノの気配もない、感じるのは団地に住み着いている猫の気配ぐらいだ。


 そもそも悠輝が気配を感じ取れるのは、自分を中心とした半径一〇メートル前後。ここでも修行不足が悔やまれた。


 夜中なので大声で由衣の名前を呼ぶことも出来ない。それに呼んだところで返事が返ってくることはあり得ない。


 由衣は覗かれないようカーテンを閉め切っていたらしい。にもかかわらず出窓は開け放たれていた。


 鍵をかけ忘れていたとは考えられない、誰かが無理やり侵入したわけでもない、鍵は中から開けたのだ。


 誰が開けたのか? もちろん由衣自身だ。


 闇雲に探してもらちがあかない、悠輝はちゆうへ向かった。


 しかし、ここでテクノロジーの壁が彼を阻んだ。


 学校はセキュリティで護られている、勝手に中に入れない。強行に押し入って警備システムが作動したら、警備員が吹っ飛んで来る。


 験力が使えてもどうにもならない、この能力ちからは万能ではないのだ。


 それに下手に自分が捕まったりすれば、朱理にまで迷惑がかかってしまう。


 やむを得ず敷地内に忍び込むまでに留め、表から校舎や体育館などの施設に誰かが入った痕跡がないかを確認した。


 職員のセキュリティ意識は高いようで、どこにも鍵のかけ忘れは無かった。


 という事は、空を飛んで屋上から入るとか、壁をすり抜けない限り中に入ることは出来ない。


 由衣はれっきとした肉体を持っている。よほど非常識なモノが憑いてない限り、その心配は無い。


 それ以外の方法を使えばセキュリティが作動するはずだ。


 ここに由衣はいない。


 悠輝には彼女がどこに行ったのか、全く心当たりが無かった。


 仕方なくトランクルームに戻り、出来る限りの呪術を使い由衣の行方を探ったが、手がかりは一切つかめなかった。

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