四 稲本団地中央通り

 上に戻っていいと言われたが、朱理は自分もついて行くと言い張った。


 渋々了承した悠輝が手を繋ごうとしたので、素早く引っ込める。


 寂しそうに見つめる叔父に、かすかに罪悪感を覚えつつ無視した。


 叔父と手を繋いでいるところを誰かに見られたら、もう外を歩けなくなる。ただでさえオジコン呼ばわりされているのだ。


 だいたい家族と手を繋いでいいのは小学校の低学年までだ。


 外に出るとすでに陽は沈み、夜の帳に包まれようとしていた。


 空を見上げると微かに西の空が紅く染まり、闇に最後の抵抗をしている。


「何かあった?」


「別に……」


「お前、嘘が下手だな」


「おっちゃんにだけは言われたくない!」


 血は争えない、朱理も嘘をけないのだ。


「で、どうしたんだ?」


 もともと悠輝に相談するつもりで散歩について来たのだ、隠していても仕方ない。


 彼は三年前に四〇四号に引っ越してきたが、以前はそこに父方の祖母が住んでいた。


 五歳年下の妹、おりが生まれてしばらくは、祖母が朱理の面倒を見てくれた。


 そのせいか孫の中でも一番朱理を可愛がってくれたように思う。


 祖母が四年前に亡くなり、部屋も解約するはずだった。


 ところが朱理が珍しくごねて嫌がった。祖母が亡くなっても、部屋に行けば祖母の存在を感じられたからだ。


 寂しい時、悲しい時、そして辛い時、祖母の部屋にいると祖母が寄り添っていてくれるような気がした。


 父も生家を手放し難かったのか、手続きが延びのびなっていた。


 そんなある日、悠輝が訪れた。


 彼は当時スマホゲームのシナリオを書いており、フリーターをやめてシナリオライターだけでの生活を考えていた。


 そのために事務所兼住居に出来る、安い物件を探しており、母のはるがこの団地を紹介した。


 ここならば3DKで家賃は管理費込みで四万五千円程度とかなり魅力的だ。


 ただし、最寄り駅が六キロ離れており、コンビニは半径二キロ以内に一件しかない。肉屋、パン屋、薬局、そしてスーパーも同じく一軒ずつだ。


 ハッキリ言って陸の孤島だ。家賃が安いのにはそれなりの理由がある。クルマが無いと生活が成り立たない。にもかかわらず悠輝は、未だに自転車だけでがんばっている。


 因みに悠輝が執筆したゲームシナリオだが、ゲームが完成する前に社長が逃げてしまい、原稿料は一円も支払われなかった。そして現在もフリーターを続けている。


 こんな叔父だが、いつの間にか祖母の代わりになってくれていた。


 悠輝のことは物心付く前から知ってはいるが、それでも祖母の家に彼がいるのには違和感があった。


 それでも一ヶ月も経たない内に叔父が下の階にいるのが当たり前になり、気が付くと祖母がいた時と同じように、叔父の部屋に遊びに行くようになっていた。


 不思議なことに祖母の存在を感じなくなったが、代わりに叔父がいるし、今では梵天丸もいて昔よりも賑やかだ。


 そして相談事は、両親よりも年の離れた兄妹のような悠輝の方がしやすい。


「おじさん、セーメイ様って知ってる?」


「いいや、何だいそれ?」


 朱理はセーメイ様がこっくりさんに似た占いであることを説明した。


「あぁ、そっちは知ってる。他にもキューピット様や、エンジェルさん、海外ではウィジャボードを使って似たような降霊術占いをするな。で、それがどうした?」


「うん……昨日、凜たちとやったの……」


「へぇ、朱理、よくやるの?」


 叔父の声が少し強ばったような気がした。


「ううん、初めてやった。お母さん、おまじないや占いをやろうとすると凄く怒るし、おじさんだって完全否定するじゃない」


「それは違う、単に占いには根拠が感じられないって言ってるだけだよ。

 解りやすいのが血液占い。人間の性格がA、B、O、ABのたった四つに分類されるわけないだろ? 人間ってのは複雑だから、誰でも繊細な面とズボラな面を合わせ持っている。だからどの血液型の性格でも当てはまる。

 星座占いもそうだ。生まれた月が同じだからって、一緒の運勢なわけがない。一日に何人の人間が生まれていると思う?

 そしてタロット、一見複雑なカードの配置を読むから信憑性がありそうに思えるけど、逆に複雑だからこそ、いくらでも曖昧な答えを出せる。

 占いってのは当たるモノじゃなく、当てるモノなんだ。当てるために必要なのは霊感や超能力じゃない、曖昧なことをもつともらしく言う文章力、それに占う相手の情報があれば正解率はかなり上げられる」


 叔父はオカルト否定の話をするとじようぜつになる。


 もう何度同じ話を聞かされたことか。


「で、こっくりさんで十円玉はちゃんと動いた?」


 朱理はうなずいて、昨日のセーメイ様で起こったことをポツリポツリと話し始めた。


 セーメイ様が帰らず『さとうかのこ』と名乗ったこと、最後に十円玉が発熱し、紙が燃え上がったことも話した。


 悠輝はいつも通り、朱理の話を最後までちゃんと聞いてくれた。


 梵天丸は気になるのか、時々振り返ってはつぶらな瞳で朱理を見上げた。


「う~ん……」


 悠輝なら話を信じて、何か対策を考えてくれる。朱理は叔父がくれたお守りのことを思い出した。


「わからんなぁ、どうやったら紙が燃え上がるんだ?」


「それは『さとうかのこ』がのろいか何かで燃やしたんでしょ?」


「だから、基本的にこっくりさんのたぐいは科学的に証明できるんだよ」


「そうかな……」


「こっくりさん……セーメイ様だっけか? 来ているか確認するために、初めは答えが判っている質問をしたろう?」


 そう言えば、天気や夕食の献立など知っていることをあえて質問していた。


「潜在意識が十円玉を動かすんだ。テレビ番組で実験したら、占っている本人たちが知っていることは高い確率で正解したけど、知らないことになると不正解が圧倒的に多かった」


「でも、『さとうかのこ』はダレも知らなかったよ」


「いや、それも説明できる。まず苗字の『さとう』。これはメジャーな苗字だし、その前に『かとう』が出ている。むしろ選ばれて当然だな。問題は名前の『かのこ』、こっちは滅多に聞かない名前だ」


「うん、みんな『かのこ』って名前だけでも知らないって」


「それまでに結構質問していたから時間が経っていて、この時が一番速く十円玉が動いた」


「そうだけど?」


「だとすると、たまたま勢いで選ばれた文字って可能性が高い」


「説得力がない」


「そうでもないさ。『さとう』の『う』と『かのこ』の『か』は比較的近い位置にあるから、それこそ偶然だったろう。そして『か』から連想する名前と言えば、『かすみ』『かなえ』『かおり』『かれん』『かずこ』、そして『かのん』、こんなところだ」


「そう、かな……」


「このなかで『かすみ』は、香澄ちゃんと被るから無意識に避ける。

 位置からすれば『かおり』が近いにもかかわらず『お』は選ばれなかった。

 理由は無意識下で誰も連想しなかったか、いたとしても別の名前を思い浮かべた人の力が強かったんだ。

 ここで選ばれた名前は『かのん』だろう、だから次に『の』に十円が移動した。

 最後の『こ』だけど、本来なら『ん』に行くはずだ。

 でも、『かずこ』を連想していた人がいて、ここで『ん』に行こうとする人たちの力を上回ってしまい、聞いたことの無い『かのこ』という名前が出来上がった」


「う~ん、やっぱり説得力がないと思う。百歩ゆずっておじさんの説を受け入れても、十円玉の発熱と紙が燃えた説明にはならないよ」


「だから、それが判らないって言ってるんじゃないか」


「じゃ、結局『さとうかのこ』の祟りってことなんじゃないの?」


「そう断定するには根拠が足りない。あくまで自動筆記で『さとうかのこ』と書いた直後に発熱発火現象が起こっただけだ。これが連動していることを示す証拠は無い。

 むしろ自動筆記がさっき言ったように超常現象じゃないなら、発熱発火現象も科学的に解明出来るはずだ」


「それにしても、ずいぶん詳しいよね」


 これだけ喋れるならむしろオカルトが好きなのかもしれない。


「そりゃあ世界的に有名な占い方法だからな、著作権フリーだし」


「チョサクケン?」


「この手のオカルト話や神話、伝承は、シナリオのネタになるんだよ。勝手に使っても著作権料はいらないし、世界中にあらゆるバリエーションが転がっていてよりどりみどりだ。これを利用しない手はないだろ?」


 即物とはこの人のためにある言葉だ。


「ところで朱理、叔父ちゃんがあげたお守り、その時も持ってた?」


「うん……」


 さすがに握りしめていたとは恥ずかしくて言えない。


「超常現象を信じていないのに、何でそんなこと聞くの?」


「気休めかな。あれ、結構いい値段したから、持ってたから大丈夫、ってことでよくない?」


「よくない! おじさん、飽きたんでしょッ。それに由衣はあの後、何かに見られているって……」


「他のめんは何も感じていないんだろ?」

「そうだけど……。でも、わたしも由衣の部屋で、何か変な気配って言うか、悪意って言うか……。とにかく、何かを感じた!」


「それ、こっくりさんを引きずってただけじゃないのか?

 朱理たちの年頃は、特に情緒不安定になりやすいからね。こっくりさんが帰らず、紙が燃え上がったりすれば、そりゃ祟りだって信じ込みたくなるさ」


「何度も言ってるけど、こっくりさんじゃなくて、セーメイ様だよ」


「いや、同じと考えたほうがいい、鳥居か五芒星かの違いしかないからね。

 どっちにしろ朱理たちが呼び出したのは、『さとうかのこ』だったんだろ?

 その時点でセーメイ様ともこっくりさんとも違うじゃないか」


「ん~」


「それにこっくりは、『狐』『狗』『狸』と書くらしい。安部晴明には狐の血を引いているって言う伝説もある。こっくりさんの『狐』と繋がると思わないか?」


「そうかも知れないけど……」


「まぁ、こっくりさんでもセーメイ様でも、そんな事はどうでもいい。心配なのは由衣ちゃんだ」


「うん……」


  由衣はだいじょうぶかな?


 もう寝たのだろうか、何も起こっていなければいいのだが。


「じゃ、これから由衣ちゃん家に行ってみようか」


「えッ?」


「不審者がいるなら、見つけられるかもしれない」


「あ、相手は幽霊かもしれないんだよ」


「それも含めて確かめるんじゃないか。運が良けりゃ心霊動画をスマホで撮って、みんなに自慢できるぞ」


 そう言うと悠輝はきびすを返した。


 話しているうちに、完全に夜になっている。


 街灯と窓からの漏れる光で真っ暗ではないが、それでも周囲にほとんど灯りのない稲本団地は闇が濃い。


 正直、今は由衣のいる四街区B棟へ行くのが怖かった。


 それでも由衣が心配なので、梵天丸のリードを引いて悠輝を追いかけた。

 薄暗い夜道を叔父と並んで歩いて行く。次第に由衣の住まいに近づくにつれ、恐怖が増してきた。


 闇が恐怖心を増幅させているのだ。それと同時に、闇は朱理の姿も隠してくれる。


 朱理は恥を忍んで、悠輝の腕に自分の腕を絡ませた。


 叔父はちょっと驚いたようだったが、何も言わなかった。


「ウゥ~」


 由衣の住んでいるB棟の前まで来ると、突然梵天丸が正面の闇に向かって唸り始めた。


 見慣れた人影が近づいてくる。


「あ、先生」


「アカリン、ワンちゃんのお散歩?」


 暗闇から現れたのは宏美だった。


「ワン、ワンワンッ」


「コラッ、ボンちゃん吠えない!


 すみません。こっちは叔父です」


 腕を組んでたのを思い出して慌てて、悠輝から離れる。


「鬼多見悠輝です。姪がいつもお世話になっています」


「担任の萩原宏美です。お話は朱理さんから聞いています。思っていたより随分お若いですね、お母様もそうですけど」


「いや~、ありがとうございます」


 梵天丸は相変わらず、宏美に向かって吠え続けている。


「ワンッワンッワンッワンッ」


「もう、先生に失礼だよ」


「ウゥ~」


「美人の香りになれてないんですよ」


「お上手ですね、鬼多見さん」


 何となく朱理はムカついた。


「おじさん、先生に迷惑かけるから行こう」


「あぁ、そうだな」


「先生もユイユイの様子を見に行くから」


「あ、それでここに?」


「うん。それじゃ、また明日」


「さようなら」


 宏美の後ろ姿が建物に消えると、梵天丸は吠えるのをやめた。


「どうしたんだろ、ボンちゃん?」


「香水の匂いが気に入らなかったんだろ」


「美人の香りじゃないの?」


 珍しく嫌みな口調になる。


「香水のことを美人の香りって言うんじゃないか?

 それより、特に不審者は見当たらないし、何も化けて出てこないな」


 悠輝は辺りの闇を見回した。


 念のためB棟の周りを確認したが、やはり不審な点はない。


「もう暗いし、家に帰ろうか」


 不安が晴れないまま、朱理は帰宅することにした。

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