三 F棟404号室

 自宅に戻ると母と妹は居なかった。


 母は夕食の買い物で、妹は友達の所にでも遊びに行っているのだろう。


 あかは両親と妹の四人家族だが、下の階で叔父が一人暮らしをしている。


 いや、一人暮らしというのは正確ではない、叔父は柴犬を一匹飼っているからだ。


 稲本団地では、許可さえ下りればペットを飼うことが可能だ。


 そしてこの犬の面倒は、三分の一くらいは朱理が見ている。

 残りの三分の二が叔父と妹と母だ。


 荷物を置いて手早く着替えると、朱理は下の階に向かった。


 叔父の部屋は四○四号、普段なら全く気にしない数字の並びが今日は不吉な気がする。


 そんな気持ちは一旦脇に置いて、合い鍵で中に入った。


 ドアがちゃんと閉まっているのを確認して、ふすまの一つを開けると中から冷気と共に柴犬が飛び出して来た。


「キュ~イ!」


 この部屋は、この子のために夏場は一日中エアコンをつけっぱなしにしている。


 冷たい空気が流れてきたが、由衣の部屋のような嫌な寒気は感じなかった。


「待ってた? ボンちゃん」


 ボンちゃんことぼんてんまるは小型のクロシバで、一年ほど前に保護犬だったのを譲り受けた。


 その頃は子犬だったので、まだ二歳にはなっていないが、それでも既に成犬のはずだ。


「ヘッヘッヘッヘッヘッ……」


 しかし、未だに落ち着きがなく、朱理にじゃれついてくる。


 あごの下をなでると嬉しそうにその手、というか手首をペロペロ舐める。


「遅くなってゴメンね。散歩の前にゴハンがいいかな?」


 ドッグフードを器に盛って、水をかけて少し待つ。


 その様子を梵天丸がジッと見つめている。


 それがいじらしく、再び顎の下と頭をなでた。


「もう少し待っててね……」


 インターフォンが鳴り、梵天丸が激しく吠え始めた。


「ウゥ~、ワンッワンッワンッ!」


 朱理が受話器を取ると宅配便だった。


 抗議の声を上げる梵天丸を部屋に閉じ込め、業者から荷物を受け取った。


 厚手の紙袋に何か箱のような物が入っている。


 何だか凄く嫌な感じがした、由衣の部屋で感じたモノに似ている。


 送り主の名前を見ると『どうせつ』と書かれていた。


 聞き覚えのない名前だ。


 梵天丸をこれ以上待たせたらかわいそうなので、ドッグフードを先に与える。


 荷物に唸っていたがご飯の方が梵天丸には重要らしく、すぐに大人しくなってガツガツ食べ始めた。


 その間に改めて送り主の欄を見ると、住所に『プロダクションブレーブ』とある。


 朱理は中学に上がってやっと買ってもらったスマホを取り出し、『プロダクションブレーブ』で検索した。


 すると結果の上の方に芸能事務所が出てきた。


 追加で『御堂刹那』と入力すると、二十歳ぐらいの女性の画像がヒットした。


 アイドルとしては華やかさに欠けるが、それでも充分に可愛いし、長い黒髪が印象的だ。


 荷物の嫌な感じも忘れ、朱理の思考はあらぬ方へ向かった。


 ひょっとして、これが叔父のカノジョなのだろうか。


 朱理の叔父、きたゆうは冴えないフリーターだ。


 二十六歳になってもシナリオライターになる夢を捨てきれず、コールセンターでバイトをしながら生計を立てている。


 そんな叔父がアイドル ― 聞いた事のない名前だけど ― と交際していたとは……


「何見てるんだ?」


 いきなり声をかけられ、驚いて顔を上げると叔父が立っていた。


「あ、おじさん、お帰りなさい」


「ただいま」


「今日、早番だっけ?」


「あぁ、今週はね。それはともかく、人が帰ってきたことに気付かないほど、何を真剣に見てたんだ?」


 朱理は慌ててスマホを隠した。


「べ、別に……あ、荷物届いたよ」


 御堂刹那から届いた袋を見て、またあの嫌な感じを思い出した。


「朱理、それに触ったのか?」


 悠輝が厳しい表情で聞いた。


「触らなきゃ、受け取れないでしょ」


「そうだよな……ごめん……」


 そう言うと悠輝は溜息を吐き、朱理から遠ざけるように荷物を別の部屋へ持って行った。


「ね、『御堂刹那』ってダレ?」


「え? う~ん、仕事の取引相手、かな?」


 歯切れの悪い答えだ。


「その……おじさんのカノジョ、じゃないの?」


「何言ってんだ? オマエ」


「コールセンターで、アイドルと仕事なんてしないでしょ?」


 悠輝はなぜか顔をしかめた。


「どうしてアイドルだって知ってるんだ。それに、そっちの仕事じゃない……」


「え? じゃ、シナリオライターで?」


「ん……まぁ、ね……」


 悠輝は視線を落とし、ドッグフード食べ終えて脚にじゃれついている梵天丸をなで始めた。


 基本的に叔父は嘘が下手だ。


 嘘なのは御堂刹那と付き合っていないってことか、シナリオライターでの取引相手ということか、あるいは両方か……


 叔父の恋愛事情より、もっと深刻な問題が眼の前にあるので、朱理はそれ以上追求はしなかった。


 それに気付かない悠輝は、朱理にこれ以上質問させないため、梵天丸に胴輪を着けて散歩に行こうとした。

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