二 稲本団地四街区
翌日、由衣が学校を欠席した。
心配になった朱理たちは、部活を休んで様子を見に行くことにした。
朱理と香澄は合唱部に入っており、凜はフットサル部員だ。
特に凜は、レギュラーを目指しているので休みたくはなかったはずだが、それ以上に由衣の事が心配だったのだろう。
それは朱理も同じだった。
彼女たちは四人とも稲本団地に住んでいる。
ここはいわゆるマンモス団地と呼ばれた場所で、広大な敷地に数十棟の集合住宅が建ち並ぶ。
その中でも朱理たちは四街区と呼ばれる区域に住んでいる。
「由衣、どうしたのかな?」
朱理はハンカチをだして首筋の汗を拭いた。
今日は快晴で、真夏のように暑い。
「きっと風邪でも引いたんだよ、行ったらもう元気になってるかも」
朱理の言葉に明るく答える凜だが、その言葉は自分自身に言い聞かせているようだ。
「そうだね……」
由衣の部屋がある四街区のB棟の前まで来た。
四街区の建物はいずれも五階建てで、一つのフロアに六世帯、合計三〇世帯が入居できるようになっている。
由衣の住まいはここの一〇二号だ。
ちなみに凜はE棟の三○五号、香澄がC棟の四○二号、そして朱理はF棟の五〇四号に住んでいる。
凜がインターフォンを押した。
〈はい、どちら様?〉
スピーカーから由衣の母の声が聞こえた。
「すみません、相良です。由衣が今日休んだので朱理、香澄と一緒にお見舞いに来ました」
少し間があってドアが開いた。その瞬間、朱理は何とも言いがたい嫌なモノを感じた。
「どうぞ」
由衣の母が朱理たちを招き入れたが、少し困ったような顔をしていた。
四街区の建物はすべで3DKで、叩きとキッチンは隣接している。
キッチンからはどの部屋へも行けるようになっており、一人っ子の由衣は贅沢にもその一室を独占していた。
「昨日、帰って来てから由衣の様子がおかしいの。何か知らない?」
朱理たちは顔を見合わせた。
セーメイ様をやったこと自体は大したことはないだろう。
しかし、最後の怪現象を話しても信じてもらえるだろうか。
「じつは昨日セーメイ様を……占いをやったんです。そこで由衣の好きな人にカノジョいるって出て……」
凜が嘘ではないが事実とも違う、当たり障りのない内容を答えた。
「そう……」
「どんな様子なんですか?」
たまりかねて朱理が聞いた。
「何かに脅えているようで……部屋に入れてくれないのよ」
「アタシたちが話します」
凜が毅然と言った。
「……それじゃ、お願いするわ」
朱理たちは力強くうなずくと、由衣の母は別の部屋に姿を消した。
「由衣、アタシ、凜。入っていい?」
「……帰って」
中から返事があったが、いつもの快活な声ではない。
凜が困惑した顔を朱理たちに向ける。
「由衣ちゃん、香澄だよ、どうしたのぉ?」
「わたし、朱理。何があったの?」
「いいからほっといてッ」
けんもほろろに言い放つ。
「ほっとけるわけないでしょ! 由衣、あの後、何かあったんだね?」
「………………………」
凜の問いに由衣が沈黙で応えた。
「お願い、中に入れて。それがダメなら、せめて何があったか教えて」
稲本団地は高度成長期に建設されており、全て和室となっている。そのため部屋は襖だ。
強引に入ることは出来るが、そんな乱暴な真似はしたくない。
「………………………」
「由衣!」
「……入って……」
小さな声で由衣が応えた。
凜がゆっくりと部屋の襖を開けた。
その刹那、朱理の背筋に寒気が走る。
原因は部屋から流れ出たエアコンで冷えた空気ではない。
部屋はカーテンが閉められて薄暗かった。
それでも由衣がやつれているのはハッキリ判る。
「暗いね、カーテンを開けようか」
「やめて!」
朱理が窓に近づくと、由衣が鋭く止めた。
「ゴメン……やめて……
「ダレかいるの?」
凜がカーテンを見つめながら尋ねた。
由衣はうなずいてから、思い直したように首を左右に振った。
「たぶん、いない……視線を感じて、外を見るとダレもいないんだ。でも、間違いなく見てるんだよ、あたしを」
由衣は畳に置かれたベット上で自分の膝を抱きしめた。
「昨日、学校から帰ってズッとなんだ。カーテンを閉めても、布団を被っても見られてる気がして……」
この様子からすると昨夜は眠れなかったのだろう。
「どういうこと?」
凜は聞いたが、朱理には何となく答えがわかっていた。いや、凜だって気が付いているはずだ。
「ついて来たんだ、あいつ……」
朱理は思わずカーテンを見つめた。
だが嫌な気配は窓の外ではない、この部屋の中から感じる。
改めて部屋の中を見回すが、当然だが自分たち以外に誰もいない。
「だから布団を被っても、中まで見られてるんだ……」
「アタシは何も感じない、気にしすぎだよ」
「そうだよぉ、香澄もダレかの視線なんて感じない」
由衣を安心させようと凜と香澄が優しく言った。
「見てるって! 本当に何も感じない、リンリン、カスミンッ? アカリンはどうなの?」
由衣が睨むような視線を朱理に向ける。
「わたしは……」
凜と香澄の訴えかけるような視線を感じる。
「わたしも、何も感じない。由衣、きっと疲れてるんだよ」
友達がこんなに苦しんでいるのに、元気づける言葉一つかけられないない自分に
「じゃあ、昨日のアレは何なの? フツー火もないのに紙が燃えたりする?」
「それは……」
「たしかに、昨日おかしなコトが起こったのは事実だよ。
でもね、由衣が無事なのも事実でしょ。由衣は視線を感じるって言うけど、それ以外に何かおかしな事が起こった?」
「まだ、起こってない」
「でしょ。だから……」
「これからも起こらないって言えるッ? あたし、怖くてさ……ウチから出られないんだ……出たら、アイツに捕まる気がして……」
違う、もうこの部屋にいる……
そんな気がしてならないが、朱理はその考えを必死に振り払おうとした。
由衣をこれ以上怖がらせてはならない。
「……うん、アタシが保証する。もし、独りがイヤならウチに泊まりに来る? そうだ、みんなでパジャマパーティしようよ、久しぶりに」
「あ、いいねぇ。香澄もやりたい!」
「そうだよ、四人一緒なら恐くないでしょ?」
この部屋から由衣を連れ出すことが必要に思えたので、朱理も積極的に賛成した。
由衣は朱理たちの顔をしげしげと見つめた。
「アリガト……でも、ダイジョーブ」
「ウチの事なら気にしなくていいよ、親はうまく丸め込むから」
クスッと由衣が笑った。
いつもに比べると全く元気がないが、今日初めて見た由衣の笑顔だ。
「そうじゃないんだ……みんなの顔見たら、少し落ち着いた」
「でもせっかくだから、パジャマパーティしない?」
由衣をここに置いておきたくない一心で、朱理は強引に誘った。
「お、いつになく積極的じゃん」
「だって、ずっとやってなかったでしょ」
「そうだねぇ、お菓子いっぱい用意して夜ふかししたい。明日、学校あるけど、たまにはいいよねぇ!」
朱理と凜が声を立てて笑い、由衣もさっきよりは元気に微笑んだ。
よし、これなら由衣をここから連れ出せる。
「みんなホントにアリガト。でも、今日はもう寝るわ。昨日ほとんど眠れなかったから」
「そう……」
こう言われると、どう仕様もない。
「わかった、それじゃ明日迎えに来るね」
「香澄も由衣ちゃんを迎えに来るよ、朱理ちゃんも、ね?」
「うん」
本当なら力尽くでも由衣を連れ出したかった。
結局、後ろ髪を引かれる思いをしながら由衣の自宅を後にした。
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