第817話 修羅の道

 巨大な一枚岩をくり抜き、築かれた地竜族の国。

 迷宮のように入り組んだ内部構造をした一枚岩の最奥にある部屋で『四竜の宮殿エレメンツ・パレス』から帰還したザグレスは早々に地竜族の上層部の者たちに囲まれていた。


「ザグレス様、『竜王の集いラウンジ』での決定をお教えください」


「馬鹿な! 今はそれよりもセフォン様だろうに! ザグレス様、セフォン様はいつお戻りになるのでしょうか!?」


「セフォン様だけではございません。『竜王の集い』にご出席された他の御三方もお戻りになっていないではありませんか」


 空席の目立つ円卓にはザグレス派の者とセフォン派の者がそれぞれ情報を求め、ザグレスに言い寄っていた。


 いがみ合い、時には罵詈雑言が飛び交う有り様。

 感情ばかりが先行し、室内は完全に混乱の坩堝と化していた。

 だが、ザグレスを除くこの場にいる全員には共通点がある。それはこの中で唯一『竜王の集い』に参加したザグレスに情報を求めていたことだ。


 ある者は姿なきセフォンの行方を求め、またある者はプルートンの処遇を気にしていた。


 数多の声が上がる中、ザグレスはただ腕を組み、目を瞑るだけで微動だにしない。

 今、ザグレスの頭の中にあったのは随伴者として同行した執事――転移装置に戻った老執事の動向であった。


(……戻ってこないか。やはりセフォンを……)


 既にザグレスが国に戻ってから六時間以上が経過していた。

 夥しい数の魔物の襲来があったとはいえ、『四竜の宮殿』にはザグレスをも凌ぐ歴戦の猛者が揃っている。とっくに魔物騒ぎが終息しているだろうことは想像に難くない。


 あの騒動の中、もしセフォンが一人で数多の魔物と対峙をしていたとしたら、ほぼ確実に命を落としただろう。

 その一方で、配備されていた炎竜族の他に、各竜族の王とその従者や随伴者たちが集う中、セフォンが命を落とすことはないだろうとザグレスは読んでいたのだ。


 ザグレスの読みは見事に的中していた。

 事実、セフォンはあの魔物騒動を乗り越え、生き延びた。


 直前までの議論の煮詰まり方からして、『竜王の集い』が長引くとは思えない。どれだけ長く見積もっても六時間が経過した今、セフォンが戻っていないのはあまりにも不自然だった。


 故に、ザグレスは半ば確信に至っていた。

 『竜王の集い』が終わり、帰路につくところを待ち伏せしていた老執事が、セフォンを殺害したのだろうと自分の中で結論を出していたのである。


 ザグレスにはセフォンを直接殺す意思はなかった。

 無論、見殺しにしようとしたことは否定できない。

 ルヴァンが介入してきたとはいえ、救援に応じなかったのはザグレスの意思だ。生き残るもよし、魔物に殺されてもよしと判断したのである。

 が、そのような曖昧な判断を下したのは心の部分で問題があったからだ。


 一つは己が信じる正義の心。

 ザグレスの性質は決して悪ではない。むしろ善にあった。

 頑なにプルートンを守ろうとしたのも、長きに渡って一族を守り続けてくれた父に対する恩義があったからこそ、己が信じる正義を貫いたに過ぎない。


 もう一つはセフォンに対する情け心。

 端的に言うならば、血を分けた妹への情けだ。

 プルートンに嫌疑がかけられてからは袂を分かつかのように振る舞い、激しい対立も繰り返してきた。

 しかし、ザグレスにとってセフォンは妹であることには変わりない。

 ザグレスは不器用で寡黙な男だが、心がないわけではないのだ。自らの手でセフォンを殺すのに無視できないほどの忌避感があったからこそ、セフォンの命運を天に委ねたのである。


 だが、そんなザグレスの思惑から外れ、老執事が独断専行で動いてしまった。

 老執事が妄信的なまでにプルートンを敬愛し、崇拝に等しい感情を抱いていたことはザグレスも知るところ。

 プルートンの討伐を許さない。

 老執事と同じ信念を抱いていたが故に、ザグレスは老執事を随伴者として抜擢した。

 心強い味方であり、何があろうと同じ志を持つ自分を支えてくれるだろうと考えた上で同行させたのだ。


 しかし、ザグレスは老執事を見誤ってしまった。

 セフォンは紛れもない正統な王位継承候補の一人だ。つまるところプルートンの血を継いだ高貴な存在なのだ。

 にもかかわらず、老執事はセフォンに敵愾心こそ抱けど、尊敬の念を抱くことはなかった。それだけに留まらず、プルートンを排除しようと動くセフォンをその手にかける始末。

 結果的に老執事はザグレスの制御下から完全に外れ、セフォンと共に消息を絶ってしまった。


(馬鹿な真似を……)


 周囲から喧騒が届く中、ザグレスは目一杯肺に酸素を送り込み、盛大に吐き出す。


 状況は最悪とまではいかないが、ザグレスにとって非常に悪い状況にあることは間違いない。

 『四竜の宮殿』から帰還したのが自分だけともなると、必然的に疑いの目を向けられてしまうからだ。


 セフォンが死去した決定的な証拠や情報が出ていない以上、今ならまだセフォンを支持している者たちであってもザグレスの言葉に耳を貸してくれるだろう。


 しかし、旗頭を――セフォンを喪ったと知れば最悪の場合、地竜族同士で血で血を洗う泥沼の戦いまで発展しかねない。

 ましてやセフォンを殺害したのが自分の従者だと知れ渡ってしまえば、いくらプルートンの血を継いでいるとはいえども、ザグレスの信用と求心力は地の底まで落ちてしまうだろう。


 最悪の事態を避けるため、ザグレスは頭の中でパズルを組み立てる。

 ただの推測を、真実であると信じ込ませるために肉付けして補強し、二つに割れかけている地竜族を縫い留めようと模索した。


 そして、室内にいる者たちがいよいよ我慢の限界を迎えようとしていたその時、ザグレスはついに重たい口を開く。


「――皆、案ずるな」


 たったその一言だけで、先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように静まり返り、全員の視線がザグレスに集中する。


「決定事項を伝える。我々の王――地竜王アース・ロードの討伐は延期。詳細な調査を行い、真相の究明を急ぐことに決まった」


 固唾を呑んで耳を研ぎ澄ましていた一部の者たちは、ザグレスの言葉を聞き届けた瞬間、歓喜の声を上げた。

 無論、歓喜を上げたのはプルートンに絶対的な忠誠心を誓っている、所謂ザグレス派の者たち。相好を崩し、胸を撫で下ろしていた。

 その一方で、プルートンの討伐に概ね賛同していたセフォン派の反応は冷ややか。俄には信じられないといった疑惑の眼差しを無遠慮にザグレスにぶつける。


 そんな眼差しを受けてもザグレスの態度は揺るがない。真正面から受け止め、低く貫禄ある声でこう続けた。


「疑いたくなるのも無理はない。事実、『竜王の集い』が終盤に差し掛かるまで、地竜王の討伐に向けて話し合いが進められていた」


「そのようなことが。となると、ザグレス様がその風向きをお変えになったと?」


 鋭く目を光らせるセフォン派の女性が遠慮なく疑問をぶつける。

 それに対し、ザグレスは重々しく首を縦に振り、あえて自らを誇るように堂々とした面持ちで答えた。


「無理を通させてもらったに過ぎない。条件付きにはなってしまったが」


「さぞ厳しい条件だったのでは?」


「厳しいとは少し異なるが、心情的には難しい条件ではあった。――条件は一つ。調査はセフォンと水竜族が主体となり、行うと。いずれも王の討伐に賛同していた者たちだ。重箱の隅をつつくように王の粗探しをするつもりだろう」


 このタイミングでザグレスは大胆な嘘をついた。

 存在しない調査隊にセフォンだけではなく水竜族まで絡めたのは地竜族の国から水竜族の国までのアクセスが非常に悪く、事実確認に時間が掛かると考えただけに過ぎない。


 とはいえ、稼げる時間は精々一週間が限度。

 ザグレスの嘘は水竜族の国を訪ねれば容易に露呈する程度の単純かつ真っ赤な嘘だ。

 そう遠からずザグレスを疑う者ならば真実に辿り着くだろう。


「そうでしたか。それではセフォン様は……」


「国には戻らず、すぐさま旅立った。少なくとも一月は戻らないだろう」


 ザグレスとセフォン派の者たちとの間に不穏な空気が流れ始めていく。

 次代の王候補であるザグレスに向けるには相応しくない猜疑の眼差しが集まり、やがてセフォン派の者たちはザグレスへの興味を失った。


「私共は仕事に戻らせていただきます」


 この場にいたセフォン派の者は計四名。

 四人はそれぞれ席から立ち上がると、誰が聞いても明らかな方便を残し、ザグレスに背を向けて部屋を出ていった。


 ――真実を明らかにするために。


「……あやつら。ザグレス様に何と不敬な態度をッ。断じて許されるものではありませんぞ!」


 最終的に部屋に残ったのはザグレス派の者たちのみ。

 声を荒らげる者、嘲笑を向ける者、退室していったセフォン派に向けた反応は様々だった。


 そんな中、ザグレスだけは完全に自分だけの世界に没入し、自問自答を繰り返していた。


(正解なのか? 不正解なのか? いや……もはや退路はない。一度決めた道を突き進むのみ。たとえ間違っていようとも王を救うため、この先、一週間以内に一族を掌握するしか道はない)


 最後にザグレスは己を――プルートンを慕う忠臣たちに問い掛ける。


「……この先、修羅の道を歩まなければならないかもしれん。それでも共に歩む覚悟はあるか?」

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