第816話 共存関係
「リーナよ、帰りの支度は済んだか?」
『
女王の仮面――ドレスを脱ぎ捨て、ゆったりとした普段着に着替えを済ませていたカタリーナは来客をくたびれた笑顔で出迎える。
「今日は色々と勉強になったッス。ホント、連れていってくれて感謝しかないッスよ」
「そうだろうそうだろう! 妾に感謝するが良いぞ? がっはっはっ」
「プリュイも見習いなさい。貴女、戦いの時以外はほとんどずっと寝ていたでしょう?」
身体をのけぞらせて偉そうにふんぞり返るプリュイにシレーヌは呆れ混じりの息を吐き、視線をカタリーナに向ける。
「今日は一日、ご苦労さまでした、カタリーナさん。……そうだわ、わたしくもリーナさんとお呼びしてもいいかしら?」
「え、ええ!? も、もちろん、大歓迎ですけど……」
シレーヌからの突然の申し出にカタリーナは戸惑いを隠せない。
何故、この期に及んで愛称で呼ぼうとしてきたのか、距離を詰めてきたのか。
何か裏があるのではないかと身構えながらもカタリーナは半ば反射的に首を縦に振っていた。
そんなカタリーナの反応に、シレーヌは楽しそうに頬に手を当て、口の端を吊り上げる。
「ふふふ、びっくりさせてしまいましたか? ですが、安心してください。特別、何か裏があってのことではありませんよ」
「は、はいっ」
そうは言われてもカタリーナは襟首を正さずにはいられない。
今回の『竜王の集い』までの過程を経て、カタリーナは水竜族内の力関係を分析し、把握していた。
水竜族は
『竜王の集い』の際も、ヴァーグの発言力は水竜王の地位に恥じない立派なものだった。
しかしその実、水竜族の方針を裏で操り、定めていたのはシレーヌだ。
過激とも取れるフラムの意見に自由気ままに賛同し、水竜族全体の意見として押し通していたのは誰の目から見ても明らか。
常識的に考えれば、いくらシレーヌが水竜王の妃だからといっても出過ぎた真似だ。ヴァーグから叱責を受けて然るべきだろう。
だが、そうはならなかった。
むしろ、ヴァーグはシレーヌの意を汲むように振る舞っていた節さえあった。加えて、日頃からプリュイはヴァーグよりもシレーヌを恐れている。
それらの点を踏まえて、実質的に水竜族を掌握しているのはシレーヌだとカタリーナは分析していた。
だからこそシレーヌに対しては慎重にならざるを得ない。
シレーヌの機嫌を損ねれば最後、マギア王国の安全が完全に失われてしまうからだ。
マギア王国が今、最悪の事態から一時的に脱しているのはシュタルク帝国の侵攻を巨大な氷壁が食い止めているからに他ならない。
そしてその氷壁を造り出したのはカタリーナの目の前で微笑むシレーヌその人。
シレーヌの機嫌次第でマギア王国の行く末が変わると言っても過言ではないほどにカタリーナは――マギア王国はシレーヌに依存してしまっている。
ぎこちない笑みを浮かべるカタリーナにシレーヌはそっと近寄ると、冷たくなっていた手を優しく両手で包みこんで、こう言う。
「ただもっと友好を深めようと思っただけですよ。だってそうした方がお得でしょう? 今や、わたくしたち水竜族とリーナさんは共存関係にあるようなものですから」
「えっ? 共存関係……?」
予想外の発言にカタリーナは自分の耳を疑い、目を丸くする。
共存関係と言うからには双方が利益を得られる状態になっていなければおかしい。
間違いなくマギア王国は水竜族から盾を得ている。
それはシュタルク帝国の侵攻を食い止める氷の盾であり、マギア王国の後ろ盾としても水竜族の存在はマギア王国に莫大な利益を与えていた。
一方、カタリーナには水竜族に利益となるものを与えた覚えは何一つとしてなかった。
当然だが、これでは共存関係は成り立たない。
カタリーナの認識では、水竜族は何の見返りもなくマギア王国に利益を与えてくれているだけ。言い換えるならばそれは慈悲であり、情けであり、偶然の産物が生んだ竜族としての責務を果たしているだけに過ぎない。
しかし、それでもシレーヌは共存関係と口にした。
それが意味するものとは何か。
カタリーナは脳をフル回転させ、水竜族に与えられる利益を――将来与えられるであろう利益を考え、そして言葉を詰まらせることしかできなかった。
「……」
「ふふふ、リーナさんは難しく考えすぎているようですね。わたくしたち水竜族が求めているものは、実は既に頂けているのですよ?」
そこで言葉を区切ると、シレーヌは温まってきていたカタリーナの手を離し、温厚だった表情をガラリと変え、《氷零の魔女》としての顔を覗かせる。そして、底冷えのする声で言葉を続けた。
「わたくしたちは竜の約定の制約もあって人間国家に攻め入ることはできません。たとえプルートンたちがシュタルク帝国にいるとわかっていても、人間に多大な被害が及んでしまうことが予想される以上、なかなか手を出すのは難しい。ですが、攻め入ることはできなくとも守ることはできます。マギア王国に攻め入ってきたプルートンを返り討ちにする分には何も問題はありませんから」
そこまで説明され、ようやくカタリーナはシレーヌの真意に気付く。
「それって、マギア王国を狩り場として……」
カタリーナの予想は当たっていた。
シレーヌはマギア王国を、プルートンを討伐するための狩り場に選んでいたのである。
つまるところ、水竜族が得ている
人間が住む大陸に地盤を持たない水竜族にとってマギア王国は
プルートンが攻め入ってくる保証はどこにもないが、可能性が僅かでもある限り、マギア王国は水竜族にとって十分魅力的な土地だった。
自分の国が再び戦場になる。
最も忌避し、危惧していた未来をちらつかされ、カタリーナは顔を強張らせてしまう。
だが、シレーヌは冷酷なまでに微笑を崩さなかった。
「は、母上っ! それではあまりにもリーナが可哀想ではないかっ! それにだな、もしプルートンと共に大勢の人間が攻め入ってきたらどうするつもりなのだ? 過度に人間を巻き込むなとババアが言っていただろう!?」
それまでシレーヌの圧に押され、沈黙を貫いていたプリュイが勇気を振り絞って擁護の声を上げた。
だが、そんな声もシレーヌには届かない。粛々と持論を述べていく。
「こちらから巻き込むつもりはありません。けれど、人間が巻き込まれにきたらその時は仕方がないでしょう? わたしたちの
「それはそうですが……」
すっかり萎縮し、歯切れが悪くなったカタリーナはシレーヌから逃げるように目を逸らし、顔を曇らせる。
そんなカタリーナを見たシレーヌはそこでようやく《氷零の魔女》の仮面を外し、小さく両の手のひらを叩いた。
「――はい、ここまでにしましょうか。ごめんなさい、リーナさん。少し怖がらせるようなことを言ってしまいましたね。リーナさんに嫌われてしまうのは本望ではないので、今から好感度が上がるような提案を一つしましょう」
話の寒暖差に振り回され、風邪を引きそうな思いをするカタリーナに、これまで鞭ばかりを使っていたシレーヌは最後に甘い甘い飴を与えた。
「プルートンの討伐が済むまでの間、このわたくしがマギア王国の盾となりましょう――《氷零の魔女》シレーヌの名に誓って」
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