第814話 独りよがり
重荷だった『
行きとは違い、彼女を慕い、そして支持してくれた秘書の女性はもう隣にはいない。
「……多くのものを失ってしまいましたね」
セフォンの独り言が暗雲立ち込める空に吸い込まれていく。
魔物騒動が幻だったかのように、周囲には魔物の影は一つもない。その代わりにいたのはメイド服で身を着飾った炎竜族の少女――リアンだった。
視界の端にいたリアンはセフォンの姿を見かけるや否や早足で駆け寄り、両手を前で重ねて小さく頭を下げる。
「……見つからなかった」
その言葉が何を意味しているのかわからないセフォンではない。
リアンを筆頭に捜索隊を編成してもらっていた。その結果が今、報告されたのである。
哀しみを隠すように笑顔の仮面を張り付ける。
既に秘書の女性が死んでいるであろうことは予想できていた。
リアンの報告は自分の予想を確定させただけに過ぎない。そう自分自身に言い聞かせつつ、最後まで捜索を続けてくれたリアンに感謝を告げる。
「ご協力、感謝致します。フラム様にもよろしくお伝え下さい」
「……わかった。……まだ捜す?」
リアンからの捜索続行の提案に、セフォンは首を横に振って返答する。
「お気持ちだけありがたく頂戴します」
これ以上時間を掛けたところで生存は絶望的。加えて、炎竜族の中でもイグニスに次ぐ実力者として名高いリアンが捜索に携わってこの結果なのだ。
我儘を貫くわけにも、現実から目を背けるわけにもいかなかった。
「……本当にいいの?」
「ええ……それに私は早く国に帰らねばなりません。まだまだ大きな仕事が残っていますから」
嘘でも強がりでもなく、セフォンは哀しみに浸っている場合ではなかった。
プルートンの討伐に真っ向から反対していたザグレスが自分よりも一足先に国に戻っている可能性が高いのだ。
地竜族全体の意思や方針をザグレスに纏められる前に、『竜王の集い』で下った結論をセフォンは一族に伝えなければならない使命がある。
その上、セフォンは新たな地竜王として一族を背負っていかなければならないという強い覚悟を持っていた。
『四竜の宮殿』に戻るリアンに別れを告げ、赤黒い大地を一人で踏みしめていく。
国に繋がっている転移装置まで、ゆっくり歩いても十分と掛からない。その間、無意識下で秘書の女性の姿を捜していたが、見つかるはずもなくセフォンは転移装置を視界に捉えた。
そこでセフォンはピタリと足を止める。
後ろ髪を引かれたわけではない。視線の先に見知った顔が立っていたからだ。
「あれは……」
怪訝な顔で、視線の先に立っている執事服を着た老人――ザグレスと共に消息を絶っていた老執事を見つめた。
すると、老執事はセフォンに謝罪をするわけでも挨拶をするわけでもなく口元に冷笑をたたえると、徐ろに踵を返し、転移装置に上がろうとする。
「――待ちなさい!」
怒りが込み上げ、爆発する。
哀しみに満ちていた心を怒りで塗りつぶし、遠くから怒鳴りつけた。
地竜族を二分させ、他の竜族から白い目で見られるようになったのはブルートンのせいであることはわかっている。
そのことに関して、背中を向けた老執事に責任も罪もない。当然、自分が魔物に殺されそうになったことを老執事に追及しようとも考えていないし、したところでどうしようもないことも理解している。
だが、それでも何食わぬ顔で現れた老執事が許せなかった。理屈ではなく感情が先行してしまう。
地面を大きく蹴り、転移装置に片足を乗せる老執事に怒涛の勢いで迫る。
そして右手を伸ばし、老執事の背中を掴もうとしたその瞬間――突如として振り返った老執事の冷たい目が、飴色の瞳の中に飛び込んできた。
「何と嘆かわしい……」
老執事がポツリとそう零した直後、セフォンの動きが急停止する。伸ばした手は老執事の目と鼻の先で止まっていた。
目前まで迫ったセフォンを無視し、老執事は言葉を続ける。
「大恩あるプルートン様を裏切り、他の竜族に媚びを売るとは何と嘆かわしい……。ですが、ご乱心もここまででございます。地竜族の誇りを取り戻すため、お優しいザグレス様に代わってこの老骨が貴女様を断罪しに参りました」
「……」
反論の声が上がることはなかった。
ヒューヒューと弱々しい呼気の音だけがセフォンの口から聞こえてくる。
セフォンは老執事の力により、身体の大部分を石に変えられていた。
やがてセフォンの顔から血の色が失われていき、灰色に変わっていた首から下と同様に顔まで石化が進んでいく。
それは土系統魔法に属する強力な石化の呪いだった。
土系統魔法に属する力は本来、地竜族には極めて効きにくい。戦闘能力に乏しいセフォンでも平常時ならば耐えられただろう。
しかし、セフォンは『不浄の母』との戦闘を経て、その身に宿していた魔力の大半を失ってしまっている。加えて、老執事は己の命を贄として捧げることで限界を超えた力を発揮していたのだ。
「共に……地竜、族の……礎と、なりま…しょ、う……」
セフォンの身体が完全に石像と化す。
それに伴い、暴走した石化の呪いが、発動者である老執事の首元まで蝕む。
老執事は目の前で息絶えたセフォンを見て、口の端を歪める。そして最後の仕上げに取り掛かった。
「ザグ、レス…サマに……幸、アレ――」
老執事の体内で急速に膨れ上がった魔力が行き場をなくし、大爆発を生み出す。
爆発は石像となったセフォンを、そして転移装置をも呑み込み、爆散した。
爆風が収まり、静けさを取り戻した赤黒い大地。そこに最後まで残り続けたのは無数の石片と老執事の歪んだ信念の残滓だけだった――。
「これはこれは……実に興味深い結末だったね。あれはザグレス君の指示かな? それとも盲目的な忠誠心があの老人を突き動かしたのかい?」
老執事の信念を――爆風を遥か上空から観測したルヴァンは目を瞬かせながら独り言を零す。
ソニスは既にルヴァンのもとから離れ、転移門を使わず一人帰路についていた。
つまり、この結末を見届けたのはルヴァン一人。
そして、この結末を観測できたのもルヴァンを除いて他に誰もいなかった。
セフォンを暗殺した老執事は狡猾だった。
ただセフォンを殺しただけではザグレスの立場を今以上に危うくしてしまう。故に、老執事は殺害現場を転移装置の上に定めたのである。
目撃者にさえ気を付ければ、犯行に気付かれることはないと老執事は半ば確信していた。
その目撃者も探知系統スキルを使用すれば、より確実性は増す。
老執事が懸念していたのは、セフォンが炎竜族から護衛ないし送迎をつけられたパターンだ。他にも警備に就いていた炎竜族が地竜族の国に繋がる転移装置を目視できる範囲内にいた場合も彼の計画に大きな支障をきたしていただろう。
しかし、老執事は幸運に恵まれた。執念が祈りとなり、天が味方をしたのかもしれない。
セフォンはリアンと入れ替わる形で『四竜の宮殿』から転移装置へと単独で移動をした。
老執事はその過程こそ知らなかったが、結果だけを見れば万事計画通りに事が進んだと言えるだろう。――気配を完全に消し去っていたルヴァンに目撃されてしまっていたことを除けば、だが。
ある程度運否天賦に任せなければならない穴のある計画だった。
それでも老執事は舞台を整えることに成功し、そして暗殺計画を実行に移した。
老執事が転移装置を犯行現場に定めた理由はただ一つ。
探知系統スキル所持者が多くいる『四竜の宮殿』からの目を誤魔化すためだった。
基本的に探知系統スキルは生命体が常時放ち続ける微細な気配を捕捉し、認識する力だ。当然、生命活動が途絶えれば気配は失われ、捕捉が困難になる。
しかし、気配が途絶えた瞬間を認識していれば、その限りではない。
気配が消える――それはすなわち、意図的に気配を絶ったか、転移等のスキルでその場所から離れたか、あるいは死を迎えたか。極めて珍しいケースを除けば、この三つに限られるだろう。
そこで老執事は探知系統スキルの曖昧さという部分に目をつけた。
転移装置を殺害現場にすることで、セフォンの気配が突如として途絶えたとしても、ただ転移をしただけだと誤認識させられると睨んだのである。
加えて、『四竜の宮殿』には高性能の結界が張り巡らされていることも老執事の背中を押す形となった。
遮音や隠蔽能力は『四竜の宮殿』を外敵から守るために施された防衛機能だ。だが、その一方でそれは同時に『四竜の宮殿』の内部から結界外の異常を認識しづらい構造になっていることを意味していた。
その結果がこれだ。
セフォンが暗殺されて時が経った今も、直接目撃したルヴァン以外、誰も老執事の凶行に気付けていない。
盛大な爆発音も、結界による遮音機能によって『四竜の宮殿』内には届いていなかった。
如何に優れた五感を持つ竜族であっても、如何に優れた探知系統スキルを持つ紅介であっても、セフォンの死を察知できていなかったのである。
老執事の目論見は――悲願は、こうして達成されたのであった。
上空を風のように漂っていたルヴァンは眼下に見える殺害現場を暫く見つめ、小さく息を吐く。
「ザグレス君の命令にせよ、あの老人の独断にせよ、この結末はザグレス君にとって追い風になっただろうね。でも、詰めが甘い。残骸がいつまでも残っていたら、フラム君あたりに気付かれてしまうかもしれない。仕方ないなあ……ここは僕が一肌脱いであげようか」
途端、大地に柔らかな風が吹く。
風は地面に散らばっていた無数の石片を砂状に変え、そのまま風に乗って遥か遠くの地に運ばれていった。
「……こんなものかな。転移装置は失われたままだけど、僕には復元できるような力はないし、それにそこまで僕が手伝う義理もないからね。もし後々、転移装置の件を誰かに追及された時は自分たちで言い訳でも考えておくれよ」
一見、ルヴァンの行為は意味のないものにしか見えない。
だが、セフォンの肉体を構築していた、極めて微量の魔力を宿した石片が現場から消えたことで、セフォンを追う手掛かりが、痕跡が、完全に失われたのだ。ルヴァンの功罪は非常に大きいと言えるだろう。
一仕事終えたルヴァンは一息ついて颯爽と風に乗ってその場から立ち去ろうとし、
そして、ふと心に疼き出した好奇心を抑え切れず、ここにいないプルートンに向けて、こう呟いた。
「プルートン……君は竜の約定を破ってもなお、多くの地竜族から慕われ続けているようだね。地竜族の誇りであり、剣であり、盾であった男……風の一族である僕から見ても尊敬に値すると思っているよ。簡単に殺してしまうには惜しいと思うほどにね。だから僕は貴方に最後の機会を与えることにしたのさ。もちろん、僕は僕自身のために動いているから恩に着せようなんてつもりはない。でも、今さらだけど、貴方がどうして人間に寝返ったのか興味が湧いてきたよ。だから――逢いに行くよ。貴方はこんな僕を歓迎してくれるかい?」
誰にも届かず、誰にも聞かせるつもりのない声が風に攫われ、掻き消えていった――。
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