第811話 倒壊

 大地に根ざし、魔力を吸い上げ続ける『不浄の母』。

 攻撃能力こそ低いが、驚異的な不死性と繁殖力によってセフォンさんと炎竜族たちを窮地まで追い込んだ凶悪な魔物が今、倒れようとしている。


「――◯ャ▲β!!」


 全身を傷だらけにし、痛みに悶える『不浄の母』の絶叫が大地を轟かせる。

 驚異的な再生力により、擬似的な不死性を実現していたスキル――『細胞増殖インクリース』を『魂の制約リミテーション』によって封じたことで、『不浄の母』は再生能力を失い、加えて痛覚まで取り戻した。


 この世界に発生してこの方、痛覚を完全に遮断してきたであろう『不浄の母』にとって、痛みとは今までに感じたことのない感覚のはず。

 ともなれば当然、痛みそのものに対する耐性は低い。魔物といえども、耐え難い苦痛に発狂しているのだろう。


 痛みを誤魔化すためか、はたまた生存本能がそうさせるのか、『不浄の母』は体内に溜め込んだ魔力のリソースを『超繁殖』に注ぎ込み、全身から針を射出した。


 無数の針が無作為に全方位へと放たれる。

 針の一本一本が異形の魔物の卵であることは既に判明している。

 この針を如何にして減らすか。対応を間違えば戦況を一気にひっくり返されかねない。


 俺の後ろにはディアが、さらにその後方にはイグニスたちもいる。

 しかし、余力が残っているのは俺たち三人だけ。セフォンさんや炎竜族たちには戦うだけの余力は残っていない。


 異形の魔物は一体だけでは然程脅威にはならないが、物量で押し切られてしまえばわからなくなる。

 いくらイグニスがフラムからセフォンさんたちを守るように言いつけられているとはいえ、たった一人で無防備になっている六人もの護衛対象を守り切るのは難しいだろう。


 イグニスの実力を侮っているわけではない。

 だが、現実問題として四方八方から迫る魔物の対処を一人で行うのは極めて困難だ。


 だから俺は適材適所……役割を分担しようとディアに話を持ちかけ、実践に移していた。


「ディア、スイッチだ!」


 俺に降りかかる無数の針を剣とスキルではたき落としながら後退し、ディアと前衛と後衛を入れ替わる。


「わかったっ。広範囲魔法を使うから、こうすけは下がって」


 俺が使う範囲魔法で針の対処をしようとしても所詮は焼け石に水。全力を尽くせばその限りではないが、消費する魔力量に見合った効果はやはり望めない。

 その点、ディアであれば消費魔力を考えずに済むし、何より広範囲魔法はディアの十八番だ。

 俺が下手に介入するよりもディアに任せてしまった方が効率良く異形の魔物の卵となる針を排除できる。


 事実、ここまでの戦いで順調に上手く対処してきた。

 もちろん、いくら魔法に長けたディアでも打ち漏らしはあったが、その排除率は九割五分以上という圧倒的なもの。

 打ち漏らし、孵化した魔物も、次弾発射までの時間内に駆除できる程度だったため、今のところ被害どころかイグニスの手を煩わせることなく俺とディアだけで十分対応できていた。


 ディアの魔法が顕現し、暴風が吹き荒れる。

 ただの風ではない。言うなれば透明な無数の刃が暴風の中で舞っている状態だ。

 その威力は『不浄の母』や成体となった異形の魔物を屠るほどのものではない。だが、射出された針を八つ裂きにするには十分な威力を誇っていた。


 粉微塵にされた針の破片が空を舞い、戦場であることを忘れてしまいそうになる幻想的な光景を生み出す。

 暴風に巻き込まれた『不浄の母』は全身に無数の細かな傷をつくり、血を垂れ流す。


「やっと終わりが見えてきたか」


 大樹のように根を張っていた巨躯がぐらりと揺れる。

 弱っていることは一目瞭然。とはいえ、まだ油断はできない。

 自慢の再生力は封じたが、莫大な魔力は未だ健在。『不浄の母』は本能に従い、再生で使うことがなくなった魔力のリソースを全て『超繁殖』に割り振り、針の装填を早めているようだ。


「残りの魔物はわたしに任せて。こうすけは……」


「ああ、わかってる。次で仕留める」


 ディアと力を合わせてここまで削ったのだ。

 一撃死を防ぐ『九死一生ペイシェンス』の適応範囲がどれほどか不明だが、今ならきっと届くはず。

 それにもし駄目だったとしても、再生を封じた今、時間は俺達の味方だ。じわりじわりと削っていけば、いずれ『不浄の母』は倒れるだろう。


 気がかりがあるとすれば、この地に満ちていた魔力が枯れ、ディアが魔法を使えなくなる場合のみ。

 そうなった時は俺一人で『不浄の母』と異形の魔物を相手にしなければならない。苦戦は必至だろう。


 ディアに背中を押され、俺は大地を蹴った。

 迎撃は皆無。立ち塞がるモノもない。

 素早く『不浄の母』の足もとまで駆けた俺は『致命の一撃クリティカル・ブロー』を付与した紅蓮をその巨躯に突き刺し、駆けのぼっていく。


 直後、『不浄の母』の巨躯が揺れた。

 痛みから逃れるようにその身体を大きく捻り、俺を振り落とそうと抵抗を見せる。

 しかし俺の足は止まらない。多少揺れた程度で落ちるほど軟弱ではない。


 そのまま紅蓮を突き刺しながら『不浄の母』の頂上……頭の上に辿り着く。

 その間、おびただしい量の血を浴びたが、案の定と言うべきか『血の支配者ブラッド・ルーラー』のコピー能力が発動することはなかった。


「ここからが本番だな」


 生憎、俺の手札の中には巨大な魔物に対して特攻となるようなスキルはない。

 『細胞増殖』を封じた後に『六撃変殺シックス・デッド』を試してみたが、効果はなかった。おそらく『不浄の母』が持つ『九死一生』と極めて相性の悪いスキルなのだろう。

 となると、何か別の手段を考えなければならないが、俺は既に一つの答えに辿り着いていた。


 状況は整っている。

 俺とディアが準備を整えた今、あとは決行に移すのみ。


「終わりにしよう」


 『不浄の母』は虫の息。

 再生能力は機能不全に陥り、傷だらけになった身体からは血を垂れ流し続けている。


 俺は紅蓮を脳天に突き刺し、剣先から『不可視の風刃インビジブル・エア』を放った。


「――ァ#!?」


 腹の底まで響く『不浄の母』の絶叫を無視し、何度も何度も何度も何度も『不可視の風刃』を放ち続け、身体の中から大ダメージを与えていく。

 体内をズタボロに切り裂いた風刃は、やがて皮膚を貫き、体外へと放出される。

 深く刻まれた傷口からは大量の血が噴き出し、『不浄の母』の命を着実に削っていった。


 最後の仕事に取り掛かる。

 突き刺していた紅蓮を引き抜き、その場にしゃがみ込む。そして、俺は紅蓮で抉じ開けた大きな傷口に手を添え、『血の支配者』のもう一つの力――血流操作を発動した――。


 血の雨が大地に降り注ぐ。

 『不浄の母』は巨躯にできた無数の傷口から全ての血を吐き出そうとし、その濁流に耐え切れず、身を破裂させ、倒れた。


 一足先に飛び降りていた俺は『不浄の母』が倒れた際に生じた地鳴りを聞き届け、血に染まった紅蓮を払い、血を落とす。


「ふぅ……」


 肺いっぱいに空気を吸い込み、安堵の息を吐く。

 俺が探知できる範囲内には、もうほとんど魔物の気配はなくなっていた。

 打ち漏らした魔物の対処にあたっていたディアが片付けてくれたようだ。

 その他にもイグニス、それからセフォンさんや五人の炎竜族の反応も残っている。

 少し離れた場所にはフラムの反応も。どうやら無事に『特異種イレギュラー』の討伐に成功したらしい。


「とんだ災難だったな……」


 疲れがどっと押し寄せる。

 体力も魔力もそうだが、何より精神的な疲れが酷い。

 それでも何とか疲労感を堪え、警戒を厳にする。

 気が緩んだ時が一番危険なのは過去の経験でわかっている。


 それから暫くしてディアと合流を果たす。

 ディアもディアで顔に疲労の色が出ていたが、精一杯の笑顔で迎えてくれた。


「やっと終わったね。お疲れ様、こうす……」


 そこでぴたりとディアの声が止まる。

 そしてディアは俺を見つめていた紅い瞳を、フラムがいる方向に――ここより南の空に向けていた。


「??」


 わけがわからず首を傾げる俺に、ディアが徐ろにこう呟いた。


「この魔力残滓って……」


 直後、突如としてフラムの近くに現れた二つの気配を『観測演算オブザーバー』が捉える。


 そのうちの一つは、風竜王ウィンド・ロードルヴァンの気配だった――。

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