第809話 相性

 フラムは『特異種イレギュラー』をその眼で見た瞬間、悟っていた。


 ソレが危険極まりない魔物であることを、ソレが己の臣下の力を喰らったことを。


 臣下を失ってもフラムは胸に痛みを感じていなかった。

 無論、ゼロと言ったら嘘になる。

 だが、最期まで炎竜王ファイア・ロードたる自分の命に従い責務を果たし、散っていったのだ。誇ることはあっても、辛く悲しく思うことはない。否、あってはならない。


 もし自分が悲しめば、死してなお、王を悲しませたという罪を背負わせてしまう。

 だからフラムは忠臣の死を知っても、毅然と振る舞い続ける。

 ただし、胸の内に宿る炎は轟々と燃え盛っていた。


 『特異種』に報いを受けさせるために。

 心に空いた小さな穴を焦がし塞ぐために。


 紅介に『不浄の母』を任せたフラムはその身から赤い光の粒子を迸らせ、炎竜族の特性『加速』を使い、未だその場から動こうとしない『特異種』に迫る。


 フラムが紅介に極めて高い火耐性を持つ『特異種』の討伐ではなく『不浄の母』を託したのは、己の手で報いを受けさせるという単純かつ感情的な理由だけではない。


 紅介が敗れる可能性を危惧していたのだ。

 フラムは紅介の実力を正当に評価し、認めている。

 だが、実力が乖離していない限り、戦いに於いて相性というものは無視できるものではない。


 フラムの見立てでは『特異種』と紅介の相性は最悪とはいかないまでも悪いと踏んでいた。

 極めて高い火耐性を持つ『特異種』はフラムにとっても相性が悪い相手だ。

 しかし、それ以上に炎竜族の特性である『加速』への対応の方が厄介極まりないことを炎竜王であるフラムが誰よりも理解していた。


 『加速』はスキルとは異なる力だ。『魂の制約リミテーション』では封じることができない。加えて、基本的に体内にある魔力を燃焼させることで爆発的な速さを得るため、『魔力の支配者マジック・ルーラー』による魔力阻害も効力を期待できない。


 これが『加速』だけであれば、今の紅介でも十分戦えただろうことはレイジとの訓練で何度も証明している。

 しかし、『特異種』が使う『加速』は別だ。

 もとより『特異種』は再生力と速度に特化した魔物。元々の基礎能力に加え、炎竜族を喰らって『加速』まで手に入れた今、その速度は並の炎竜族では太刀打ちできない速さまで到達していた。


 そして『特異種』は今もなお、進化を続けている。

 獲物として目を付けていたセフォンに逃げられたことで進化の必要性を感じたからだ。


 取り込んだ炎竜族の力を馴染ませ、定着させる。

 獲物を二度と逃がすまいと『加速』の効果を十全に発揮できる状態まで『特異種』は進化を遂げたのであった。


 それでも紅介の能力ならば、『加速』を定着させた『特異種』を相手にしても互角以上の戦いができるだろうとフラムは読んでいた。

 優れた動体視力に転移能力、その他にも多種多様なスキルを持っているというのは、それだけで大きなアドバンテージとなる。

 しかし、確実に勝利できるかと問われれば首を傾げざるを得ない。


 最悪のケースとして真っ先に考えられるのは紅介が『特異種』に敗れ、喰われてしまうことだ。

 そうなれば、最強の名を欲しいがままにしているフラムを上回る存在になりかねない。


 フラムは自分の力に絶対的な自信を持っている。

 だが、紅介の力を取り込んだ『特異種』に勝てると思うほど自惚れてもいなかった。


 故に、フラムは紅介と『特異種』を戦わせることを避けた。 『特異種』が手に負えない存在へとならないよう細心の注意を払った上で判断を下したのである。


(……考え過ぎかもしれないがな)


 両者の間にあった距離が刹那、潰える。

 その間にフラムは竜王剣を召喚。一メートルを超える、赤く熱された大剣を軽々と片手で操り、『特異種』の胴体を目掛け、横薙ぎに振るう。


「魔物風情が随分と器用な真似を」


 竜王剣は『特異種』の腹部をごっそりと切り裂いていた。

 だが、フラムが狙っていたのは両断。上半身と下半身を真っ二つに裂き、自由を奪うつもりだった。


 フラムの狙いを狂わせたのは『特異種』の腕から生える二本の大鎌。

 竜王剣が胴体に吸い込まれる直前、『特異種』は多量の魔力を惜しげもなく燃焼させた『加速』により、竜王剣の間に両鎌を滑り込ませ、鎌を砕かれながらも大剣の軌道を僅かに変えたのであった。


 知能の低い魔物が本来持つはずがない確かな技に、フラムは目を細める。

 瞬時に大鎌と腹部の再生を済ませた『特異種』は大きく跳び退き、深紅の単眼でフラムをじっくりと見つめ、言葉を発した。


「ギギギ、キ、ケン。オマエ、テキキキキ!!」


 『特異種』はフラムを獲物ではなく明確な敵と認識する。

 知能の発達に伴い、僅かに発露した感情が恐怖に侵食されていく。


 たったの一撃。それも致命傷とは程遠い一撃だ。

 しかし『特異種』はフラムに恐怖と脅威を感じていた。

 これまで戦い、観察してきた、どの炎竜族とも異なる次元にいるとたったの一撃で実感したのである。


 とはいえ、母を守るモノとして、フラムという存在は無視できないし、許容もできない。

 直ちに排除しなければならない外敵。心に芽生えた恐怖心を振り払い、『特異種』は大口を開き、極小に圧縮された熱線のブレスを吐き出す。


 ブレスは地を這い、大地を溶かし、フラムに直撃する。

 全てを溶かし、蒸発させる熱線。だが、フラムはそれを乱暴に左腕を払い、容易く掻き消した。


「戯けが。私に炎が通用すると思っていたのか?」


 結局、肌に傷一つ与えられぬままブレスは止まった。

 火系統に属する攻撃が通用しないのであればと次は近接戦闘に切り替え、襲い掛かる。


「キヒィーーッ!!」


 赤い光の奔流が『特異種』の身体から放たれる。

 そして全身をバネのように跳ねさせ、フラムに突進した。


 血に飢えた大鎌がフラムの首筋を狙う。

 瞬きにも満たない時間で首筋に到達する大鎌。

 吸い込まれていく己の大鎌を見て、『特異種』は勝利を確信する。

 相手がどれほど速くても決して逃げられない。猶予はとうに過ぎた。


 大きな口に邪悪な笑みを浮かべる。

 苦戦するかと思いきや、意外なほどあっさりとした幕切れだった。

 だが、気にする必要はない。これでより強くなれる。


 強敵を倒し、極上のエサに辿り着けた悦びに浸り……『特異種』はようやく異常に気付く――いつまで経っても大鎌がフラムの首に届かないことに。


「――」


 声を出すどころか口も動かない。

 異常が生じていることは明らか。しかし、『特異種』の未成熟な頭脳では異常を認識できても原因の特定には至らない。


 深紅の単眼で大鎌の先に居続けるフラムを凝視する。

 身動ぎ一つしていなかったが、その立ち姿には強烈な違和感があった。


 が、違和感こそあれど『特異種』はフラムの僅かな変化に気付けない。


 フラムの金色の瞳が黄金色に変わっていることに。

 綺麗に切り揃えられていた爪が鋭さを増していることに。


 そして次の瞬間、世界が――時間が動き出す。


「ァ、レェ……」


 視点が上下反転する。

 腕から先に生えていた大鎌がなくなっていた。

 大地を踏みしめ、バランスを保っていた両脚がなくなっていた。

 胸部に大きな穴が開いていた。

 目の前にいたはずのフラムの姿が消えていた。


 四肢を失った『特異種』は一瞬の浮遊感の後、大地の上を転がっていく。

 視界がぐるぐると回る中、竜王剣を肩に担ぐフラムの姿が深紅の単眼に映った。


「――仮初めの力を得て自惚れていたのか? さて、と……後、何度殺せば貴様は死ぬのか試してみるとしよう」


 それから『特異種』は、フラムだけが持つ特性『時間加速』によって、暫しの間、時の牢獄に閉じ込められる。


 加速した時の流れを認識できるのはフラムのみ。

 『特異種』は再生と破壊を繰り返し続けることになる。

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