第807話 弔いの炎

 ディアの眼は魔力を可視化する。

 大気中に漂う魔力はもちろん、人や魔物が体内から放つ魔力まで色や感覚で識別し、その者が持つ魔力の特徴を捉えることができる。

 ただし、いくら魔力を識別できるといっても魔力の特徴だけで人物や魔物を特定することまでは難しいようだ。

 普段から一緒にいる俺やフラムならまだしも、一度や二度会った程度でその者の魔力の特徴を完璧に記憶することは困難を通り越して不可能に違いない。


 ディアにとって魔力とは当たり前に見えるものだ。いちいち記憶していたらきりがないし、そもそも覚えようともしていないだろう。


 だが、ディアは目を疑った。

 一際目立つ赤い体皮の魔物を見て、その正体を疑った――魔物なのかと。


 そしてディアは視線をその魔物に釘付けにしたまま自問自答する。


「わたしの勘違い……? ううん、間違いない。濁ってて見分けがつきにくいけど、あれは炎竜族特有の魔力を発してる。でも、魔物がどうして炎竜族の魔力を……」


「大方、私の配下の力を取り込みでもしたのだろう。どんな手段を使ったかは知りたくもないがな」


 どこか遠い目をしたフラムがディアの疑問に答える。

 断言こそしていないが、その声は確信めいた響きをしていた。

 さらにはフラムの言葉を否定する者も現れない。セフォンさんに限っては顔を青褪めさせ、まぶたをぎゅっと強く瞑っている。


 つまりはそういうことなのだろう。

 ディアの眼は正確に『特異種イレギュラー』の性質を、魔力の特徴を捉えていたのだ。


 誰に語りかけるでもなくフラムは消え入りそうな声で誓いを立てる。


「そう悲しむことはない。必ず私が弔いの炎を上げてやる」


 俺たちが到着してから大人しかった魔物が、ついに動き出す。

 穴の空いた包囲の網を修復しながら、じりじりとにじり寄ってくる。


「あの魔物……俺たちの力を測るつもりか?」


 憎たらしいことに『特異種』は他の魔物が動き出したにもかかわらず、深紅の単眼をぎょろぎょろと動かすだけで近寄って来る気配がない。

 異形の魔物の親玉のような巨大な魔物に関してはそもそもその場から動く気がないのか微動だにせずに俺たちを見下ろしている。


 来た道はあっという間に魔物に塞がれてなくなってしまった。けれども、退路がなくなったわけでも窮地に追い込まれているわけでもない。


 この程度の包囲網であれば、いつでも突破できる自信があった。

 再生力しか取り柄がない魔物では、いざ俺たちが逃亡の選択を取ったとしても、止める手立てが何らない。数の暴力で押し留めようとしてきたところで、こちらには転移があるからだ。

 ただし、俺たちが敗走となった場合は『四竜の宮殿エレメンツ・パレス』へ魔物の侵入を許すことに繋がる。

 とはいえ、命には変えられない。フラムが逃げることを良しとするとは到底思えないが、選択肢の一つとして当然、頭の片隅に残しておいた方が良いだろう。


 それはそうと今、気を付けるべきは有象無象の雑魚ではない。『特異種』とその親玉――いや、母親だ。

 異形の魔物が知能の低い魔物ながらにある程度の統率が取れているのは群れのリーダーであり、母たる魔物の存在があってこそ。


 つまり、最も警戒しなければならないのはその二体。

 警備に就いていた炎竜族を一人殺した過去がある以上、軽視できる相手ではないことは間違いない。


「雑魚にかまけてる暇はないんだがな」


 にじり寄ってくる魔物をぼんやりと眺めるフラムに焦りも恐怖の感情もない。簡単な雑務を押し付けるかのような口振りでディアに頼み事をする。


「ディアよ、雑魚の相手を任せてもいいか?」


「え? あっ、うん、任せて」


「一切の加減は不要だぞ。周りにいるのは魔物だけ。味方を巻き込む心配はないのだからな」


 フラムが獲物を誰かに譲るのは珍しい。そのため、ディアは目を瞬かせて困惑していた。

 いつものフラムなら好き勝手に戦うか、俺の指示に従って適宜動いてくれるのだが、今回ばかりは事情が事情だ。俺の領分ではないし、フラムが仕切った方が何かと都合が良いことは言うまでもないだろう。

 それにフラムは今回、戦いを楽しむのではない。快楽やストレスの発散のためではなく、弔い合戦のために力を揮おうとしているのだ。


「イグニス、お前はここに残り、こいつらを守りながら待機しておけ」


「承知致しました」


 セフォンさんたちへのアフターフォローも忘れていなかった。

 俺が転移でセフォンさんたちを今はまだ安全な結界内へ送ることができれば良かったのだが、結界の構造上、内部への転移は不可能ではないが現実的に難しい。俺が結界に干渉することによって結界を崩壊させてしまうリスクが伴うからだ。

 かといって結界外の比較的安全な場所に置いてくるというのも無理がある。

 セフォンさんもそうだが、炎竜族たちは怪我こそディアの治癒魔法のお陰で無事完治まで至ったが、体力や魔力は戻っていない。

 戦えるだけの力を取り戻していないにもかかわらず、魔物がいつ発生するかもわからぬ結界の外に野ざらしで放置するのは危険過ぎるだろう。


 それにしても……と疑問が浮かんでくる。

 何故フラムは俺ではなくイグニスを守りの要として配置し、待機を命じたのだろうか。

 今から始まる戦いが弔い合戦であることは訊かずともわかっていた。であるならば、俺よりもイグニスを戦わせた方がいいに決まっている。

 文句を口にすることはなかったが、きっとイグニスだって心のうちでは仇討ちを望んでいるはずだ。


 俺なんかより余程イグニスには魔物と戦う動機がある、義理がある、権利がある。

 なのにフラムはそれらを考慮せず、一方的な通達を行った。それが俺には不思議でならなかった。


 横目で俺を見つめてきたフラムの金色の瞳と目が合う。


「主はあのデカブツを頼む。かなり面倒そうな相手だろうが、引き受けてくれるか?」


「全身全霊で引き受けさせてもらうよ」


 悩むまでもない、即答だった。

 これまで俺はフラムに何度も何度も助けてもらったのだ。決して返しきれる数の恩ではないが、それでも恩には恩を。

 仲間として、家族として、救いの手を求められれば迷わず手を差し伸ばそうと決めていた。


 俺の返事を受け、ここに来てから初めてフラムが微笑を浮かべる。


「ああ、頼りにさせてもらう。――私の相手は決まっているからな」


 そう言ってフラムは笑みを消し、『特異種』を獰猛な目で睨みつける。フラムが『特異種』を単なる魔物ではなく、明確な敵として見ていることは火を見るより明らかだった。


 そして――人と竜族と魔物の戦いの幕が上がる。

 魔物の動きが活発になった瞬間、誰よりも先に動いたのはディアだった。

 空により濃い暗雲が立ち込め、雷鳴が轟く。

 直後、空から極大の稲妻が光の束となり、地上に降り注いだ。


「うるさいかもしれないけど、我慢してね」


 地上に落ちた極大の稲妻が、真下にした魔物の群れを一瞬にして呑み込む。

 たったの一撃で百近くの魔物を葬り去った雷は、あらかた周辺の魔物を駆逐すると、すぐさま形を変え、まるで生き物のようにうねり、雷を纏った光の乱反射させ、異形の魔物の数を減らしていく。


「他の魔法と比べると雷を制御するのは難しい。だけどその分、威力は折り紙付き。再生される前に仕留めきるっ」


 天候をも変えたディアの魔法により、一気に道が拓ける。


「これは盛大な幕開けになったな。主よ、私たちも続くぞ」


 フラムの身体から赤い光の粒子が急激に迸る。

 それはフラムが炎竜族の特性『加速』を使用した証。

 自ら制限していた強大すぎる力をフラムは躊躇なく開放したのである。


 そしてフラムは光の粒子を纏い、俺は紅蓮を片手に握り、突貫した――。

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